浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



その4 円生で三席


さて、昨日に引き続き、断腸亭落語案内。
昭和の三名人、入門編、である。
トリは、圓生師、である。


円生の録音室 (中公文庫)
(これはイメージです。)

三遊亭圓生


圓生は旧字で、円生。


1979年、昭和54年になくなっているため、
今、30歳以上の方は、リアルの円生師を知っているかも知れない。


ちょうど、円生師が他界した日、上野動物園の、初代パンダの
ランランも死んでいた。
新聞の記事では、パンダのランランの方が大きかった、
というのが、落語ファンの間では、語り草になっている。


落語には歌舞伎ほどの「家」、もしくは、系統、というのが
ない、ように思われている。事実、あれほどの格式は、ない。


そうはいうものの、落語界にも、若干の流れ、系統、の、ような
ものは、存在するのである。


円生師は他の二人と比べると、系統としては、正統派で、本流である。
落語家の名前の苗字にあたる部分、(亭号、などと、いう。)
「三遊亭」「柳家」「桂」「古今亭」など、いろいろある。
この、「亭号」と系統は、名前の貸し借りなどもあって、
必ずしも、一致しない場合もあるのだが、
その大きな系統の一つが「三遊亭」である。
「円生」はその「三遊」のいわば、本家の惣領(そうりょう)格の名前で、
円生師は、「三遊亭」の親分、リーダーであった。
(この落語家の系統については、長くなるので、また、ゆっくり
書いてみたい、ここではこのくらいにしておく。)


こうした背景もあり、円生師も、持ちネタは、抜群に多い。
また、「三遊」の得意な、(正確にいうと、お家芸である。)
人情噺、怪談噺、などもやる。

そんな中で、三席。
難しい選択である。


「包丁」「死神」「盃の殿様」


で、どうであろうか。
やはり、落語入門編、としてのおすすめの三席である。


「包丁」
やはり、この噺は、この人以外にはなかろう。
円生の「包丁」は絶品である。


とある男Aが、よからぬ友達Bに、町で久し振りに会い、
儲け口がある、と、そそのかされる。
その友達Bは、今、住んでいる女(小唄の師匠)と別れ、さらに、その女を
売って、山分けにしよう、というのである。


金に困っていた男Aは、引き受ける。


計画は、男Aを、いわゆる、間男(まおとこ)として入り込ませ、
そこに、男Bが帰ってくる、現場を押さえた、ということで
「とんでもねぇ、やろうだ!」と、いって、売り飛ばす、、と、いう
とんでもないものである。


この噺の聞かせどころは、やはり、芸達者、円生師の、歌、である。
噺の中に、唄をうたう部分がある。滑稽さだけではない、別の芸を
見せられる部分、でもある。


粋な、芸を聞かせる噺、と、いってもよいであろう。


しかし、そうはいっても、結構、可笑しい噺でもある。
さほど長くもなく、聞く側は、特に構えることもなく、
軽く聞ける噺でもあるかと思う。


●この噺の、このフレーズが、可笑しい。

「めんどうくせいから、出しましょう」


「死神」
この噺、いろんな人がやっている。
小さん師、小三治師、現代では、志らく師、などなと、
いろんな人があり、それぞれに、工夫をし、それぞれに、面白い。


この噺、作者は、三遊亭圓朝。明治時代に作られたものである。
圓朝については、また、別に述べねばならない。)


ちょっと、落語らしくないともいえる、ストーリー展開である。
グリム童話を下敷きにしている、という説もある。


ある男に、死神が取り付く。
なぜか、自分に取り付いた、死神が見えてしまう。


死神は、男に、儲けさせてやる、という。
どうするのか?まずは、医者になれ、と、いう。

患者の家に行き、治らない、患者であれば、死神が、枕もとに座っている。
治る患者であれば、だめだが、足元にいれば、呪文を唱えれば、
死神はいなくなり、患者は、全快する。
治らない患者は、あきらめなさい、いって、手を引け、と、いう。


さて、半信半疑で、やってみると、これが結構うまくいき、
名医として、評判も上がり、随分と、儲かる。


と、ある日、患者の家へ行ってみると、枕もとに死神がいる。
「まことに、残念だが、これはもう手遅れです」


と、いつものように、いうが。


「いえ、そこをなんとか、お金ならば、いくらでも出します、
百両、いや、千両でも、、、、
なんとか、お願いします、、、」


と、強引に頼まれ、引くに引けなくなり、
男は、一計を案じる。

夜中、枕もとに座っている死神も、疲れる。
死神が、うとうと、としたところで、布団を、寝たまんま上下を入れ替え、
枕もとを足元に、足元を、枕もとにしてしまう。
そして、すかさず、呪文を唱える。


これが見事に成功し、死神はいなくなり、患者は全快し、
大金を手に入れる。


すると、また、どこからともなく、最初の死神が現れ、
とんでもないことをしてくれた、と、いきなり、暗いところへ
連れて行かれる。


そこには、一面、火の付いた、ろうそくが置かれている。
これは、みな、人の寿命である、と、いう。
そこで、男は、ある、残りわずかで消えかかっている、
ろうそくを見せられ、これはお前のだ、と、死神にいわれる。


お前は、本当であれば、寿命は、まだまだ、あったのだが、
あんなことをしたから、助けてやった患者の寿命と
お前の寿命を交換することになってしまったのだ、と、いう。


さて、この男、どうなるのか、、、、、


それぞれ、下げは、いろいろな、形がある。


落語としては、ちょっと、バタ臭い感じもあり、異色な噺でもある。


しかし、先に述べたとおり、「三遊」の噺でもあり、
まずは、円生師で、聞いて欲しい噺である。


「盃の殿様」
落語をご存知の方であれば、まだまだ、あるだろう?
そんな声が、聞こえてきそうである。


短い噺なら、掛取漫才、花筏鰍沢、、、
長い噺なら、ちきり伊勢屋、お若伊ノ助、居残り佐平次、転宅、、、
マニア好みで、おかふい、、、、。


そんななかでも、円生師の、「盃の殿様」は、よい。


「三遊」といえば、
ストーリーテラー圓朝からの長い噺や、芸をみせる噺が
本領であると誰しも思う、のである。
しかし、いや、むしろ、だからこそ、と、いうべきか、
肩の力が抜けた、円生師の、こんな噺が、どうしようもなく、
可笑しいのである。
(これも、決して、短くはないが。)


殿様が、吉原の花魁(おいらん)に入れ上げ、
参勤交代で、国許に帰っても、盃のやり取りを、したい、と、いう。
家来に、自分の呑んだ盃を、300里離れた、江戸吉原まで、
特急で、運ばせる、、なんという、かなり、ばかばかしい噺。


長い録音よりは、短めのものがよい。
Sonyの円生百席は、スタジオ録音でもあり、長く、
入門編としては冗長で、おすすめしない。
多分、途中で飽きてしまわれると思う。
今は手に入りにくいかも知れぬが、
昔の、アポロンのテープ(38分程度)などがよい。)


●この噺の、このフレーズが、可笑しい。

「エッサッサー」