浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



両国・山くじらすき焼き・ももんじや その1

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3977号

11月27日(土)夜

さて。

今日は、内儀(かみ)さんの希望で、
両国の[ももんじや]。

言わずと知れた、猪鍋の老舗。

やっぱり、一冬に一度はきたい。
が、昨シーズンはやはり、これなかった

しかし。日本のコロナはどうなったのであろうか。
欧米、アジア含めて、また増加に転じているのに。
新たな変異株も現れたようで、いずれ再び増加に転じる
のも時間の問題かもしれぬ。
今のうち、か?。

ともあれ。
昼、予約のTELを入れる。
予約はコースのみというので、6,600円の
ものを頼む。

17時なので、15分前に出てタクシーで向かう。

この時刻になるともうだいぶ寒い。

両国橋を東に渡って、すぐの右側。

店頭に、これ。

やっぱりグロい。

前回きた時にはもうこうであった。
以前は、コンクリートの背景にただぶら下げてあった
と思うのだが、もっとグロかった。

墨田区の案内札がたっている。
享保3年(1718年)創業。
当初は豊田屋という漢方の薬屋であったという。
薬として、猪肉を売り出し、人気になり、
料理やに商売替えをしたとのこと。
東京の料理やでも、享保の創業というのは、
かなり古い方ではなかろうか。

廣重 江戸名所 東両国豊田屋

雪の両国橋に山くじらの大きな看板。

この店のマッチの箱に今も使われている浮世絵。
広重の江戸名所シリーズで、幕末、安政の頃からのもの
だが、この絵は正式なシリーズに入っているものではなく、
この店が宣伝用に描いて、刷ってもらったもの
のようである。(同じ、雪に、山くじらの看板が
ある「びくにはし雪中」 という二代目広重のものがあるがこのアレンジか。)

江戸期には、基本獣肉食はタブーであったのだが、
なにかと理由を付けて食べたい人は食べていたのであろう。
落語でも「二番煎じ」は猪鍋を食う噺。
また、南九州の豚肉食、あるいは彦根藩の牛肉など
地域によっては食べていたところもあったのか。
どこで、どのくらいの人が食べていたのか、
本格的に調べたことがないので詳細はもう一つ
わからないのだが。

ここは、猪肉の鍋が看板だが、専門店ということではない。
鹿肉、狸などなど他の獣肉も出す。
ももんじとは、百獣と書いて獣肉の総称。

山くじらといっているのは、獣ではなく、
山に住むくじらであるという言い訳。
くじらは、魚、なのである。

ともあれ。

入って、名前を言って、二階へ。

左側の廊下、一番奥の座敷。

座る。

窓が換気のために開いているので、寒い。

が、やっぱり最初は瓶ビール。
ここは墨田区らしく、スーパードライ

先付け、猪の脛(すね)肉の煮込み。

コースでなくともいつも出る。
こんにゃくなども入っているが、
ちょっと甘めの味噌味で乙な味。
これだけでも、もっと食べたいもの
ではある。

次は前菜。

鹿肉のローストと猪のチャーシュー。

どちらもなかなかよい火の通し具合である。
流石のプロの仕事。
鹿は脂のない赤身。
猪は脂身がよい。

鍋がきた。
浅い鉄鍋に出汁が張られ、真ん中に味噌、
らしきものがこんもりと沈んでいる。

肉とザク(野菜類)。

お姐さん?、若女将?が説明してくれたが
ここの猪肉は、丹波のものとのこと。
昔からそのようだが、知らなかった。
つまり、養殖されたものではなく野生のもの。
これがうまい、とのこと。
狩猟の期間は冬で、一度冷凍したものを
使うよう。寄生虫などを考慮してのことで
あろう。それで狩猟期間外の夏も食べられる。

猪肉というのはおもしろい。
脂の入り方は豚とは随分と違う。

豚とイノシシは種としては近似であろう。
イノシシを飼っているうちに、豚になる?。
人間と豚の付き合いは古く一万年になるよう

飼ってなん代か経つと、イノシシも毛が抜けて
豚に近くなる、というのも聞いたような
気がする。
おもしろいものである。

お姐さんが肉から鍋へ。

 

