浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



その7「横丁のご隠居」と「はっつぁん」、長屋のこと。


さて、先週はちょっと、堅い話になってしまったが、
ほぼ、これで、落語に関する基礎知識はよかろう。


ここからは、広大なそして、豊かな落語の世界が広がっている。


ご自身で、チケットを買って、誰かの独演会に行ってみるもよし、
そば屋の二階の落語会を探してみるもよし、
寄席をのぞいて見るもよし、誰かのCDを買ってみるもよし。


面白いと思われたものから、たどって行かれればよい。


今日は、そんな時に、落語の世界をよりよく、
わかっていただけるように、登場人物と多くの舞台となる、
「長屋」をご紹介していこう。


前回、前座修行の話をした。
前座に入門して、最初に覚えなければならない噺、というのは、
実は決まっている。


「道灌」(どうかん)という噺である。
初歩の初歩、と、いわれているもの、である。
この噺を例にとって、説明をしてみよう。


登場人物は、二人。


横丁のご隠居と、八五郎、である。
(正確には、この噺にはもう一人、八五郎の友達も出てくる。)
登場人物が少ない、というのは、演ずる側としても、
簡単である。


八五郎、と、いうのは、江戸落語には最も多く登場するキャラである。
引っ張りだこ。いろんな噺に、登場する。


もちろん、同じ人物、と、いうことではなく、
いわゆる、どこにでもいる、普通の男、という、意味である。


なぜか、江戸落語では、だれでもいい、どこにでもいる男の名を
八五郎、と、いうのである。(次に多いのは、熊五郎、くまさん、である。)
今でいえば、山田太郎、鈴木一郎のようなものであろう。


もちろん、彼は、江戸っ子である。
江戸弁を喋る。そして、江戸落語のほとんどが
この、江戸弁で語られているのである。


先ずはじめに、江戸弁のこと。


江戸弁、と、今の東京の言葉とは違う。
今の東京下町でも、普通に落語で使う、昔の江戸弁を
喋っている人は、まず、いなかろう。


このため、落語家に入門すれば、まずは、この江戸弁を
喋れるようにならなくてはならない。


筆者も東京で生まれ育ち、父方は、爺さん婆さんを含め、
代々、今の、大井町あたりの住人であった。
(もちろん、江戸府内ではない。明治でも、東京府荏原郡
という、田舎であったが、、。)


素人落語の師匠である、立川志らく師に最初にいわれたことは、
江戸弁をきちんと喋れ、ということであった。


今、仕事の会話はもちろん、家での会話も、
いわゆる江戸弁を振り回してはいない。


しかし、夫婦喧嘩でもすれば、かなり、きたない言葉になる。
喋ろうと思えば、喋れているつもりであったのである。
しかし、どうしてどうして、そんな甘いものではなかった。
聞く人が聞けば、違うのである。
やはり、伝統芸能である。このへんは、大切なところなのである。


江戸弁と、いうと、どんなものを想像されるであろうか。
まずは、「ひ」と「し」が一緒、などということを思い浮かべられるかも知れない。
筆者の爺さん、婆さんなどは、明治生まれであるが、
やはり、「ひ」と「し」は一緒であった。
(正確にいうと、「ひ」を「し」に近い音で発音するのである。
「おしるごはん」であるし、「あさししんぶん」である。)


しかし、これだけではなく、江戸弁というと、いろいろな
特徴がある。
早口、巻き舌でまくし立てる、と、いったもの。


これだけで、地方出身で、若い方は、何を言っているのかわからない、
と、いう方も、少なくはなかろう。


こればかりは、仕方がない。慣れていただかなければならない。
まあ、同じ、日本語である。しばらく聞いていただければ、
そのうち、わかるようになって、いただけよう。


また、左官のことを、シャカンと発音したり、
大工の棟梁、標準語では、トウリョウと発音するが
江戸弁では、トウリュウ、と発音する、などなど、
江戸弁にしかない語彙、なまり、というものも、意外に多い。
このあたりは、おいおい、どこかで触れることもあろう。


今は、登場人物の話である。


さて、その、江戸っ子の八五郎、通称「はっつぁん」である。
この男、「道灌」では、まず、先に述べた、もう一人の登場人物である
「横丁のご隠居」なる人物のところへ行くところから、
噺が始まる。


