浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



その25 引き続き、常識?!「長屋の花見」「たらちね」「道具屋」


考えてみると、廓の噺や、人情噺やら、難しい噺、
ディープでコアな噺ばかり、書いてきてしまったように思う。
もっともっと、誰でも知っていた、子供でもわかる、
フツーの噺が、一杯あることを、忘れていた。


今日は、この三席。
長屋の花見」「たらちね」「道具屋」。
奇しくも、この三席は、小さん師匠を頂点とする、
柳派(やなぎは)お得意の噺と、いってよかろう。
長屋といえば、小さん。庶民の柳派、であろう。

長屋の花見


秋が、「目黒の秋刀魚」であれば、春は花見。「長屋の花見」である。
花見の噺もいくつもあるが、なかでもこの噺であろう。
花見の季節に、筆者の子供の頃であれば、テレビで
よくこの噺をやっていた。


桜花(はな)の季節。
上野の山が咲いた、向島隅田川)が何分咲き、飛鳥山
まだだ、などなど。街は桜花の話題で持ち切りである。
これだけは、昔も今もかわらない。
この季節は、街も浮き立つようである。


貧乏長屋である。
貧乏であるが、花見にはいきたい。
大家(おおや)さんの発案で、パーッと花見に行こう、
と、いうことになる。


今でもそうだが、花見といえば、酒と食い物である。
貧乏でその日に食うものにも困る面々である。
酒など買う金など、あろうはずもない。


そこで、大家さんは、酒はお茶で、大根の、お香こ、は、
色が白いから蒲鉾に、沢庵は黄色いから玉子焼に、
それぞれ、見立て、持っていこう、という。
長屋の者も、馬鹿馬鹿しいが、せっかく大家さんがいうんだから、
付き合おうか、と、なかばやけっぱちで、出かける。


お茶と、大根のお香こ、沢庵の花見が始まる。
大家さんは、せっかくの花見だ、酔って歌でも唄え、と言い出す。
お茶を飲んで、酔えるかい!で、あるが、
これもまあ、しかたないから、付き合うか、、。
(今、どこかの会社でも、充分にありそうな風景である。)


隣りの、酒も食べ物もたくさんある、大店の旦那の花見に、
酔って喧嘩をした、フリをし、ドサクサ紛れに、食べ物や酒を
持ってきてしまおうと、画策する。
これは成功する。しかし取られた方はおさまらない。
旦那はよせ、と、いうが、太鼓持ちが、角樽(つのだる。
手で下げられる小さめの樽。)を持って、
これで、殴ってやる、と、勢い込んで、やってくる。
貧乏長屋の面々は、そろそろ、酒も回っている。
怒鳴り込んできた、太鼓持ちに、逆切れ、と、いうやつである。


「その樽で、なにかしよう、ってのか!」
ビビッタ太鼓持ちは、
「いやいや、、、、
 お代り、、を、、、」


と、まあ、こんな感じの噺である。


落語にはとてもよく登場する貧乏長屋。「黄金餅」も貧乏長屋である。
貧乏、飢えと、いうものがわからない現代にはわからない、
のではないか、と、談志家元などは、前々からいっていた。


どうなのであろうか。
筆者、この「長屋の花見」と冒頭部分が同じである、
「黄金の大黒」を演(や)る。
これは、筆者の素人落語の師である、立川志らく師のものである。
志らく師は、貧乏で食うものもない、という状況を、笑いのなかに
デフォルメして描き、ある種、虚構の世界として
知らぬ間に、聞き手を引きずり込む。
そんな手法であろう。
虚構の世界に引っ張り込めれば、こっちのものである。
後の、大家に付き合う馬鹿馬鹿しさ、その後のトタバタ劇は
充分に、現代でも通ずるものであろう。
(従って、小さん師匠のテープもよいが、
この噺は、志らく師の生で、聞いてみたい。)