つづく

 

ももんじや

墨田区両国1-10-2
03-3631-5596

 

 

 

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御徒町・中華・珍萬

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3976号

11月22日(月)夕

飛び石のはざま。

一日、雨。

ちょっと久しぶりではなかろうか。

寒い。

夕方、食事に出る。

なにを食べるか、これ、というものが
思い浮かばないのだが、たどり着いたのが、
御徒町の[珍萬]。

書いたことがあったように思うのだが、
見つからなかった。

町中華といってよいだろう。

そこそこの有名店。
よくTVなどにも出るのか、行列のこともある。

ただ、実際のところ並ぶまでではない。
もちろん、十分うまい、のではあるが。

なんたって、場所がよい。
ほぼ御徒町の駅前といってよい。

どうも最近、町中華町中華と騒がれすぎ
のようにも思う。
当初は私も、個人経営の町の中華や、というのは
滅んでしまうのではないか、とも思った。
だが、意識してみると、意外に、ある。

多くは、高齢の夫婦でやっている。
長年やっているのだから、ちゃんと、うまい。
そして、今もちゃんとお客がついている。
でなければ続かないはずである。

ただ、やっぱり、高齢なので先は心配。

今、若い人が、“町”中華を始めよう、
あるいは、継ごうとは思わなさそうではある。

一方、町中華がチェーン化したものも、
随分ある。
餃子の王将(京都・大阪)][幸楽苑][日高屋
福しん]、、。
安い、うまい、が看板であろう。
京都王将]はたまに入るが、ばかにはできない。

餃子、ラーメン、チャーハン、天津丼等々。
要は、町中華メニューである。

つまり、これらのメニューは超身近で、
需要は多く、決して滅びない。

私が、路麺と呼んでいる、個人経営の
立ち喰いそばは、徐々に減って、この上野、
浅草界隈でも、もはや風前の灯。
レッドリストであろう。
ただ、数は少ないが、若い二代目が受け継いで
いるところも、なくはない。

路麺も町中華も数は減っても、生き残る、
のかもしれない。
チェーンにはない、味がちゃんとある。
お客は、ちゃんといるのだから。

個人経営の立ち喰いそば、路麺は、戦後に
できている。昭和20年台、30年台。
今ある、町中華の多くも戦後であろう。
共通している。

ここ、御徒町[珍萬]も戦後すぐ昭和25年(1950年)。

御徒町駅北口から春日通りを西へ。
一本目の路地を左に入ってすぐ。

雨なので、長靴を履いて、傘をさして
バスできた。
17時台。

外の看板には、タンメン、餃子と書かれている。

最初に入ったのは、やはりこの看板に
魅かれたから。

餃子ではなく、タンメンの方。

タンメンというのは、どう考えても町中華
No.1ではない。それを看板に書くというのは、
よほど人気があり、自信があるのだろう、と
思ったのである。

実際に食べてみると、オーソドックスにうまい、
のではあるが、電車に乗って食べにくる、
ほどではない。

ともあれ。
入ると、天気のせいかそう混んでもいない。
カウンターの端に掛けて、ビール。

どうも、ここでは、タンメンと餃子以外、
頼みずらいのが、不思議。
吸い寄せられるように、頼んでしまう。
ちょっと太麺の焼きそばも知られている
のではあるが。

オーダー間違いでもあったのか、なぜかすぐにきた。
餃子。

ビールはキリンラガーだが、珍しい大瓶。

皮が手延し。

もちもちで、うまい。
アメ横ガード下の[昇龍]もそうだが、餃子の皮は
やっぱり手延しにはかなわない。
食べ応えであろう。

そして、タンメン。

麺。

麺も、野菜もスープも、特に変わった
ところのない、タンメン。

ただ、それがよい。
それでよい、うまい、たんめん。

うまかった。
ご馳走様です。

 

 

