浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



箱根塔ノ沢・福住楼 その1

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3月17日(火)~

さて、箱根、である。
こんな時期だから。

車で行けば、リスクも低かろう。

泊まるのは、長年お世話になってきた、
塔ノ沢温泉の[福住楼]

登録有形文化財であり、2017年には「日本の20世紀遺産」
(12)箱根の大規模木造宿泊施設群[日本古来の伝統構法を生かした
温泉旅館建築と景観]の構成要素として指定されている。

宮ノ下の[富士屋ホテル]、同じく塔ノ沢の[環翠楼]、
あるいはここを走る「国道一号」、「箱根登山鉄道」なども
含まれ、文字通り20世紀の箱根の温泉宿文化全体として
指定されているわけである。

やはり箱根塔ノ沢温泉の老舗旅館[福住楼]はかけがえのない
私達日本人の財産であり、未来永劫、受け継ぎ、守って
いかなければならない。
そのためには、私達は忘れずに行かねば。
こんな時期だから、なおさら。

予約のTELを入れると、やはり今、宿泊客は激減しているようで、
いつも以上の心からの感謝の言葉を発せられていた。

ウイークデーなので首都高は多少渋滞していたが、
昼すぎに出て、15時半には到着した。

部屋は、早川側で風呂に近いところとお願いしてあったが、
梅の一という、風呂に最も近いところであった。

まさかの、貸し切り?、
ではなかったが、他のお客は1~2組の外国人だけ、
のようであった。

さて、いつも通り、二泊、で、ある。
やはり、いい旅館は、一泊ではいけない。
特に、温泉旅館。
昼間、部屋にいてよいのである。
この贅沢、で、ある。

梅の一はこんな感じ。

ふり返ってみたら、この部屋、やはり2010年に泊まっていた

額はこの部屋が気に入っていたという、漫談家大辻司郎氏。

この方、ご存知であろうか。
亡くなったのが昭和27年なので、リアルタイムではもちろん
知らないが、「あのですね、ぼくですね。」という氏のフレーズは
私も映像として流れていたのを覚えている。
戦前、浅草で活動弁士として活躍、トーキー後は、漫談家として活躍。
浅草六区興行街黄金時代を彩った一人といってよいのであろう。

隣の[環翠楼]は皇女和宮天璋院篤姫などを筆頭に
伊藤博文、などなど我が国のトップクラスの人々の宿。

[福住楼]は作家、芸人など文化芸能関係の人々。
やはり、私はこちらの方が、肌に合う。

欄間などは細かい彫刻などはなく、他の部屋に比べれば
比較的あっさりしている。

次の間の茶箪笥。

なかなか味があるではないか。
いつ頃のものであろうか。
明治?、間違いなく、戦前より古かろう。

飯前に、風呂へ行く。
やはり、人はいない。
貸し切り状態、である。

夕飯。

左側が火が付く焜炉(こんろ)。
中央先付けと、右、お造り。

先付け。

開化した桜の花が置かれ、桜づくし、で、ある。

左手前、春子(小さな鯛)の鮨。
酢飯との間に、桜餅に使われる桜の葉の塩漬けが
はさんである。これは乙。

その上中央が、海老、空豆
その左、あん肝、上がさざえのつぼ焼き。
右下、鴨肉、粒マスタード添え。
桜の花の下が、紅白の団子。
中で、あん肝が、特にうまい。

お造り。

左下から、いか。
細かい包丁目が入っている。
身が厚く、あまみが濃い。
あおりいか、であろうか。

上、海老。
その上の器の中は、生しらす、しょうが添え。
これは、かなり新鮮。
下が、まぐろ中トロ、右、鯛か。

焜炉と先付けの間の小鉢。

これは胡麻豆腐なのだが、桜色がつけられている。
うまい。
蟹肉のせ。

左の焜炉の上。

牛肉と野菜。バターで蒸し焼きに。
牛は、足柄牛。

入れ替わり、焼き物とサラダ。

これも季節。
焼いた、たけのこ。みりんとしょうゆか、薄味がついている。
うまい。
桜型のピンク色のものは、生麩。
左下に子持ち昆布

サラダはちょっとわかりずらいが、ほたるいか
ごまドレッシング。

 

