浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



その28 「柳田格之進」


引き続いて、ちょっと毛色の違う噺。

今回は「柳田格之進」。
もともとは、講談ネタのようである。


講談と、落語の関わり、を少し説明しておいた方が
よいかも知れない。


講談(講釈ともいう)は、最も落語に近い、
演芸、隣のジャンルといえるかも知れない。
志ん生師などは、何度も師匠を換えていることで有名だが、
講談師になっていたことも、あるのである。
また、今はほとんど、鈴本や末広亭など、東京の
定席に講談師がでることはないかも知れぬが、
筆者などの子供の頃の寄席番組には、講談も、
時折は、あったように、思う。
今、東京の講談には、落語協会と同じような、
講談協会、というものがある。


会長は、坊主頭の、一龍齋貞水先生。
(落語家は、師匠と呼ぶが、講談は、先生、という。
ちなみに、やはり同じように、前座、二つ目、
真打と上がっていく。)


立川流の真打昇進の条件には、講釈の一つぐらいは
できなければいけない、と、いうのが、
あったような記憶がある。


筆者自身は、講談ねたを多くを知っているわけではないが、
いわゆるパンパンと張り扇(はりせん)を叩きながら読む
「修羅場」といわれる、ものは、好きである。
(講談は、話す、語る、ではなく、読む、と、いう。)


「ころは、げんきさんねん、みずのえさるどし、
じゅうがつのじゅうよっか、(パンパン)
こうようのたいしゅ、たけだだいそうじょうしんげん、
ななえのならしをととのえ、そのせい、さんまんごせんゆうよにん、
こうふやつはながたをらいはつなし」(パンパン、パ、パン、パン)。
・・・・」


平仮名で書くと、なんだかわからない。
これは、「三方ヶ原軍記」の冒頭部分である。
徳川家康、若かりし頃、わずかの軍勢で、
何万という武田信玄の軍勢に浜松城から攻めかけていき、
命からがら逃げ帰る、という、あの、三方ヶ原の戦い、である。


「頃は。元亀三年壬申年、十月の十四日、甲陽の太守、
武田大僧正信玄、七重の均しを整え、その勢、三万五千有余人、
甲府やつはながた(字不明)を雷発(?)なし。・・。」
(漢字で書いたら、もっとわからない、、。)


これは、談志家元が演っていた。また、昭和の爆笑王、林家三平師は、
源平盛衰記」を持ちねたとしていた。


さて、「柳田格之進」、である。
これは、先代金原亭馬生師、であろう。
志ん生師の音もあり、また、志ん朝師も演ったようである。
(古今亭のお家芸であろうか、、。)


馬生師の語り口が、実にあっている。


ストーリー


正直で、曲がったことの大嫌いな、柳田格之進。
彦根藩を浪人をし、浅草阿部川町の裏長屋で、一人娘と、
二人で、貧乏暮らしをしている。
唯一の楽しみが、碁。


近所の碁会所へ通っている。
ちょうど、腕前が同じくらいの、同じく浅草馬道で質屋を営む
万屋源兵衛と気が合い、毎日毎日、万屋に通うようになる。
これが、夏、である。
真夏の、風の通らない、柳田の住む裏長屋の暑さ。


秋になり、月見の頃。
例によって、万屋に招待されて、行く。
月見よりは、二人は、碁、である。
その晩、万屋方で、五十両という金が、なくなる。
番頭の徳兵衛は、貧乏浪人の、柳田を疑い、主人には内証で
柳田の長屋を、訪ねる。柳田は、激怒。
疑われたのは、武士の恥。切腹の覚悟を決めるが、それを娘が見抜き、
「私が、吉原へ身を売り、五十両をこしらえましょう」
と言い出す。
やむなく、これで金をつくり、
「もし、五十両が他から出た時には、主人と番頭の首をもらう」
と、番頭徳兵衛に渡す。


これが、秋、である。


そして、その年の暮れ。
万屋では、暮れの煤払い(すすはらい)である。
と、なくなったはずの、五十両が、出てくる。
主人源兵衛が、憚り(便所)へ入ったときに、額縁の裏へ置いて、
忘れていたのであった。
慌てて柳田を捜すが、長屋は引き払われ、ゆくへ知らず。


年が明け、一月四日。雪である。
番頭の徳兵衛が、年始回りで、湯島の切通しまでくると、
なんと、柳田に出会う。
柳田は、元の彦根藩に帰参(きさん。再び仕えること。)が叶い、
立派な身なり。
徳兵衛は、金が出てきたことを話す。


翌日、柳田は、万屋へ、二人の首を貰いにくる。
座敷。源兵衛、徳兵衛の前で、刀を抜く。


と、柳田は、二人の首ではなく、床の間にあった碁盤を
真っ二つに切る。
ピーンと張詰めた、足の貼り付くような冷たい畳に、
白黒の碁石が散らばる。



思うに、この噺は、人情噺、としてとらえるのであれば
深みという意味で、物足りない。
堅物の侍の美談、あるいは、首を切られようとする前の、
源兵衛、徳兵衛主従がかばい合う、という美談、
で、終わってしまっては、たいした噺ではない。
むしろ、これらの部分は、淡々と語られる方がよかろう。


この噺のよさは、ストーリーが江戸の街の、
季節の移り変わりと共に展開していくところ。
真夏の蒸されるような暑さ、中秋の名月
年の暮れのあわただしさ、新年、雪、
最後の真冬の張詰めた、寒さ。
この季節感ではなかろうかと思う。


ことに、ラストシーンの、
“足の貼り付くような冷たい畳に散らばる碁石
吐く息が白く見えてくるような、馬生師の語り口。


筆者の子供の頃にはまだ、真冬の、足の張り付くように冷たい畳、
というものが、あった。
季節感のなくなった現代の東京を思うと
残って欲しい江戸の季節感を伝える噺ではなかろうかと思う。


そして、昨日の「夢金」も同様であるが、落語は、聞く者に、
映像だけではなく、明るさ、暗さ、暑さ、寒さ、風、などなど、を
思い描かせ、感じさせられる。
芝居や、映画、テレビとはまったく違うリアルさをもって
感じさせられるのである。
これは、落語が衣装や、舞台装置、道具、音響効果などがない分、
観客の想像力で成立している芸だからである。
これも、落語の真骨頂である。



・・・と、いうことは、観客の感性や、経験、知識に多大に依存する
芸、であることも、また、真実である。
だから、筆者は、この「落語案内」を書いている。そういうことか。