たらちね


筆者、この噺も憶え、演ったことがある。
もしかすると、最初に憶えて人前で演った噺かも知れない。
当時は、完全に自己流である。
今思い出すと、随分に、恥ずかしい。
落語のいろは(例えば、上下(かみしも)の振り方※)すら
知らなかった。


キング落語1000シリーズ たらちね 

たらちね、は漢字で書くと、垂乳根、で、ある。
「母」の枕詞(まくらことば)の、たらちねで、あるが、この噺では、
たいした意味はない。


八五郎が大家さんに呼ばれる。
行ってみると、内儀さんを貰わないか、と、いわれる。
だが、世話をしたい、という女性は、京都のお屋敷に
奉公をしていて、言葉がとても丁寧である、と、いうのである。
いい日はないか、と、調べてみると、今日が日がよい。
善は急げ、今日、祝言、ということにしよう、と、また、
急な話で、ある。


夕方に、大家さんが連れてくるが、用事があるといって、
さっさと帰ってしまう。
名前も聞いていない、とりあえず、八五郎は、
名前を聞く。


「自(みずか)らことの姓名は、父は元、京都大内の産
 にして、姓は安藤、名は敬三、字(あざな)を五光。
 母は千代女と申せしが、三十三歳の折り、ある夜、丹頂の鶴を
 夢見てわらわを孕(はら)みしがゆえに、たらちねの体内を
 出でし時は、鶴女(つるじょ)、鶴女と申せしが、それは幼名。
 成人の後、これを改め、清女と申し侍るなり〜」


これを、全部、名前と思ってしまう。
この部分、まるで昨日の「寿限無」である。


暮らしが始まっても言葉が丁寧である。

朝は、
カ「・・・ご飯召し上がって、しかるびょう〜。
  恐惶謹厳(きょうこうきんげん)。」
八「え〜?。おまんま食べるのが、恐惶謹厳かい?
  あ、は、は、は。
  酒を呑んだら、仍って(よ(酔)って)件の如し。


これ、下げであるが、むずかしい。


「恐惶謹言」は、手紙などの最後につけるもので、
恐れ謹んで申し上げる、という意味である。
また、仍って件の如し、は、昔、お上などが下す文書の
やはり、最後につける、きまり文句である。


○○○○、きっと申し付ける者也。仍って件の如し。


こんな感じである。


ともあれ、下げまでやらず、
寿限無”のところまでで、下げてしまう方が多いかも知れない。


このフレーズが可笑しい
と、いうほどでもないのであるが、
前半部分、筆者にはどうしても、可笑しいところがある。


大家さんに、
「器量は十人並み以上で、夏冬の物は持ってくるよ」
といわれると、
「その夏冬のもの、ってのがあてにならないんだよ。
 金太んとこで、内儀さんが、夏冬の物を持ってくるっていうから、
 聞いてみたらね、行火(あんか)と渋団扇を持ってきたってね、、」


この、行火と渋団扇、というのが、どうも、フルッている。


また、その後、嫁に来る前、
待っている間、二人で茶漬けを食うところなどを想像をするシーン。
「内儀さんが、ポーリポリーのサークサクのチンチロリン
 俺が、ゴーツゴツーのザークザクーのバーリバリ」
今、思うと、たいして、おかしくもないが、
子供心に、この音が妙に耳に残っていたのを思い出す。

道具屋


これも、小さん師、あるいは、小三治師あたりであろうか。


小三治特選ライヴ 天災/道具屋

与太郎の噺である。
与太郎のことを書き始めると、長くなる。
談志家元は、「与太郎は馬鹿ではない」。
馬鹿(あるは、知能の未発達な者)として、描いてはいけないと、いう。
本当に、馬鹿であれば、くだらない、駄洒落などいえなかろうし、
ボケたりもできない。いわば確信犯。
多くの与太郎は、仕事を持っていないが、これも、仕事ができない、
のではなく、仕事をしない、ということを選んでいる、
確信犯である、と、いうのである。