つづく

 


福住楼

 

 

インドカレー

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さて。お休みを数日頂いた。

いつもお世話になっている箱根、塔ノ沢温泉の[福住楼]へ
行っていた。
これは後程書くとして、その前に、これ。


3月16日(月)第一食

某朝の番組にゲストとしくるはずであった
男性アイドルが、持ってくるはずであった自作の
カレーを作っていて、寝すごして、こなかった。
これを視ていたのだが、カレー、作ろう!と
思い立った。

毎度作っている、インドカレーである。

まずは、米を洗って、飯を炊き始める。

次に玉ねぎ。

みじん切りだが、例によって、みじん切り器

を使って製造。
使いかけが半分あったので、本来一個だが一個半。

フライパンで狐色まで炒めるのだが、いつも通り
レンジで簡易に。

大きな皿にのせ、少量油を混ぜ、レンジへ。
まず10分。

5分で、一度止め、混ぜる。
もう5分。

まだまだ。

もう5分でレンジに入れ、肉を買いに出る。

今日は牛肉が食べたい。

カレー用、煮込み用だの色々あるが、バラ塊にする。

にんにく、生姜、トマト缶は、ある。

スパイス類もすべてある。

OK。

レンジの玉ねぎはもう少し。
再度かき混ぜ、5分。計20分。

レンジだけでも、だいぶいい色になってきた。
フライパンで、付きっ切りで炒めるよりも
そうとうに楽である。
ただ、レンジは、一部に熱が集中するので、そのままでは
コゲが出てしまう。
時折、混ぜるのは必須。

スパイスをあたり鉢で潰す。
フェンネル、クミン、コリアンダーシード、ガルダモン。
それぞれ、仕上がりで小さじ1。

玉ねぎは、仕上げにフライパンへ。
油を少量追加し、炒める。
狐色、まで。

ここにスパイスを混ぜ込むのだが、水を少し加えて
合わせやすくする。

ホールからパウダーにしたものと、パウダーのターメリック
レッドペッパーも。
ターメリックは大さじ1、レッドペッパーは大さじ半分といった
ところか。

シナモン、クローブベイリーフのホールも加える。

シナモンは3cmほどを割って、クローブは10粒ほど、
ベイリーフは3~4枚。

混ざったら、鍋へ。

牛バラは一口に角切り。

同じフライパンで焼く。

全面、焦げ目を付ける。

OK。
鍋へ。

フライパンに水を入れ、加熱し、フライパンに残った
焦げなどもこそげ落とし、鍋へ。

ここにカレー粉、S&B赤缶、大さじ1。

トマト缶。
冷蔵庫に、使いかけがあったのでこれを使い切る。
一缶の八割ほどはあるのだが、本当は半分程度でよい。
だが、既に使いかけ、全部入れてしまう。

なかなか悩ましい。
トマトが多いとカレー味なのだが赤くなってしまう。
ターメリックをここで再度入れる。

コンソメ1個。

水を加え量の調整。
最近、一回に作る量を減らしているので少量。

玉ねぎも、トマトも多めなので、粘度は高めになる。

30分弱火で煮込む。

塩は最後に。味をみながら、大さじ1弱程度。

仕上げにフェネグリークリーフこれは豆類の葉っぱで
香ばしいよい香りがつく。

軽く煮込んで、出来上がり。ピクルスを切って添える。

食べる。
ん!。

カレーはうまい。
従来の私のレシピは水が1.5倍は入りシャバシャバ。
シャバシャバも、インドカレーとしてはありで、うまい。
だが、今日のは粘度が高い=濃いのだが、これはこれであり。

だが、牛肉が硬かったぁ。

この大きさだが、噛み切れず、ナイフで切って食べるほど。

結局、さらに30分ほど煮込んでまあ柔らかくなったのだが、
牛バラをなめていた。

 

 

