浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



その29 江戸っ子?1.「大工調べ」


さて、今回は、この二席。
「大工調べ」と、「三方一両損」。


どちらも、有名な噺であろう。
また、どちらも、大岡越前の裁きが、ついている噺でもある。


また、いわゆる「江戸っ子」、が、登場する。

「大工調べ」


江戸っ子、というくくりで、この噺をまとめるのは、
本当は、違っている。
やはり、与太郎、であろう。


喧嘩っ早い、江戸っ子の大工の棟梁(江戸弁で、とうりゅう)と
狸親爺の大家。そしてぼけ役の、与太郎
この三人が演じる、ドタバタ大喧嘩、といったところである。


ストーリーは、いたって簡単であるが、
基本的には、口喧嘩であるため会話、言葉がポイントである。


与太郎は大工。
店賃(家賃)をためて、その形(カタ)に、大家に道具箱を持っていかれる。

棟梁の政五郎は、与太郎の家に来て、この話を聞くと、
少し足らないが、これで返してもらってこい、と、金を出してやる。
与太郎が、足らない分は、どうする?と、聞くと、

棟梁は「それは、アタボウだ!」
与太郎は「アタボウって、なんだい?」
棟「あたりめえだ、べらぼうめ、ってんだ。
  そんな長げえ言葉を使ってたんじゃ、日の短え時分にゃ、日が暮れちまう。
  温気(うんき)の時分にゃ、言葉がくさらぁ
  だから、つめて、アタボウ、ってんだ。
  な。いいずくなら、ただだって取れんだ。いいか。
  こっちの商売物ぉ、召し上げちまって、どうやって金ぇ持ってこい、
  ってんだ。え?、乞食ぃしろ、ってのか。泥棒になれ、
  ってわけでもねえだろうよ。
  な。是非はこっちにあるんだ。だけどお前、長えモンには巻かれろ、
  犬の糞で敵(かたき)ぃ取られたってしょうがねえ。相手は町役人とかなんとか
  いってやがんだから、それ持ってって、よーく話して、
  道具箱ぉ貰ってこい。俺ぁここで待っててやるから」


と、与太郎を大家のところへやる。
すると、与太郎は、その金を大家へ出し、やはり、
「足らねえ」といわれ、こともあろうに、
先の、棟梁の言葉、「アタボウだ!」、をそのまま言ってしまう。
怒った大家。
大家「ははあ、お前ぇの一了見(いちりょうけん)で来たんじゃねえな、差し金が
   いるんだろ。お前ぇはともかく、その差し金が憎い。
   差し金ぇした奴を、ここへ出せ」
与「差し金は、道具箱ん、中だ」
(なんという、ボケもあり、、。)
与太郎は、追い返される。


これを聞いた棟梁は、飽きれるが、ついて行って
謝ってやるから、と、再度、与太郎と共に大家のところへ行く。
「こいつは、馬鹿で、何を申し上げたかわかりませんが、
足りないところは、また、ついででもあれば、家の奴(やっこ)にでも
おっぽり込ませますので、、今日のところは時間もないので、
ご勘弁を願って、道具箱を、返してやって欲しい」、と、
下手(したで)に出るが、相手は、因業(いんごう)大家。
臍(へそ)を曲げ、ビタ1文、欠けても、返せない、の一点張り。
切れた、棟梁が啖呵を切る。これが、長い。
まあ、よくこれだけ、次から次へと、続くものだ、と、いうくらい
延々と、続く。
(客観的に見れば、単なる啖呵ではなく、大罵倒である。)
ひとしきり終わると、
与太郎!、手前ぇも、なんか言ってやれ!」
と、いうと、例によって、ボケた、啖呵で、
大笑い、ということに、なる。


やはり、与太郎は、大スターである。
そっくり、笑いをさらっていってしまう。


ここまでで、今は、下げてしまうことが多いが、
一応、この後がある。


町奉行大岡越前守様に、おおそれながらと、訴え出る。
御奉行様は、質屋の資格もないのに、母親に親孝行の与太郎から
道具箱を形に取り、仕事に出られなくする、とは、
不届きである、と、与太郎勝訴。
道具箱を取られた間、与太郎の仕事ができなかった分の、
大工の手間賃を大家に払わせる。


下げは、割り台詞で、
奉「政五郎、この公事(くじ)、いささか、儲かったな。
  さすが、大工は棟梁」
棟「へい。調べ、をご覧うじろ」


『細工は流々、仕上げをご覧じろ』
(それぞれ、流派、流派で違うので、過程ではなく
仕上げを見てほしい、という意味)の洒落である。
これも、なんだかよくわからなくなっているし、
また、洒落としても、ちょっと、きびしい。
あまり、よい下げではなかろう。


現代において、この噺、ちょっと、難しいことになっている。


貧乏人vs金持ち、の図式が、わかりにくくなってきている。
足らない分を持ってこないと、道具箱は返せない、と、
いっている、大家の言い分は、間違ってはいない。
忙しいかなにかは、知らないが、それは、お前の勝手な都合だろう、
渡すのが当然、というのは、なんて言い草だ?。
大家のいうことは、情、には、かなわないが、正論である。