ちょっと、噺の頭を、書き出してみる。


ご隠居「どうしたい、はっつぁん。まあまあ、お上がり」


八五郎「へえ。どうも、ごちそうさまです」


隠「なんだいごちそうさま、ってな」


八「だって、今、まんま、おあがり、って」


隠「いや、まんま、おあがり、じゃぁない。
  まあまあ、お上がり、って言ったんだ」


八「なんだ、まんま、おあがりじゃないんだ、まあまあ、おあがり、かぁ〜〜〜
  がっかり・・・・・・。」
(演出としては、かなりがっかりした様子で、首を垂れる。)


隠「そんなにがっかりしなくても、いいがな、、、。」


始まりは、こんな様子である。


落語では、よっぽど、かわった人物以外は、
キャラクター説明などはしない。
これも、知らない方には、わかりにくくしている、原因の一つであろう。


八五郎の方は、若い江戸っ子の男、である。
ご隠居はお爺さんである。
この程度は、そのように演じるため、
聞いていればある程度わかるかと思う。
(断っておくが、お爺さんではあるが、八五郎のお爺さんではない。
赤の他人である。)


そして、この舞台はどこなのか。


舞台は、長屋(ながや)、である。


長屋、が、わからない。


今でいう、アパート、のようなもの、である、といえば、
まだわかりやすかろうか。


裏長屋、などともいう。
多くは平屋(一階建て)で、部屋数は三間程度。
(二階建て、という長屋もないわけではない。)
アパートのように、同じ建物に、何軒も入っている。
隣りの部屋とは、壁一枚、である。


隠居の住んでいる横丁とは、表通りに対して、横丁である。
いわゆる、路地を入った、ところに建てられている。


大きな商店などが大家(おおや)さんである。
表通りに面したところに、大家さんの店があり、その店の脇が路地。
その路地を入っていくと、大家さんの店の裏。
その裏に、長屋は建てられていた。そんな位置関係である。


このご隠居なる人物は、そんな長屋に住んでいる。
隠居というくらいであるから、息子に家を譲り、引退した爺さんである。


本当に、お金のある隠居であれば、こんな長屋に住んではいない。
根岸なんぞに、いわゆる、隠宅を構えて、などという絵が思い浮かぶ。
(そんなご隠居も落語には、登場する。「茶の湯」と、いう噺である。
余談であるが、これは誰がやっても、面白い噺である。)


と、すると、そこまでの金はないが、
子供から、生活費くらいは、送ってもらって、
いわゆる、悠悠自適の暮らしをしているのである。
(お婆さんがいる場合もあるし、一人暮らしの場合もある。
変わったところでは、「野晒し」のご隠居は元武士、釣りが趣味で
一人暮らし、なんという、のもいる。)


「横丁のご隠居」と「八五郎」はなぜか、友達である。


この「道灌」の中でも、説明していたりするのであるが、
八五郎」は若い職人であるが、この隠居と、不思議と気が合う。
ちょっと、ひまになると、隠居のところに、油を売りに来るのである。
(大抵は、なにかを聞きに来る。そして、適当に聞いて、
失敗をする、というのが、落語の常套手段である。)


また、先の、噺の始めに戻り、
ここでの、二人の、位置関係をちょっと説明をしておこう。
これは、落語のかなりの多いパターンである。


隠居が「どうしたい、はっつぁん。まあまあ、お上がり」と、言っている。


隠居は、先の長屋の座敷に座っている。
長屋の戸は、板戸か、腰障子(こししょうじ。上半分が障子になっている戸)。
これを、ガラッと、開けて、八五郎が入ってくる。

入ったところは、土間である。
多くは、この土間に、流しと、竈(かまど。へっつい、などともいう。)
があり、台所になっている。


そして、2〜3畳の板の間があり、座敷。
隠居は、ここにいるのである。


そして、八五郎が、座敷に上がって、噺が始まる。


長屋について、ついでである。もう少し、解説をしておこう。


長屋には、あたりまえであるが、電気もなければ、ガスもない。
水道もなく、水は、共同の井戸。
汲んできた水は、陶器の大きな瓶(かめ。みずがめ)
に入れて使った。
(深川など、水の出ないところでは、
水自体を、売って歩く商売があった。
落語にも「水やの富」なんという噺もある。)


また、便所なども、共同。
(これはそとにあり、外後架(そとごうか)、などといった。)


そして、路地の行き止まりには、その長屋用の、
共同のごみ捨て場があり、これは、ハキダメ、などといった。


こんなことを思い浮かべながら、落語を聞いていただければ、
少し、入りやすいかも知れない。


長屋。実際にご覧になりたければ、
墨田区白河にある、深川江戸資料館が、おすすめである。

ここは、実物の長屋を、再現しており、実際に
座敷に上がってみることもできる。