北寄貝ぬた

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3月13日(金)第二食

さて。
昨日の北寄貝、で、ある。

もちろん、冷蔵庫に入れてあった。

こんな感じ。

北海道産。三つ。
むき身、で、ある。

出して、水洗い。

北寄貝。
鮨やには、置いている貝であろう。

しかし、考えてみると、東京で食べられるようになったのは、
そう古くはないだろう。

吉池で買ったが、もちろん、高級ということもあろうが、
今でもスーパーでは日常的に見かけるものではない。

子供の頃には、鮨やにもなかったのでは
なかろうか。

北寄貝というと、北海道。

私には、ラッコが腹の上にのせて、殻を割っている
あの貝。そんなイメージではなかろうか。

そもそも北寄貝とは、なにか?。

ホッキは、なんと正式名称ではない。
私は、今回調べて初めて知った。

日本の正式名称はウバガイ。
北寄貝(ホッキガイ)というのは、北海道での呼び名らしい。

事実、漁獲量のほとんどは、北海道のよう。
そして次が青森。(ウィキ)

ただ、生息域はもっと広く、茨城の鹿島灘以北とのこと。

東北などでは以前から鮨として握られていたり、
ご飯に炊き込んだ北寄飯は知られている。

ウバガイというのは茨城での呼び名のよう。
また北海道のホッキはアイヌ語が語源とのこと。
(以上「市場魚介類図鑑」)

さて、むき身三つ分。

鮨やだと生でにぎることもあるが、これは
ゆがいた方がよいだろう。

ひもや貝柱も付いているが、そのままゆでる。

ゆでると黒っぽい色から、赤身が増してピンクというのか
紫に近い色になる。

すぐに冷水でしめる。

鮨種にするのは、身というのか、足の部分。
ひもや、貝柱は取る。
今日もそうしよう。

北寄は一度だけだがさばいたことがあった。

足の部分を開いて、中に黒い部分や綿のような
部分があるので、これらをきれいに洗い取る。

よいかな。水気をふき取り置いておく。

昨日買った、分葱。

分葱は長いが、先の方の青い部分はよけて、真ん中から
下を使う。

切って、白い部分と青い部分を分ける。

丼にお湯を入れ、白い部分を入れ、レンジ。
30秒。
加熱しすぎは厳禁。
水が出てしまうし、食感、味もよろしくない。

様子を見ながら、もう10秒程度。
急いで冷水で洗い、水を換えてもう一回。
ざるにあげる。
続けて、青い部分。
こちらは、15秒、20秒。
同様に冷水でしめ、ざるにあげ、白い部分と合わせて
ペーパータオルで水気をよく拭き取る。

酢味噌を作る。
酢味噌は、西京味噌の辛子酢味噌が一般的だが、
八丁味噌西京味噌、基本半々。
さらに酢は今日は、例の赤酢100%で行ってみようか。

八丁味噌西京味噌を赤酢で溶く。

味見。
酢味噌にすると、赤酢であれば、旨味が増えそうな
気もしたが、これはあまりわからない。
味噌の方が味が強いのであろう。
甘みが足らないので、西京味噌だけ追加。

OK。

盛り付け。

ビールを開けて、食べる。

むき身三つ分なので、計六枚。

北寄というのは、火を通すと驚くほどあまくなる。
また、生ぐささ、えぐみのようなものもほとんどない。

酢味噌がなくてもよいくらい。

うまい。

もちろん、分葱もうまい。
いくらでも食べられる。

やはり、ぬたは分葱の方がうまくできる。

いつもは手近にある長ねぎを使っているが、
長ねぎの白い部分は硬く、よい具合に熱を通すのも
よりむずかしい。

ただ、私の場合、分葱はぬた以外には使わないので
余ってしまう。専用に買ってくるのはやはり
もったいない、のである。

 


※明日からしばらくお休みをいただきます。

 

 