台東区上野3-28-10
03-3831-8801

 

 

 

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赤酢の酢飯で小肌のにぎり、おぼろ入り その2

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3975号

引き続き、小肌のにぎり。

昨日は小肌を〆て、夜中冷蔵庫に入れた。

そして、今回はただの小肌のにぎりでは
おもしろくなかろうと、おぼろも作ってみる
ことにした。

翌日、吉池にきてみた。

運よく、芝海老があった。
佐賀産。これはずばり有明海であろう。

それから、白身
たら、などでもよいのだろうが、生はなく甘塩しかない。
鯛、平目、、、刺身用、、、?。
たくさんあってもしょうがない。
サクではなく、一人前、数切れのもの、これでよかろう。

帰宅。

おぼろというのは、作ったことはない。
ただ、先代の柳橋[美家古寿司]の親方が
写真入りであったと思うが書かれたものを
読んだことがあった。
これによれば、確か小鍋で小さなすりこ木のような
棒で叩きながら作っていた記憶がある。

芝海老と鯛の刺身。

鯛は愛媛の養殖。

まず、芝海老をむく。

吉池にほほ定番であるが、いつもは
そのままから揚げで、むいたことはない。

年も取り、こういう細かい作業はめんどうで、
できればやりたくないのだが、このくらいの量であれば、
まあ、がまんの範囲。

頭を取り、足も取り、皮をむく。
意外に、たくさんとれた。
包丁で先に細かく切る。

鯛の刺身もみじん切り。
小鍋ではなく、フライパンへ。

芝海老の方が量は多め。

まずは、加熱。
火が通ってきたら、小さなすりこ木で潰す。

なかなか、気長な作業になりそうである。

一度、あたり鉢に取り、あたってみる。

なん回かに分けて。

潰すと同時に、水分も飛ばす感じであろうか。

ある程度、潰れてきたので、
もう一度、フライパンにもどす。

弱火で加熱しながら、なおも潰す。

まだ、小さな粒はあるが、だいぶそれらしくなったか。
砂糖も入れる。

さらに、叩きながら、潰す。

こんな感じであろうか。

完全に粒がなくなってはいないが、このへんで
よしとしよう。

飯を炊き、いつものように、赤酢の酢飯を
作る。

二合を炊いて、蒸らし8分。

一合を飯台に取って、鮨酢をまわし入れる。

鮨酢もいつものように40cc。
赤酢:透明な穀物酢、7:3~8:2。

まわし入れて、しゃ文字で切るようにしながら
よく混ぜる。
温度が下がってきたら、すぐにやめる。

置く。
ここも8分。
タイマー。

置いている間に、ラップで包んで冷蔵庫に入れておいた
昨日の小肌を出して、切る。

半身にぎり一つ。
飾り包丁を三本、ちょっと入れてみる。

おぼろをはさむので、わさびはいらなかろう。

裏におぼろを置いて、

にぎる。
おぼろをはさむ、といってもほんのちょいと、
である。

四つ。
上から、しょうゆをたらす。

アップ。

ちょっと強めににぎると飾り包丁が生きる。

おぼろをはさんだ効果というのは、
大幅なものではないが、これがうまい。

酸味の小肌の酢〆と少し入った甘いおぼろが
よく合う、のである。

乙なもの、ではなかろうか。

自己流であるが、初めてにしては
まあまあ、ではなかろうか。

 

 

 

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赤酢の酢飯で小肌のにぎり、おぼろ入り その1

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3974号

11月20日(土)~

今日も日が出て、よい天気。
気温もちょうどよい。

例によって、吉池。
15時頃。
今日は、久しぶりに、赤酢の酢飯でにぎりの鮨
にしようと考えた。

土曜なので、随分の人。

お!。
珍しい。

開いた小肌があった。
いつもあるのだが、大方は昼までに売り切れているようで
午後、のこのこ行ってもお目にかかれない。
土曜なので、少し多めに仕込んだのか。

一枚80円。

四枚購入。

帰宅。

これ。
いつも、熊本産なのだが、静岡産は珍しい。
私は初めて見たかもしれぬ。
静岡のどこであろうか。
調べると、どこということはなく、駿河湾御前崎
沿岸どこでも小肌は獲れるよう。
あまり組織的に漁獲、出荷されていないのかもしれぬ。