親孝行の与太郎、というのも、現代的には、通じない。


作品としては、昔、町内に一人はいた(と、いう)、
跳ねっ返りモノのヘンな「江戸っ子」vs「因業大家」。
そこで、いたたまれず、ボケた、与太郎
現代的には、こうした、解釈が適当であろう。


聞かせどころは、棟梁の啖呵、では、ある。
作品として、見事な啖呵で、ある。
しかし、本当は、与太郎のボケ。
棟梁の啖呵との落差と、確信犯・与太郎として描くことで、
現代でも、充分に大爆笑の、落語である。


数ある与太郎でも、この与太郎は、定職を持っている。
それも、腕のいい、大工。
「道具屋」のところでも書いたが、
談志家元の論では、与太郎は、なにもしないことを、している、
という、哲学的存在である。馬鹿ではない。
そのため、ある程度やはり、ここでも確信犯として、ボケた方が
面白さは、増す。


さて、ここまでが、「落語案内」。そして、ここからは、エッセーである。
少し、個人的な話を書かせていただく。


この噺は、好きな噺でもあり、以前、憶えて、演ったこともある。


なにが好きなのか、と、いうと、むろんのこと、
啖呵(たんか)、である。
どうも、筆者、言い立てや、啖呵がある噺が好きなようである。
演じていてて、気持ちがよい。
今、考えると、前に述べたような、解釈よりは、
演じて気持ちがよい、というだけで演っていたように思う。


もともと、落語界では、この啖呵の部分は、あまり、きつく演じては
いけない、と、いうのが、常識であった。下品であるという。
しかし、談志家元は、これは、本当に怒って、やらなくてはいけない、
と、いっていたような記憶がある。
この本当の、意図はよくわからない。しかし、筆者は、これを聞いて
我が意を得たり、と、思い、ほとんど、啖呵のみに力を入れ、
本当の、喧嘩のように喋れるように稽古をした。
(これは、志らく師の落語塾へ行く前に、通っていた、別の師匠に
こっぴどく、やっつけられた。)


筆者も東京で生まれ育った人間である。
啖呵というのは、気持ちがよい。
あるところで、切れると、途端に手が付けられない。
筆者の父親なんぞも、普段はとても人がよく、穏やかだが
怒り出すと、そんな風であった。
そんな血が、いくばくか、筆者にも流れている。
この啖呵の稽古をし、実生活で、江戸弁で喧嘩ができるようになった。
ある種、父祖代々の、自分のルーツを体得した、
そんな風に、思っていたりもした、のである。
(もちろん、筆者も40を過ぎ、今、そう毎日、喧嘩はしないが、、、。)


作品として、演ずる際には、前に述べたように、
啖呵に力を入れても、本当の笑わせどころは、
与太郎のボケ。
啖呵を演るのは、演者としては気持ちがいいが、
与太郎をきちんと演じないと、噺としては成立しないし
とても、人に聞かせるものにはならないと、いうことは理解している。
しかし、やはり、これは、かなり高度である。
最近は、演っていないが、啖呵に力が入ると、
与太郎まで、気力が続かない、かもしれない、、、。


しかし「大工調べ」、筆者にとっては、
人に聞かせるということではない、別の意味もあった噺である。
これは、一面、いい年をして、
筆者が落語にはまり込んだ理由でもある。



「なにおぉー?、丸太ン棒たぁ、なんだ?
 あったりめえじゃねえか、目も鼻も口もねえ、血も涙もねえ
 ノッペラボウ、みていな野郎だから、丸太ン棒、ったんだ。


 トウスケ、トウジュウロウ、チンケイトウ、蕪っかじり、芋っ掘りめ!
 テメエ、どこの町内(チョウネエ)のお陰で、
 そうやって大家だの膏薬(こうやく(町役))だの、いろいろに、なったんだ!
 先(せん)のことを知らねえと、思ってやがン。
 こっちとら、なあ。テメエっちみてえな野郎になぁ、はい左様でございますかと、
 頭ぁ下げるような、オ兄(アニイ)さんと、オ兄さんのできが、
 ちーとばかり、違うんだ。
 なにぬかしゃぁがんでぇ!
 テメエの氏素性をなあ、そっくり並べてやるから、びっくりして、
 シャックリ止めて、腰ぃ抜かして、座りションベンして、馬鹿んなんな!


 おう!
 どこの牛の骨だか、馬の骨だか知らねえテメエが、ピューっと、
 北風に吹き飛ばされた、鉋(かんな)ッ屑みてえに、
 この町内(チョウネエ)に転がり込んできやがった頃のことを
 よもや忘れはしめえ。寒空に向かいやがって、洗い晒した浴衣一枚(いちめえ)で
 ガタガタしてやがって、このガタガタ野郎め!。

 ・・・・」

啖呵は、続く。