鰯たたき

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3月12日(木)第二食

さて、木曜日。
吉池に寄る。

なにがあるか。

青魚、鯖あたりか、と思ってきた。

と、鰯。真鰯、で、ある。

島根、境港産。鰯としては、大きなもの。

一皿六匹あって、390円。特売としてある。

これは安かろう。

もう一つ、剥いた北寄貝。
三つほど入って、1p495円が一割引き。

書いている通り、鮨やでも貝類は私は、あまり食べない。
もちろん食べられないことはないし、うまさがわからない
わけではないと思うが、魚に比べれば、どちらかといえば
苦手な部類、かもしれない。
貝類でも牡蠣は別格で好物、ではある。
プライオリティーの問題。
選んで食べる頻度が低いので、味覚も進歩していない
ということかもしれぬ。

北寄貝はきらいではないし、ちょっと安くなっているので
こういう時に、食べてみようか。
ぬた、でよいかもしれぬ。

さて。

上田勝彦氏という人を、ご存知であろうか。
最近TVにもよく出演ている。

魚食文化普及人、元水産庁官僚、元漁師、長崎大学出身。
島根県生まれ。1964年生まれ。私の一つ下。

魚のさばき方、扱い方、魚料理をTVで披露している。
また、全国の漁場、漁港をまわり漁師を指導している。

なかなか強烈なキャラクター。
はっきり言えば、ガラがわるい。

今、日本人はあまりにも魚を食べない。人びとは扱えない、
おろせない。スーパーには、決まった魚しか置いていない。
これは、いけないと私も強く思う。
魚食文化普及というポリシーは大いに共感するのだが、
どうもあのキャラクターが私には馴染みにくい。
だが、それだけではいけなかろうと、考え直してみた。
もう少し、知らなければ。

ちょっと、氏の魚料理本を買って読んでみた。
「ウエカツの目からウロコの魚料理」
https://amzn.to/2U8pttn

この人、さすが元官僚だけあって、理屈っぽい。
むずかしい。(難解という意味で。)
そして、要求する技術も、難しい。
とにかく、魚はたくさんさばかなければいけない。
早く、上手くさばけるようになること、と。
これもさすが元漁師というべきか。いや、職人?、
体育会系?。そんな感じ。

なかなか、やっぱり私にはとても近づけない。

ともあれ。

鰯、で、あるが、この本にも鰯があった。
まず手開きの仕方。

それから、鰺のたたき、なめろう、山家焼き、、
などあったので、鰯ではあまりしないが、刺身でも
たたきのようなものにしてみようか。

ねぎも分葱(わけぎ)の方がよいだろう。
追加で買いに出る。

境港産、鰯。

出すとこんな感じ。

早速、手開きをやってみる。
鰯、というのは、身が柔らかく、骨離れもよく、
手でも開けるのである。もちろん、私もしたことがある。
やり方もある程度知っている。

だが、これはダメであった。
大きいからか、鮮度など状態か、理由はよくわからないが、
手では骨が離れない。無理に骨を取ると、崩れてしまった。

途中から出刃に換える。

この鰯、季節であろう、子持ちであった。
安いのはこのせいか。
だが、脂はにそこそこのっており、わるくない。

三枚。

二匹。
大きいので、二匹で十分である。

しょうがをおろし、分葱を細かく切る。

鰯も細かく切って、和える。

真鰯のたたき。

ビールを開けて、食べる。

なかなか、うまい。

鰯も、刺身よりも、この方がうまい、のではなかろうか。
いつもは大きく、長く、あるいは、斜めに切るが、
こうして薬味をたっぷり同時に食べられるのは
鰯にはより合っている、かもしれぬ。

分葱は、緑の部分だけになってしまったが、
もう少し、白い部分も使ってよかった。

魚ややスーパーで鰺のたたきなどを買っても
ねぎは緑の部分ばかり。
こうして分葱だったり、万能ねぎだったりを
使っている方が多かろう。

だが、薬味としての効果は、葱の白い部分の方が大きい。
いつも自分で鰺のたたきなどを作る場合も、家にある
白い部分の多い東日本の普通の長ねぎを使う。

市販のたたきが青いねぎを使うのは、ひとえに彩り
ということではなかろうか。
まあ、結論すれば、両方使えばよかったのだが。

北寄貝は明日だ。

 