小肌酢〆は、二日仕事。
食べるのは、明日ということになる。

まずは、洗う。

新聞を敷いて両面とも塩。

身側にはたっぷり。
身側を上にして並べる。
これはセオリーであった。

これで、二時間。

だいぶ水が出た。

これを水洗いではなく、酢洗い。

この酢は赤酢ではなく、透明な普通の穀物酢。
酢〆はこれにしている。
ほんとは赤酢でもよいのだろうが、ちょっと
もったいないので、赤酢は酢飯だけ。
赤酢で〆ると、どんなことになるのか。
今度やってみようかしら。

水と半割の穀物酢に漬ける。

半割にするのは塩抜きも兼ねている。
酢〆というのは実際のところ、その科学的
カニズムは私はちゃんと理解していない。

塩をして、水分を抜く。これを酢に漬けて、
酢漬けにする。これが酢〆なわけだが、きつく
塩をすればするほど、酢に漬けても、塩分は残る。
それで塩抜きをする、というのだが、また真水に漬ける?。
とすると、もとに戻ってしまうように思うのだが、、。
その後、干す?。そして酢に漬ける?。

すると、とある有名板前氏のレシピにこの半割に
漬けるというものがあった。
これで、塩も抜きながら、酢を入れる。
どうも、そういうことなのである。
浸透圧なのであろうが、よい感じに酢〆ができる。

そもそも、酢〆、ってなんであろうか。
酢漬けとは、違う、のはなんとなくわかる。
欧州などににしんの酢漬けがある。
魚を酢に漬けると、酢漬けになるのだろうが、
1日程度では漬からなかろう。
また水分も多そう。
欧州の酢漬けと日本の酢〆は違うものだろう。

それで、なのか、先に塩をして、酢に漬ける?。
たぶん、そういうことなのだが、、、、。

誰か、このメカニズム、科学的に説明して
くれないだろうか。

ともあれ。ここも同じ二時間。

こんな感じになる。

あげて、ペーパータオルでふく拭き取る。

このまま、干す。

先日[弁天山美家古寿司]でも言っていたが、鯖でも
小肌でも、江戸前仕事は、漬けた後、一晩干す。
漬けてすぐは、まだ、うまくない。
適度に水分が抜けるのと、熟(な)れる、ということが
ありそうである。
ただ、水分が抜けすぎてもいけないので、
注意が必要。

夜中、ある程度乾いたので、ラップをして、冷蔵庫へ。

さて、寝ながら考えた。
いつも通り、ただの小肌のにぎり鮨では、おもしろくない。

それで、表題の、おぼろを思い付いた。
やっぱり先日の[美家古寿司]で食べた。

江戸前仕事では、おぼろというものを使う。
まあ、でんぶ、のようなもの。
若い人は知らないかもしれぬ。でんぶは子供の頃に
かなり一般的であったと思う。
鮨やのおぼろは巻物に入れたりもするが、小肌や
海老のにぎりにはさんだりもする。
女性向なのかもしれない。

ものとして、なにかというと、白身魚や、芝海老の
身をほぐし、甘くしたもの。
白身や海老のほぐし身は、江戸前仕事の玉子焼き
などにも入れる。

おぼろ、やってみようか。
翌日、またまた、吉池にきた。

 

つづく

 

 

 

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上野そば翁庵/稲荷町洋食ベア本店

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さて、今日は二本。

3973号

11月16日(火)第一食

上野そば[翁庵]

