浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



神田須田町・あんこう鍋・いせ源・その1

dancyotei2006-01-23

1月21日(土)夜


今週からしばらく、土曜日出勤である。
しかし、毎週土曜日の楽しみ、路麺めぐり、は、続けたい。


そして、今日は、朝起きたら、予報通り、雪。
出勤といっても、10時まで行けばよいので、
雪の中、今週の路麺、浅草千束・ねぎどん


一度帰宅し、すぐに会社へ。


昼、飯に出てみると、もう既に、2〜3cm、積もっている。
これは、久しぶりの大雪、である。


こんな寒い日には、あんこう
いせ源。


昨年の冬は行けなかったが、昔から通っている


18:30、会社を出る。雪はまだ降り続いている。
朝から降っており、土曜日のせいで、人通りも少なく、歩道も路地も
雪が積もり、危ない。
予報では、うっすら積もる程度、などといっていたが、
うっすらどころではない。


場所は、神田須田町
市ヶ谷から、都営新宿線で、小川町まで。
小川町駅からは、すぐ、である。
そばのまつや、神田藪そば、などなどのある、一角。


この界隈も雪が、数センチ積もっている。
東京者には、たまに雪など積もられると、困ってしまう。


妻と、店で待ち合わせ。
妻は既に到着していた。


この店は、基本的には、予約は取らない。
この雪の中、外で待っている客もいる。


足元は悪いが、同じ様なことを考える者が、随分いるものである。


出る客と、入る客で、玄関、下足は混乱を極めている。
下足番の小父さん、なんだか、とっ散らかっている。


一度入ったが、番号札を渡されて、外に出されてしまった。
雪も降り、寒いのに、、。


外でしばらく待つ。


寒いが、雪の「いせ源」のたたずまいも、悪くはない。


戦災で焼け残った、日本家屋である。






創業は、天保元年(文政13年、1830年)。
(この年は、特になにがあった、という年でもないらしい、、。
(フランスの7月革命、ということらしが、筆者、世界史は
とんと、疎く、書く言葉がない。)
ちょっと調べると、その後、天保の大飢饉が、天保3年。
天保8年、大塩平八郎の乱天保12年から、水野忠邦
天保の改革、そして、幕末になっていく、そんな頃。
そして、天保元年は、文政の最後の年である。化政文化といわれた、
江戸末期の、江戸文化爛熟期の頃でもあったのであろう。)




閑話休題



番号を呼ばれ、やっと入る。


妻は、腹を立てているが、
とっ散らかっている、小父さんを怒ってはいけない。


ここは、今、値段的には、安くはない。
しかし、基本的には、南千住の尾花
などと同様に、予約もなし、入れ込み。
本来的には、高級なところではないのである。


扱いが、ぞんざいである、と、怒ってもしょうがない。
ついでにいうと、ここは仲居さんも、扱いは、さほど上手でもない。
注文を忘れられたり、おじや、をかき混ぜて、怒られたり、、、もする。


もし、文句があるなら、その場で言ったほうがよい。
(それも、この店は、可、であるように思う。)


それも、できれば、粋に、小父さんをからかう、くらいのことが
できれば、よいのだろうが、、、。
まあ、できなければ、聞き流す。


ここは、そういう店。いやなら、こなければよい。
断っておくが、筆者は、そんな扱いを喜んでいるわけではない。
ただ、そういう店、で、ある、と、いうことである。


階段を上がり、二階へ。


塗りのお膳。


さて、注文。
まず、お酒、二本。それから、鍋、二人で三人前。
きも刺し、一人前。


こんなところである。




また、長くなってしまう。
今日は、このへんで。また明日。