 

上野・とんかつ・井泉本店

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3月10日(火)第一食

朝はぱらぱらと、雨。

ここ、ちょっと、久しぶりである。
昼は、上野のとんかつ[井泉本店]

に行くことにした。

書いていないが、去年も一度くらいはきていると思う。

戦前の昭和5年(1930年)創業。
[ぽん多本家][蓬莱屋]と並んで、上野とんかつ御三家の一つ。

私など子供頃には、ご馳走であったカツサンド
その発祥の店としても知られている。

また、この界隈、池之端から湯島天神下は、その昔は、
下谷花柳界、芸者さんのいる街であった。
(今ここは、広くいうと上野であるが、以前は区の名前でもあった
下谷と言うのが普通であった。)

花柳界であったのは、いつ頃かというと、明治から戦後まで続くが、
最盛期はやはり戦前、大正期。規模とすれば、当時、東京No.1が
新橋、次が柳橋、その次が芳町人形町)で下谷は四番目。
四番目といっても、1922年(大正11年)で料亭28、待合108、
芸妓屋231(加藤正洋「花街」)で相当な規模である。
(詳細はこちら。)

今、この界隈はちょっと場末のクラブ街、キャバクラ街
という趣であるが、その元は、この下谷花柳界なのである。

この界隈にはアイス最中の[みつばち]、豆大福の[つる瀬本店]と
老舗の和菓子やがある。和菓子やは花柳界に欠かせない。
これも名残。
また、池之端仲町通りのおでんや[多古久]。
少し前に亡くなってしまった高齢だった先代の女将。
この方は粋でズバズバとものを言うお姐さんであった。
私などはその頃の雰囲気を持っていた方であろうと
感じたものであった。

そしてこの[井泉本店]はその下谷花柳界の雰囲気を
残している数少ない料理やといってよいだろう。

川島雄三監督作品、森繁久彌主演の「喜劇とんかつ一代」は
この店がモデルで、戦後ではあるが、下谷花柳界
描かれている。DVDなどになっていないようなので、
手軽には観られないのが残念であるが。

[井泉本店]は木造建築で、広くはないが中庭があり、
座敷から見える。カウンターではなく、二階座敷にでも
上がってみると、その雰囲気が、感じられると思う。

さて。

今日、ここへどうしても来たかったのは、
かにと胡瓜のサラダが食べたくなったから。

もちろん、とんかつを食べに行くのであるが、
この、かにと胡瓜のサラダは他のどこにもない。

ほぼ12時、暖簾を分けて、店に入る。

カウンターは満席。
こんな時でも、にぎわっている。

お姐さんに、壁際の椅子に掛けて、少々お待ちください、と。

言う通り、すぐにあいた。
カウンターの角。

かにと胡瓜のサラダなので、ビールを頼むことになる。

キリンラガー。

それから、かにと胡瓜のサラダと、ご飯豚汁なしで
特ロース。

ビールを呑みながら、目の前の調理場を見る。

この角の正面が、豚汁の鍋。
左側で、とんかつを揚げている。

揚がったとんかつは、豚汁の隣奥、専用の小さな俎板で
ザクザクと切る。

そして、そのさらに奥に並べられている、キャベツの
のった皿にのせる。

きた。

薄く切った胡瓜と、かに肉のマヨネーズ和え。

どうしているのであろうか、これだけ胡瓜をパリパリに
するのは。

この歯ざわりはどこにもなかろう。

ビールが進むこと、夥(おびただ)しい。

座敷にもお客が入り、少しかかったが、きた。

特ロース、1,595円也。

切り口はこんな感じ。

ピンク色ということではない。
これは塩で、というよりは、ソースである。

ここは他の御三家2店などとも違う。
庶民派、なのである。
この特ロースでも半分ほど。

だが、うまい。
パン粉が違うのか、独特の香り。
“箸で切れる”のコピー通り、かなり柔らかい。

むろんラードで揚げていると思われるが、
脂身も少し残してあり、これと相まって
食べ応えがある。

辛子をつけながら食べ進む。

うまかった。

ご馳走様でした。

立って、コートを着て、勘定。

出口は右側の座敷との間の、細い通路。

また降ってきそうである。

 


