浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



その9 商家のこと


さて、先週は「道灌」を題材にして、落語にもっともよく登場する
はっつぁん、横丁のご隠居、そして、その言葉である、江戸弁、
また、落語の主要な舞台である、長屋、について、書いてみた。


今週は、商家(しょうか)、についての基礎知識を書いてみたい。
長屋もよく登場するが、商家も落語にはなくてはならない舞台である。


前に、文楽師のおすすめ、に挙げた、「寝床」は旦那の道楽。
明烏」は商家の若旦那の話し、である。
(そういえば、文楽師の持ちネタには、商家の噺は多いようである。)


現代ではない。まずは、江戸の頃である。
今は、株式会社、であるが、そんなものは、むろんのこと、
制度的にも、存在しない。
基本的には、すべての、ビジネスが個人経営である。
小売、問屋、などなど、すべてである。
士農工商と、武士が頂点に立ち、次が米を作る農民、
そして、工は職人、物を作らない、商人は一番下、であった。


しかしながら、ご存知の通り「越後屋、おぬしも悪よのぉ」で
有名であるが、お金を持っている、商人は実際には
最も羽振りがよく、社会の中心にいたのも事実である。


江戸の大きな商店と、いえば、日本橋駿河町にあった、三井越後屋
(掛売りが普通であった当時、現金商売、掛け値なしで、
一世を風靡した、呉服屋。1673年創業)
http://www.mitsuipr.com/history/echigoya.html


驚くべきことではないか、これは、今の、百貨店の、三越である。
お気付きかも知れぬが、三井越後屋を、縮めて、三越である。
そして、駿河町というのは、今の、日本橋三越本店、の場所。
つまり、場所も、変わっていないのである。
また、三井は今でもある、三井物産三井住友銀行、などなど、
昔は財閥と呼ばれた、三井グループである。


落語にも三井はちゃんと登場する。
「三井の大黒」という噺である。
(これは、名工といわれた左甚五郎(ひだりじんごろう)の噺。
ただの流れ者だと思っていた大工が彫っていた大黒様を、
三井が取りに来て、その男が甚五郎だとわかる、と、いう、
まあ、他愛ない噺である。また、左甚五郎を扱ったものでは、
「ねずみ」「竹の水仙」などという同工の噺がいくつかある。)
(ちなみに、上方では、鴻池(やはり、旧財閥)。
鴻池も落語に登場する。「お神酒徳利」が、代表例。円生師)


商店には、主人がいる。旦那(だんな)である。
基本的には、家であるため男系の世襲
長男が継ぐ。若旦那である。
これが、たいていは、道楽者、と決まっている。
(また、若旦那がいる場合、旦那は、大旦那(おおだんな)、
という言い方もする。)


男の子供がいないと、長女に婿(むこ)をもらう。
同業の次三男だったり、あるいは、店の奉公人(ほうこうにん)で
見込みのありそうな手代(てだい)などから選んだりもする。


こうした婿をもらう娘を、「家付きの娘」などという。
気位(きぐらい)が高くて、世間を知らないわがまま娘、と、
いうのが相場で、とくに、手代から婿になった場合などは
結婚してからも、奉公人扱いで、寝る部屋も別、などというのもある。
(一人娘に婿をもらう噺は、「短命」などが思い浮かぶ。)


手代、という言葉を先に出してしまったが、商家には、
主人の下に、番頭(ばんとう)、と、いうのがいる。
大きな商家では、番頭だけでも何人もいて、
一番偉いのを、大番頭(おおばんとう)。
(先代からの大番頭、などという言い方は、どうかすると
現代の会社でもすることがある。)
複数いると、一番番頭、二番番頭、三番番頭・・・
など、といった。

こんな小噺が、ある。


ある大きな商家に泥棒が入った。
まずはじめに、一番番頭を縛って、次に、二番番頭を縛って、次に・・・・
延々と、何十番番頭まで縛ったら、夜が明けた、、。


たいして、おもしろくもないが、それだけ大きな商家があった、
ということなのであろう。
(三井のことであろうか・・・。)


番頭は主人にはなれない。基本的には、奉公人(従業員)だが、
通い番頭などといって、住込みが基本の商家にあって、
所帯(しょたい)を持ち(結婚し)
外から通ってくることも許される者もあった。
そういう意味では、一人前の大人で、前に書いた、羽織を着て
外出もできるのである。


