浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



その24 これは、常識。「寿限無」「目黒の秋刀魚」「まんじゅう怖い」「時そば」


今日は、有名な、落語、と、いうお題で書いてみたい。
久しぶりに、まったく聞いたことのない人への、落語案内、
らしいテーマである。


筆者を含め、落語をある程度知っている人であれば
知らないはずがない、そんな噺である。


あまりにも有名で、東京で筆者の子供の頃でも、
周りで、知らないものは、いなかった。
説明するまでもない、そんな噺である。


しかし、今、20代の若い衆、それも、東京出身ではない人には
知らない人も多い、という驚くべき、いや、それがあたり前の
状況である。


少なくとも、日本人の常識として、このくらいは、知っておいてほしい。
あるいは、昔は、みんな、こんな噺を、常識として知っていた、
ということ、を、知っておいていただきたい。


取り上げるのは、四席。
寿限無」、「目黒の秋刀魚」、「まんじゅう怖い」、「時そば」、
このあたりでいかがであろうか。


筆者の同世代から上で、東京で育った方であれば、
落語が嫌いでも、完璧に知っている、それこそ、子供でも知っていた。
そんな噺、と、いってよかろう。
(筆者よりも上の世代(40代以上)の方であれば、東京で育たなくとも
知っていらっしゃることと思う。文字通り、国民の常識であろう。)


あまりにも有名である、というのは、どの噺も、わかりやすい、
と、いうことである。
うんちくもなにも、いらない、噺である。

寿限無

ジュゲム、と読む。
最近、子供の間で、これを憶えるのが、流行(はやり)、らしい。


とある、家に、子供が生まれる。
名前をつけなければいけない。
お母さんと、お父さんで名前を考えるが、なかなか、よいものが
浮かばない。
そこで、物知りの、お寺の和尚(おしょう)さんにつけてもらおう、
相談し、お父さんが、お寺に行く。

和尚さんは、どんな名前がよいか?と、聞く。
よい名前、長生きしそうな、めでたい名前がよい、と、お父さんは頼む。
すると、和尚さんは
「ジュゲム、ゴコウノスリキレ、カイジャリスイギョ、スイギョウマツ、
ウンライマツ、フウライマツ、くうねるところ、すむところ、
ヤブラコウジヤブコウジパイポパイポパイポシューリンガン
シューリンガンの、グーリンダイグーリンダイポンポコピー
ポンポコナーの長久命の長助」
と、色々あるが、この中から、好きなものをつけろ、と、いわれる。


お父さんは、選ぶのも面倒だし、全部つけてしまえ、
と、滅茶苦茶なことになる。


この子供が、段々に成長していく。
お父さんお母さんが、子供の名前を呼ぶ、
「ちょいと、お前さ〜ん。
 ジュゲムジュゲム、ゴコウノスリキレ・・・・長久命の長助が、
 歩いたよ〜〜」
「なんだ、ジュゲムジュゲム、ゴコウノスリキレ・・・・長久命の長助が、
 歩いたか〜〜」

学校に行くようになると、喧嘩をするようにもなる。
友達が泣きながら、


友「うえーん。
  ジュゲムジュゲム、ゴコウノスリキレ・・・・長久命の長助が、
  ぶって、こんな大きな、コブができたよ〜〜」


母「あれまあ、たけちゃん、家の
  ジュゲムジュゲム、ゴコウノスリキレ・・・・長久命の長助が、
  そんなことを〜?
  お前さん〜〜
  家のジュゲムジュゲム、ゴコウノスリキレ・・・・長久命の長助が、
  たけちゃんを、ぶって、こんな大きな、コブになっちまったって、、、」


父「おお、家の、ジュゲムジュゲム、ゴコウノスリキレ・・・・長久命の長助が、
  たけちゃんを、ぶって、こぶをこしらえたちまったって、、?
  どれどれ?、こっちへきてごらん、、ん?、、、
  なんにもできていないじゃないか?」

友「名前が、あんまり長いんで、こぶが引っ込んじまったよ。」


と、まあ、こんな噺である。


何回か書いているが、こうした、わけのわからないことを
べらべらと喋る、暗誦をするのを、言い立て、と、いう。
筆者の子供の頃も、ちょっと、落語の好きな子供であれば、覚えて人前で、
いってみたい、と、思うものであった。
特に、技術もいらず、演出もいらない。
ただ、憶えて、喋るだけだが、けっこう、大人からは、
関心てもらえるのである。


筆者、この噺、必ずしも嫌いな噺ではない。
素人ながら、落語をやってみたい、という、原初的な欲求を
思い出させてくれる、そんな噺でもある。

目黒の秋刀魚


先頃、目黒で、「目黒の秋刀魚」祭り、なる、イベントがあった。
目黒の商店街で、秋刀魚の塩焼きを、振舞う、と、いうものである。
(毎年やっている、ような気もする。)
どうも、かなり、馬鹿馬鹿しい、洒落た、イベント、である。