このところ秋らしいよい天気が続いている。
今日も、雲はあるが日が出ている。

ただ立冬もすぎて少しずつ、気温は下がっているよう。
上野公園の紅葉、黄葉も進んできている。

銀杏などの葉が真っ黄色になるのももう少し、
なのであろう。

一杯呑んで、そばにしようか。

で、あれば上野警察前の[翁庵]。

ねぎせいろで呑める。

16時半頃。
暖簾を分けて、入る。

満席ではないが、この時刻でもそこそこ
埋まっている。

一つのテーブルに掛けて、お酒ぬる燗と、
ねぎせいろと、頼む。

まだ、ぬる燗でよいだろう。

隣のテーブルで、ビールを呑んでいた高齢男性の
グループが、熱燗!、と叫んでいる。
七十恰好、団塊あたりであろうか。
そうなのである。
この世代はもう既に、燗酒=熱燗という認識、
なのである。

毎度書いているが、燗酒の最もうまい温度は
熱燗ではない。上燗、あるいは適燗。
ただ燗酒が呑みたいのであろう。
湯気が出るほどの、熱燗はやめた方がよい。

お客は、熱燗ではなく、ただお燗して、といえばよい。
そう言われた店は、黙って上燗を出す。
これが正しい姿であると思うのだが。

皆さん、なにも考えずに、熱燗!と叫ぶのは
やめようではないか。

ぬる燗がきた。

ここはいつも枝豆。

お姐さんが、おそばもうお作りしてもよろしいですか
と、聞いてくれる。
そばや、というのは、一緒に頼んでも、こういう
心遣いをするものであった。
こんなことも知らないそばやのお姐さんが、
もはや多くなっている。
こんなところも、ここが好きな理由である。

ねぎせいろがきた。

呑みながら、つけ汁にひたったねぎといかの入った
小さなかき揚げをつまむ。
これが、よい。
ちょいとした、天ぬき。

そばも、たぐる。
新そば、か。
壁に、貼り紙がある。

いつもここのそばは、もっと緑色が強いような
気がする。おそらく、色を付けているのだろう。

今日のそばは、心持緑ががってはいるが
そばの色に近いか。
この時期は、ほんとの新そばで、ナチュラルな色
なのではあるまいか。

ともあれ。
うまいそば、で、ある。

勘定をして、出る。
ご馳走様でした。


台東区東上野3-39-8
03-3831-2660


11月17日(水)夕

稲荷町洋食[ベア]本店

今日も、夕方、呑みながら、、と考え、
洋食やの稲荷町[ベア]。
17時すぎ。

昼くることが多かったのだが、段々、第一食が
遅くなり、夜の営業開始に合わせてきた。

もう、二人ほどお客は入っている。

なににしようか。
揚げ物、と思ってきたのだが、
ランチメニューにもなっているカキフライ
定食にしよう。

ビールと、カキフライ定食!。

ビールがきた。

ここで、ビールを呑むのは初めてかもしれない。
スーパードライ
いつも家でも、外でも、キリンラガー一本で
アサヒスーパードライは滅多に呑まない。

洋食やなのだが、お通しが昆布の佃煮
というのは、おもしろい。

つまみながら、呑む。

呑んでいると、カキフライもきた。

これこれ。

アップ。

とにかく、大きいのである。

もはや、この店の看板なのではなかろうか。
かなり力が入っている。

ランチのNO,1であるし、イチオシ、なのであろう。

うまい、うまい。

ご馳走様でした。


03-3831-6430
台東区東上野2-2-9

 

 

 

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麻婆豆腐

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3973号

11月16日(火)夜

さて、麻婆豆腐、で、ある。

少し前から麻婆豆腐が食いたかった。

むろん外でも食べるし、定期的に作ってもいる

ちょっとカレーに近いポジションかもしれぬ。
皆さんはどうであろうか。
きらいな人というのも少ないのではなかろうか。

今日は、いつもと少し変えようと考えた。
むろん、よりうまい麻婆豆腐を作るにはどうしたら
よいか、なのである。

書いている通り、いつも豆チ(豆偏に支)は使っていない。
日本の八丁味噌を代わりにしている。
豆チは麻婆豆腐のレシピには必ず出てきていた。
しかし、豆チというのは、使いにくい。

