浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



その26 長編シリーズ 「ちきり伊勢屋」

先週は、誰でも知ってる落語、「長屋の花見」「たらちね」「道具屋」
寿限無」「目黒の秋刀魚」「まんじゅう怖い」「時そば」 を書いた。


こんな噺もある、と、いう、意味で、
今週は、長編を書いてみたい。
(また、マニアな世界に戻ってしまったか、、。)



百席(53)ちきり伊勢屋

百席(53)ちきり伊勢屋


「ちきり伊勢屋」、という噺。
なかなか、好きな噺である。


落語でも、長い噺、というと、続き物というジャンルがある。
多くは、怪談噺。

明治の落語中興の祖、三遊亭圓朝作のもの「牡丹灯篭
(ぼたんどうろう)、「真景累ヶ淵」(しんけいかさねがふち)などである。
親の因果が子に報い、ではないが、因果応報(いんがおうほう)、
因縁、祟(たた)りなどをキーにした、長い噺である。


昔は、一つの寄席で、毎日毎日、続き物をやって、お客を呼ぶ、
と、いう趣向があったのである。
(本来、こうした趣向は、講談などの方が多い。
講談も、長い戦記物、忠臣蔵、などなど、今の連続ドラマのように
毎晩、続きを楽しみに、通ったのである。)


さて、そうした、続き物の長編ではなく、
一話完結であるが、長いもの、である。
今までに、この落語案内で、取り上げた噺でも長いものもある。
居残り佐平次」、「品川心中」、なども長いが、1時間は越えない。


この、「ちきり伊勢屋」は、なんと圓生師匠のテープで、
1時間半以上。
それも、上下などに分かれてもいない。
と、いっても、あまりにも長いので、途中で休憩を入れる。
かなり、珍しい噺、で、あろう。


とにかくストーリーがおもしろい。
まるで、映画のようである。


まずは、白井左近という、名人といわれた、易者。
この人が、助かる、といえば、どんな名医が匙を投げた病人も助かる。
反対に、この人が、死ぬ、といえば、絶対に死ぬ、という。
それくらい、よく当たるといわれていたのである。
奉行所からは、“死相”を見てはならぬ、との
お達しがあったほどであった。

7月(旧暦)、20歳そこそこの若い男が白井左近のもとへ来、
縁談について、占ってほしいと、いう。


この男は、麹町2丁目、ちきり伊勢屋伝次郎という、年は若いが
金貸しもしているという、江戸でも指折りの、大きな質屋の旦那であった。


白井左近は、この男に、
「あんた、来年の2月の15日、
正九つ(しょうここのつ。正午のこと)。死ぬよ。」
と、いう。
伝次郎は、この店の二代目、10歳の時に、父親には死に別れている。
この父親は、田舎から江戸へ出、一代にして、この、ちきり伊勢屋を
ここまで、大きくした。
その間、随分に人も泣かせ、また、あこぎ、な、こともした、という。
そうした、人の恨みが、祟(たた)り、
「あんたは来年死ぬ。これからは、人に施しをし、あなたのお父っぁんも
 救われ、あなた自身も、後の世には、よいことがあろう。」


悄然とし、店へ帰る。


これから、伝次郎は、施しをはじめる。
今日は東、明日は西、と、江戸中の
困っている貧乏人達を捜し、行って、金を恵んでやる毎日。


赤坂のくいちがい。(四谷と赤坂の間、外濠通り、
紀之国坂の交差点。紀尾井町の方に入る外濠を渡る橋である。)
今でも、夜などは人通りはないが、
当時このあたりは、寂しいところで首くくりの名所でもあったという。
麹町の店へ帰る途中、伝次郎がここを通りかかった。
すると、今しも首をくくろうとする、母と娘の二人。
伝次郎は、100両の金を恵み、二人を助ける。
せめて、お名前だけでも聞かせてくれ、という二人に、
「私は、伝次郎と申しまして、故あって、来年の二月十五日正九つ、
死にます。この日を、命日だと思って、お線香の一本も
手向けていただければ、、。」
と、いって、分かれる。


施しをはじめて、4ヶ月。
10月になり、限りある金で限りない貧乏人を助けるのは、切りがない。
この辺で、施しは終わりにして、残りの時間は、遊ぼう!。
これから、伝次郎は“心を入れ替えて”遊び始める。
吉原、芸者遊びと、湯水のように、金を使い始めた。
これは、施しをするよりも、どんどんと、金は出て行く。
田舎の、田地も売り払い、それでも底をついてくると、
今度は、どんどんと借金を始めた。
江戸指折りの、物持ちで、信用はある。どんどん借りまくる。
そして、その返済期限が、2月晦日みそか)とか、3月晦日になっている。
こんなに使いいい、金はない。