これは、音とすれば、先代三遊亭金馬師のものが売られている。


お殿様が、馬で遠乗りに行った先の目黒。
民家でジュウジュウ炭火で焼いていた、秋刀魚を食わせてもらい、とてもうまい。
四本五本と、夢中で食べてしまう。
その後、好きなものを、注文してもよい、という場面があり、秋刀魚を注文する。
脂と、生ぐさみは、いけなかろうと、蒸して、脂を抜いて、つみれ、になって、
汁ものとして、出てきた。
これはこれは、前に食べたものとぜんぜん違う。
うまくもなんともない。どこで獲れたものかと、聞くと、
房州の本場ものでございます、と。
そして、有名な下げ、
「あー、どおりで、まずいはずだ。秋刀魚は目黒に限る。」


世の中を知らない、お殿様の噺。
時期の秋刀魚は昔も今も、安くてうまい、庶民の味方である。
どこの家でも、七輪で、もうもうと煙を上げて、焼いていた。

先の「寿限無」と比べると噺としては、可笑しいところ、
笑いの量としては、少し、さびしい。
下げの、「秋刀魚は目黒に限る」がすべてかも知れない。

まんじゅう恐い


これは、上方(大阪)のネタかも知れない。
若い者が、集まっている。
「寄合い酒」、「酢豆腐」などもそうであるが、
寄り集まって、馬鹿話しをしている場面である。


と、恐いもの、の話しになる。
それぞれ、恐いもの、をいう。曰(いわ)く、へび、曰く、ゲジゲジ
曰く、蟻、、。
中で、俺は、恐いものなんかない、なんでも持ってこい、
と、威張っている。


そうはいっても、なにか、一つくらい恐いものがあるだろう?
教えろ!、と、詰め寄ると、
まんじゅうが、恐い、という。
まんじゅうの話をするだけで、ガタガタ震えてくる、、、。
あ〜、だめだ、と、隣りの部屋にこもって、寝てしまう。


嫌な奴だから、なんとかへこませてやりたい、と皆で考える。
よし、みんなで、奴に、まんじゅうを見せて、
脅かそう、と、それぞれ、まんじゅうを買ってくる。
そして、奴が寝ている部屋へ、まんじゅうを、放り込む。


と、ガタガタ震えている、か、と、思うと、なんとしたことか、
ムシャムシャ、まんじゅうを食っているではないか。


「おい!、お前は、まんじゅうが恐いんじゃ、なかったのか?
え〜?ほんとは、なにが怖いんだ?」
「あー。今度は、渋〜い、お茶が、一杯、恐い。」


まあ、他愛のない噺、で、あろう。


前半の、それぞれに恐いものを言い合うところが
笑わせどころか。

時そば


落語といえば、扇子や手拭を使った、いろいろな仕草。
中でも、そばを食べる仕草、と、いうのが、
落語を知らない人には、すぐにイメージされるかも知れない。


まあ、その代表、であろうか。


屋台のそば屋。二八そばである。
お代(値段)は、二八の、十六文(もん)、である。
ある男が、屋台のそば屋へ来ると、
ベラベラと、よく喋る、先客がいた。
とにかく、この男、ほめる。
そば屋をほめて、屋台をほめて、丼をほめて、
そばをほめて、、、、。さて、勘定を払う、
という、時で、ある。


「じゃ、ここへ置くぜ。いいかい?。
 ひい、ふう、みい、よー、いつ、むー、なな、やー、
 今、何時(なんどき)だい?」
 (時刻を聞いている。)
「九つで」
「10。11、12、13、14、15、16。」


聞いていた男。
「ん?、あの野郎、なんで、ヘンなところで、時を聞いたんだ?
 おー、そうか。1文かすめやがったんだ。なるほどー。」
感心する。俺もやってみよう。


翌日、別のそば屋を見つけて、
同じ様に、ほめ、(ほめるような、そばでもなく、
竹輪の代わりに、ちくわぶが入っていた、というやつである。)

さて、勘定。
「じゃ、ここへ置くぜ。いいかい?。
 ひい、ふう、みい、よー、いつ、むー、なな、やー、
 今、何時(なんどき)だい?」
「八つで」
「ここの(つ)、10。11、12、13、14、15、16。
 ん?」


と、まあ、前の日と、1刻違っていて、1文、損をしてしまう、
という。まったくこれも、他愛ない。


ほめようと思うが、ほめられない。
2回目のそば屋の、ひどさ、が、笑わせどころであろうか。