余談であるが、クマのPoohさんと、同じである、と、いう。


クマのプーさんの哲学

クマのプーさんの哲学」と、いう本が出ているが、
プーさんも馬鹿、ではない。彼も、なにもしない、ということをしている、
と、いう、確信犯であり、哲学的存在である、と、いう。


ともあれ、落語というもの、なかなか、すごいものである。
それはそうであろう。江戸、明治、大正、昭和と、
庶民によって、100年以上練られた、作品群である。
哲学の域にまで、達していてもなんら不思議はない。

是非、与太郎が出てきたら、こいつは、馬鹿ではない、
と、いう目で、見ていただきたい。
ちょっと、落語が違ってみえると、思われる。
(また、別の噺でも与太郎に触れられるかと思う。)


ともあれ、「道具屋」、である。


与太郎は、叔父さんに呼ばれ、ぶらぶらしてちゃいけない、
道具屋をするように、いわれ、売るものをもらい、売り方を教わって、
道具屋が出ている市に、店を広げる。


まあ、全編、与太郎の駄洒落と、ギャグのオンパレードである。


客「短刀を見せろ」
与「たんと、もなにも、これだけで」
客「短い刀のことだ」
与「これですか、たんとご覧を」
客「銘はあるか?]
与「いあ、姪はないんですよ、新宿に叔父さんがいるんですけど、、」


もちろん、いわゆる駄洒落。
それも、古典の駄洒落である。
実際は、これ、演じ方としては、とてもむずかしい。
知っている駄洒落ほど、普通は、つまらないものはない。


小三治師などは、あの、とぼけた、間(ま)、で、
不思議な、おかしみが出ている。




※上下の振り方:入門編である、普通の方は知らなくとも
まったくよいことではあるが、説明をしておく。


落語では、何人もの人物が同時に登場し、それを演じ分けるが
見ていると、右左に顔を向けて、いる。
これが上下(かみしも)、あるいは、上下を振る、という。
当初、誰にも教わらない筆者は、
かわりばんこに、右左に顔を向けている、と、思っていた。
しかし、落語では、きちんとルールが存在したのである。

例えば、ある、長屋の座敷にご隠居が座っている、とする。
そこへ、八五郎が、入ってくる。


セリフとすれば、
隠「どうしたぃ、はっつぁん。まあまあ、お上がり。」
八「へぇ。どうも、ごちそうさまです。」


で、あるとする。
最初の隠居のセリフは、演者は、右を向いて喋る。
八五郎は、反対の左へ向いて喋る。


演劇、芝居でもいうが、上手(かみて)、下手(しもて)と、
いう言葉がある。上手は客席から見て、右側である。
最初の隠居のセリフ、右を向いて喋るということは、
上手から下手へ向かって喋る、と、いうことである。
日本人の空間認識としては、上座(かみざ)と、いう言葉もあるが
上位のものが、上に座る。
舞台の上手側に、隠居が座っている。ここが、上、である。
外から入ってきた、八五郎は、下手側にいるので
左を向いて、つまり、下手から上手へ向かって喋る、のである。


ご隠居と、八五郎の会話は、このあと、
八五郎が、家に上がり、続いていくが、ご隠居の方が、
ずっと、上座にいるため、上下は変わらない。
しかし、例えば、八五郎が自分の家へ帰る。
内儀さんがいる。こうした場合は、どうなるか。


八「おう。今、けえった。」
カ「今、帰ったじゃないよ。どこ、行ってたんだい」
八五郎、家へ上がる。)
八「あのなあ、今、隠居んとこへ、行ってきてな。、、」


まず、最初の八五郎のセリフは、外から帰ってきたところなので
下手から上手へ、つまり左へ向かって言う。
次の内儀さんのセリフは、家の中にいるので、
右へ、上手から下手へ言う。
そして、次の八五郎のセリフは、座敷に上がり、
内儀さんの、上手に座るので、セリフとしては、
上下入れ替わり、右へ向かって言うのである。


(どうも、文章で書いても、
ほとんどわからないかも知れない、、、。)