井泉本店

文京区湯島3-40-3
03-3834-2901

 

 

すき焼き

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3月8日(日)第二食

さて。

肉、が、食べたい。

出たついでに吉池の地下に寄ってみる。

肉売り場。

最近、自粛ムードで高価な牛肉だったり、
まぐろの卸値が下がっていると聞いた。

卸値なので、小売りにはそうすぐには反映はしない
のであろう。

が、見ると、霜降りの松阪牛、100g、1,500円が半額。
これは、値下がり、ではなく、単に賞味期限が
今日、ということ。

今日食べればいいじゃないか。

1パック、2,400円が半額。
よし、2パック買おう。

迷わず、すき焼き、である。

見事な霜降りの松阪牛、ひねっている場合ではない、
すき焼き以外あるまい。

なにを入れよう。

まずは、白滝。
白滝は細いものを選んでみる。

それから、麩。これは一般的な観世麩。
野菜は、ねぎだけでよいか。

帰宅。

こんな感じ。

日本三大和牛というのがあるらしい。

神戸、松阪、もう一つは、近江、あるいは米沢
とのこと。

歴史的には近江、彦根藩では江戸期から食べられていたことは
よく知られている。

神戸牛、神戸ビーフの起源は、開港後、神戸にいた
イギリス人が農業用に使われていた但馬の牛を
食べたのが始まり、とのことである。

松阪牛は、神戸で牛肉が食べられるようになると、
松阪から神戸へ送られ、神戸ビーフになっていた
とこのことである。

米沢も歴史は古いようである。明治初期、米沢藩が雇った
英語教師が食べてうまかったのが広まった、という。
(以上ウィキ情報)

東京では神戸よりも、松阪の方がよく見かける。
地域的なものなのか。

ともあれ。

あると思っていたのだが、常備していた割り下が切れていた。

いつもストックしていたのは、雷門の牛肉店[松喜]のもの。

作ろうか。

ちょうどよい。
乾燥椎茸を戻して入れようと思ったのだが、
この椎茸の出汁で作ろう。

酒、しょうゆ、みりん、砂糖を入れ、桃屋のつゆも加え
軽く煮詰めておく。

牛肉。

2パックあるので、なかなかな量。

ねぎと麩。

麩は水で戻す。

麩というのは、今どき家庭ではあまり入れないと思うが
これもすき焼きにはうまいものである。

白滝。

あ!。豆腐を忘れた。

焼豆腐である。
すき焼きには、これも必須であった。

玉子も用意。

焼豆腐を内儀(かみ)さんが買いに出る。

カセットコンロと鉄鍋を用意。

あっ、脂をもらってくるのを忘れた!。

しょうがない、もう脂なしで焼こう。

肉から焼き、他の具材も入れ、作った割り下を
まわし入れる。

意外に、霜降りではない脂身部分も多くあった。

焼けてきた。

気持ち、割り下が薄かった。
まあ、次第に煮詰まってくるので、よいのでは
あるが。

ともあれ。

溶き玉子をくぐらせて、食べる。

この肉がまずいわけがない。

肉の脂とうまみ、煮詰まった甘辛の割り下を
たっぷり吸った白滝も、麩も、焼豆腐も、うまい。
牛肉というのは、やはり腹にたまる。

うまかった、うまかった。

さすがの松阪牛であった。

 

 