そもそも豆チというのはなにか。
豆の形が残った八丁味噌
ただ少しにおいが強い。

豆チは豆の形が残っており、
多少乾燥もしているので、溶けにくい。
そういうものなのかもしれぬが、どうも使いにくい
のである。随分以前に使ってみたが、続かなかった。

今回は豆チを使ってみようかと考えた。

アメ横に捜しに行く。
アメ横ビルの地下である。
東京で一番、エスニックなショッピングモール?。
ここはどこの国?という感じのところ。
あそこへ行けばあるだろう。

しかし、で、ある。
きてみたのだが、豆チ、はない。

近そうな中華調味料はたくさんあるのだが、
豆チそのものは見当たらない。

なにか使えないかと、おもしろいので、
2種ほど買ってみた。
それから豚挽き肉、豆腐、ねぎ、生姜も買って帰宅。

アメ横で買った黄豆醤というもの。

それから豆瓣醤というもの。

店番をしているお兄ちゃんに中国語で値段を
言われてしまった。日本人など買わぬもの、
なのであろう。ちなみにどちらも100円。
高いのか安いのか、よくわからぬが。

黄豆醤というのは、やはり豆を発酵させたもので
麻婆に使ってもよいよう。
豆瓣醤というのは、どうも豆板醤のよう。
豆板醤は日本では四川の唐辛子味噌のことを一般に
指すと思うが、これは四川豆板醤といって別に
売っていた。唐辛子の入らない豆板醤があり
これのよう。

そして、豆チも調べてみた。

すると、まるで知らなかった。
豆チ醤というのが今は出ているよう。
やはり使いにくいので、使いやすい調味ペーストに
してあるもの。
これであれば、中華調味料の大手二社も出しており、
スーパーにもありそう。
再度近くのスーパーに買いに出るとやはりあった。

これ。

ユウキのもの。
ちょっとなめてみるとかなり塩味が強い。
元々の豆チの塩味なのであろう。

作る。
と、いっても、いつもの八丁味噌を豆チ醤に
かえるだけだが。

豆腐は賽の目に切って、湯に入れ弱火にしておく。
にんにくは潰し、生姜をみじん切り。
中華鍋を熱し、炒める。

“四川”豆板醤も。

香りを出して、

豚挽き肉も。

しっかり脂が出るまで。

甜麺醤を入れ、肉によく味を馴染ませる。

ここにお湯、味覇、粉の赤唐辛子、しょうゆ、沙茶醤、
紹興酒、ラー油、そして豆チ醤。豆チ醤はそこそこ
多め。

味見。
豆チ醤はやはり、中華っぽいクセのような
独特の発酵香がある。
ちょいと、砂糖も加えてみる。
いつもは入れないが、これも新工夫。

豆腐を湯からあげて水気を切って、投入。
胡麻油、ねぎみじん切り。
水溶き片栗粉でとろみ付け。

OK。

皿に盛り、花椒をあたり鉢でつぶし、まぶして
出来上がり。

ビールを開けて、食べる。

八丁味噌を豆チ醤にかえたのだが、実は、
味は、いつもと大きくは変わらない、、、。
香りは、先に書いた発酵香が強くなっているが。

なにか拍子抜けするほど。

しかし、中華の調味料というのは、随分と変わっている
ものである。私が知っているレシピは30年ほど前のもの。
豆チそのものなど、今時使う人はいないのか。
考えてみれば、中国という国自体、30年前といえば
鄧小平時代。ウェイボーもファーウェイもなかった。
比べれば隔世の感があろう。

 

 

 

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上野・とんかつ・井泉本店

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3972号

11月15日(月)夕

さて。
今日はとんかつ。

久しぶりに、上野の[井泉本店]へ

行ってみようと考えた。
一年以上のご無沙汰であった。

[井泉本店]は上野とんかつ御三家の一つ。
昭和5年(1930年)創業。
カツサンドの元祖でもある。

上野とんかつ御三家だが他の二軒とは
値段帯は多少お安め。
とんかつ自体もちょっと違っている。
だがやはり、上野には欠かせない店であろう。

上野、上野といっているが、この店の所番地は上野
ではない。
まあ、感覚的には上野でなんら問題はないと思うが、
ここは、台東区ではなく文京区湯島三丁目。
[井泉本店]の裏に区境があるのである。