楽しい日々はあっという間に過ぎる。
1月一杯で、奉公人には充分に手当てをして、暇を出す。
2月の13、14日は、お通夜、ということで、贔屓(ひいき)の
芸者、太鼓持ちを家に集め、どんちゃん騒ぎ。


そして、いよいよ、ご臨終の朝。
宴の後、皆、眠い目をこすり、
暖簾(のれん)を引っくり返し、忌中の札を出す。
お棺の準備。
このお棺がまた、すごい。
素材は黒檀で、花魁との比翼の紋を彫り込んでいる、と、いうもの。
太鼓持ち、芸者がそれぞれ、お別れをいって、
伝次郎はここに入り、ふたを打ち付ける。


正九つ過ぎ、出棺。
芸者、太鼓持ちは、揃いの着物で、深川の寺まで、行列である。
寺で、読経、引導を渡され、墓場へ。(ここでは土葬という設定。)


しかし、伝次郎、死ねなかった。
なぜであろう?わからぬが、死ねなかった。


しかたなく、お棺を開けてもらい、家へも帰れない。
金は使い果たし、借金の山。あちらこちらを転々として、10月。
乞食同然のありさまで、高輪を品川方向にボソボソと歩いていると、
なんと、あの白井左近を見つける。
あの後、白井左近も、“死相”を見てはいけない、と、
奉行所からいわれていたことに反したため、家財は没収され、
江戸所払(ところばら)い。
それでも、江戸のそばにいたいため、高輪大木戸の外で、
大道占いの店を出していたのである。
伝次郎は、
「お前のおかげで、こんなありさまになったんだ、どうしてくれる。」
と、くってかかる。
白井左近は、
「まあ、こんなところでは、話もできない」
と、自分の裏長屋の家に連れていく。
もう一度、よく人相をみると、死相は消え、今度は80過ぎまで
生きる、と、いう。
「金のある時には、死ぬといわれ、乞食のようになって、
 80まで生きるとは、、、。」
「いやいや、乞食をしているようなことはない。
 これから、品川の方へいくと、運が開ける。」


と、品川の方に歩いていくと、幼馴染の紙問屋の若旦那に出会う。
この若旦那は、お約束の道楽で、勘当になり、今、品川の裏長屋にいる。
伝次郎は、あてがあるわけでもなし、転がり込む。
白井左近からもらった幾ばくかの金で暮らしていると、
長屋の大家がきて、いい若い者が二人でいて、遊んでいるのも
なんだから、駕籠でも担いでみろ、とすすめられる。
札の辻で二人で客待ちをしていると、
伝次郎が、遊んでいた頃の、馴染みであった、太鼓持ちが客になる。
伝次郎は、
「久しぶりだな、一八(いっぱち)。ちきり伊勢屋だ。
 お前の着物は、みんな俺が買ってやったものじゃないか。
 俺も今、無一文だ。気の毒だが、その着物を、」
と、着物と、金を巻き上げる。


二人とも、重い物など担いだことはなく、
駕籠や、なんぞできない、とあきらめ、とっとと、家に帰る。
翌日、太鼓持ちから巻き上げた着物を、近くの藤屋という質屋へ持っていくが
「目の届かないもので、、」と、断られ、不信を抱くが、
店を出、2〜3間(けん。1間は約1.82m)行く。
と、質屋の店の者に引き止められ、
「伝次郎様と、おっしゃるのではないでしょうか?
 主人がお目にかかりたい、と申しておりまして、、」
と、いう。


出てきた女主人と、娘。
「お久しぶりでございます。」
と、いう。
これがなんと、以前に、赤坂のくいちがいで助けた、母娘であった。
母は、
「この娘をもらっていただいて、
 この店をやっていただけませんでしょうか。
 養子がおいやでしたら、“ちきり”の暖簾をかけていただいても
 けっこうです」
と、涙ながらにいう。
伝次郎は承知し、この娘と夫婦になり、後に、“ちきり”の暖簾をあげ、
家再興をした、という。


下げはなく、
『積善(せきぜん)の家に余慶(よけい)あり。
“ちきり伊勢屋”でございます。』で終わる。


よくまあ、こんな長い噺を憶え、
一気に演じられるものであると、感心する。


どうせ死ぬのだから、と、借金をしまくって、遊びまくる。
なんと、まあ、夢のような話ではないか。
これほど、気楽なことはない。
また、自分の葬式を生きたまま自分で出す、という馬鹿馬鹿しさ、
楽しさ。とても落語的である。


圓生師の録音は何本か出ている。
生では、今、ほとんど、演じる人はいないかも知れない。
筆者は、春風亭梅枝師で聞いたことがある。
(三遊亭系、故林家彦六師の弟子、林家正雀師が演るようである。)



今週は、落語稽古のため1本で。