この番頭の下が、手代。
その下が、小僧(こぞう。関西では丁稚(でっち))。
手代と、小僧は、年季(ねんき)奉公の内である。


貧乏な家の子供は、職人になるか、商人になるか、
いずれにしても、年季奉公に出る。
一度、奉公にあがると、基本的には無給で無休。
休みは、盆と正月の二回のみ。
この休みを「薮入り」といった。


落語にはその名もズバリ「薮入り」という噺もある。
これは、その数少ない休みに帰ってくる子供を待つ、
前夜の親の様子を中心に描いたものである。
先代三遊亭金馬で是非、聞いていただきたい。


噺家の前座修行なども、同様であるが、
商売や仕事を教えてもらうのだから
衣食住の面倒はみるが、無給、と、いうことなのである。


小僧から、手代になり、年季が明けると、番頭になるか、
元(資金)を出してくれて、暖簾分けをしてもらえる。
と、まあ、こんな感じであろう。


小僧といえば、なぜか、落語では、
名前は定吉(さだきち)、と決まっている。
また、小僧には、一応の敬称として、名前にドンを付ける。
定吉は、“定どん”、である。


小僧の定吉もまた、落語にはとてもよく登場する。
小生意気だが、憎めない、小僧である。


ここで、小僧の小噺を一つ。


ある商家に武士が訪れた。
武士「ゆるせよ」
定吉「へい、いらっしゃいまし」
武「いや、物を求めに参ったのではない。
  そこの、水天宮の縁日はいつであったかな?」
定「あ。えーと、、、。確か、五日、六日で」
武「左様か。ご免」
旦那「(店の奥から)定や。お客様か?」
定「いーえ。お客様じゃないんです。お武家様(ぶけさま)がおみえになって、
  前の水天宮様のご縁日は、いっか(何日)だって、聞きますんで」
旦「で、なんていったんだ」
定「五日、六日って」
旦「ばか、九日、十日だ」
定「あ!」
旦「あ、じゃない。早く行って、教えてこい」
定「でも、なにも買ったんじゃないんですよ」
旦「買った買わないじゃない。うちへおみえになった方は
  みんなお客様だ」
定「へーい。
  まったく、やんなっちゃうなー。いいじゃねーかなー。
  

  あー。あそこに、いた。
  えーと。
  弱ったなー。名前がわかんないや、、、。

  
  えーと。向にいく人ぉー、、、たって、みんな向こうへ行くしなー。
  お武家様ぁー、、、たって、一人じゃないしなー。

  
  えーと、、、、、。
  五日、六日の人ぉー、、、、、。五日六日ぁー、、、、。
武「なぬかようか(七日八日)」
定「九日十日」


(これ、下げが、ちょっと、おもしろい。トントン落ちなどという。)



さて、商家の奉公人は、これ以外にもいる。


台所仕事や、主人一家の身の回りの世話をする、女中。
それから、飯炊きをする下男(げなん)。
この飯炊きも、落語では、たいてい、名前が決まっており
権助(ごんすけ)という。
山出(やまだ)しの田舎者である。
権助の登場する噺もまた、1ジャンルとして、存在する。
(これはまた、別の機会に。)


商家の旦那、と、いうと、落語では、
けちの代表として描かれることも多い。


実際に、商家の奉公人の生活というものは、
一般的にかなり質素であったようである。
おかずは、なしで、ご飯(麦飯)に、たくあんと、
実がほとんどない、味噌汁。
「味噌蔵」「位牌屋」などという噺が代表格。「片棒」なぞもそうか。


あまりに質素な食事なので、代表して、番頭さんが
味噌汁に実を入れてほしい、と、旦那にかけあった。
すると、けちな旦那は、
「味噌を擂るすりこ木が、少しずつ減っているだろう、
あれが、味噌汁の実だ」


こんな小噺も、あるが、あながち誇張でもなかったようである。
(ちなみに、蛇足であるが、昔の味噌は、すり鉢で擂って使った。
今ではそんな味噌は、売られていないが、昔の味噌は、麹の粒が
残っており、これをすり鉢で擂る、あるいは、味噌漉し、という
竹の笊(ざる)のようなもので漉して使っていたのである。)


最後に、商家の噺では珍しい人情噺「ねずみ穴」。
手に汗握る、なかなかよくできた人情噺である。
おすすめ、である。


今日は、なにか、小噺集のようになってしまった。
明日は、旦那vs若旦那、でも、いってみよう。