今の地図を出しておこう。

区境を赤いラインで入れた。

以前から不思議に思っていた。
なぜであろうか。
細い路地だったり、かなり妙なところに
境があるではないか。

不忍池があって、池の周りの通りがあって、その南が
池之端仲町。この通りが池之端仲町通り。
その昔、春日通りがない頃には、ここから本郷方面に
行く本道で、湯島天神の脇を通る、湯島の切通し坂
にはこの通りを通っていた。
文京区と台東区の区境はこの池之端仲町通りを通っており
南側は文京区、なのである。
こんな細い通りが区の境とは、妙ではないか。

昔の地図を見てみよう。

まず、明治から。

これは明治25年(1892年)。

以前は下谷区本郷区の境。
地図がきたなくちょっとわかりずらいが、今と区境は
ほぼ変わっていないように見える。

では、その前、江戸の頃は?。

江戸の地図。

もちろん、区はない。
池之端仲町というのが見えると思う。
この町は現代まで名前も含めまったく変わっていない。
その南は大名(板倉摂津守)、旗本屋敷。
そして、その東隣に下谷御数寄屋町というのが見える。
その南が湯島天神下同朋町。

この町の境がその後の区境とどうも同じようなのである。
(参考「江戸明治東京重ね図」)

つまり、江戸期の武家屋敷と湯島天神下と
冠の付いている町は後の本郷区→文京区、
下谷の方が、下谷区台東区になっているのである。

まあ、文京区と台東区の境は、江戸からそのまま、
といってよいのだろう。
実に、おもしろい。
明治大正昭和と東京区部の区境というのは、なんらかの理由で
動いている例がままあるのだが、こんな妙な区割りのまま
続いてきた。住民の要望というのもあったのかもしれぬ。
千代田区神田の人々は神田に強烈なアイデンティティーがあり
外さないでほしいと強く要望し残したとも聞く。
ここも湯島天神下にアイデンティティーがあったのかもしれぬ。
(では、なぜ、江戸期はここに境があったのか、
ということになると思うが、これは未調査、宿題。)

閑話休題

17時近く、店に入る。

カウンターもテーブルも、5~6割埋まっている。

カウンターにアクリル板があり、下に開けた
郵便局の窓口のようになっている。

瓶ビール、キリンをもらって、いつも通りに
かにときゅうりのサラダと、特ロース単品。

サラダがきた。

かにの入った、薄く切ったきゅうりのマヨネーズ和え、
なのであるが、きゅうりが実に驚くべき食感。
これ以上ないほどパリパリ。
こんなよい食感のきゅうりというのは
まず食べたことがない。
芸術的である。これだけでもここにくる価値は
あると思うのである。

そして、特ロース。

切り口。

ノーマルなロースよりも厚いのだが、箸で切れる、と
いうのがこの店の、キャッチコピー。
その通り、かなり柔らかい。
以前から思うのだが、なんらか下ごしらえ、
しているのかも、と。

だが、もちろん、肉のうまみは十分。
また、衣、パン粉が実に香ばしく、味がある。

このかつは、塩、もよいが、やはりソースをかけた方が
うまいかもしれぬ。

明治、大正、昭和とこの界隈は芸者さんがいる
花柳界であった。(全盛は戦前まで。)
この店にも芸者さんがきていたのか。
店の作りも、座敷にあがればそこはかとなく
今もそんな雰囲気が残っている。

花柳界の名前は「下谷本郷」といっていたよう。

やっぱり区境は関係なく、下谷と本郷にまたがっていた
ので、こういう名前であったのだろう。
まあ、実質的には一体。
おもしろい。

 

井泉本店

文京区湯島3-40-3
03-3834-2901

 

 

 

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