浅草・弁天山美家古寿司 その2

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引き続き、浅草[弁天山美家古寿司]。

光物をにぎってもらい、海老をはさんで、白身に。
白身は、昆布〆の鯛と平目。
ここまで。

そして、かじきとしまあじ

左がしまあじ

親方が言っていたが、
この店で今日唯一の“仕事をしていない”種。

創業慶応2年(1866年)。
おそらく、現代まで続く鮨やの暖簾では、
最も古い店の一つといってよいと思われる。

冷蔵設備のなかった頃、にぎる種には、煮る、茹でる、〆る
など“仕事をする”のが当たり前であった。
ここはこの100年以上の歴史のある“仕事”を看板にしている。

ただ、そうはいっても、この店も変わってきている、
ように見える。

どちらがうまいのか、ということでよいのであろう。

変えた方がうまいものもあろう。
変えない方がうまいのであれば、続ければよい。

親方に聞くとかじきは、昆布〆とのこと。

私が、金沢や富山だったり、北陸では昆布〆にしますよね、
というと、親方は、そうなんです。私もあちらへ行って知って
いただいたんです、と、正直な方。

東京ではかじきは生で食べる習慣は今もないが、
北陸では伝統的にかじきが好まれてきた。
よく獲れたのであろう。
昆布〆は、かじきに限らず一般的な鯛などの白身はもちろん、
名物の鰤(ぶり)などでもする。

もともと、生のかじきもうまいのだが、
昆布〆はさらに濃厚。
これは流石であろう。

富山、金沢でもいろいろな技があろうが、
むろんのこと、この店流にしてある。

さて。

生のいかを忘れていたことに気が付いた。

生のいかは、もちろんすみいか。

厚い。
あまいのだが、この季節ちょいと硬い。

すみいかといういかは、一年しか生きない。
夏に生まれ、これが新いか。
8月、9月のこの、小さな子供のすみいかは柔らかく
応えられないうまさである。

それが段々に大きくなり、今が一番大きい。
東京の鮨やでも、この3月あたりから、すみいかは
使わなくなるところも多いが、ここはすみいか一本。

次。
ヅケのまぐろ。

よい塩梅。これも流石。

まぐろのヅケというのは、一説では、天保の頃
(1830年~40年頭)馬喰町の鮨やで始めた

という。「守貞謾稿」という天保から幕末の風俗辞典にも
まぐろのしょうゆ漬けは出てくるので、幕末期には
一般的であったのであろう。
まぐろは鯛や平目に比べ下魚と呼ばれており、あまり
食べられなかったなどというが、これがまぐろが食べられて
いなかった本当の理由ではないのでは、なかろうか。
江戸っ子の初鰹好きは有名であったし、赤身を嫌ったとは
思えなかろう。実際には、まぐろは足が速く、常時流通するもの
ではなかった。つまり積極的に獲ってもいなかったと考える。
大量に獲れると塩漬けにし、庶民には出回っていたともいう。(前出)
幕末から明治、ヅケの一般化とともに、まぐろを狙って
獲るようになり、流通もするようになった。
そういうこと、なのではなかろうか。(私の仮説である。)
ただ、脂のあるトロを積極的に食べるようになったのは
大正期、日本橋の[吉野鮨]を待たなければならない。

ともあれ。

そろそろ、終盤。

玉子のみ。

これも、伝統のもの。江戸前を看板にしている鮨やにはある。
玉子だけでなく、白身魚を入れている。
玉子の方が貴重であった頃のものだが、今となっては
手間のかかるこちらの方が、高価である。

巻物。

かんぴょうと、鉄火。

かんぴょうは、わさびを入れますか、と親方。
もちろん、お願いする。

かんぴょうは濃い味。
わさび入りは、鉄砲などともいうが、定番。

今さらのことなのだが、海苔というものの味が、
やっとわかってきた。
これは自分でよい海苔を買って巻物やらおにぎりに
使うようになってからである。

かんぴょう巻は海苔のうまさがよくわかる。

鉄火。

ねぎは入っていないが、中トロあたりをちょいと
叩いたものではなかろうか。

ばかうま。
堪えられない。

ここまで。

いつもながら、うまい鮨を食べさせてもらった。

勘定は、二人で酒も入れて、2.5万。
つまみ3品、ビール二本、こんなものであろう。

ご馳走様でした。
今日も、おいしかったです。

 


弁天山美家古寿司

台東区浅草2-1-16
03-3844-0034