浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



白魚天ぷら

f:id:dancyotei:20200205201045g:plain
2月3日(月)第一食

さて、白魚、で、ある。

今日は節分。昨日から決めていた。

先週、鱸の塩焼きを食べた。
そこでも書いたが、江戸前の魚で、この季節といえば
白魚。

やはり、初春といってよい、この日、食べたい。

吉池には、しばらく前から置いているのを見ていた。

むろん、江戸前ではない。青森産。安くはない。

やはり、白魚というと、これを出したい。

広重 江戸土産 佃白魚網夜景

黙阿弥翁の「三人吉三」の大川端庚申塚の場の七五調の名台詞にも

「月も朧に 白魚の 篝(かがり)も霞む 春の宵(中略)
こいつぁ~春から 縁起がいいわえ」

とある。
ちなみに、この大川端庚申塚の場は節分(大晦日)の夜、
で、ある。

大川、隅田川の河口、佃の漁師が篝火を燃やし、夜、
網で獲っていたのが、この時期の風物詩であったのである。

佃の漁師達は、この白魚を黒漆塗りの専用の木箱に入れ、
本丸御用という木札を立て、小舟で江戸城の台所へ、
毎年運んでいた。
家康以来、将軍家の漁師であった彼らの年に一度の
晴れ舞台であったのである。

江戸前白魚のこと、詳しくはこちらを。)

実は、戦後すぐまでは隅田川河口には白魚がいた、という。
東京湾の奥、江戸前の海の埋め立てが本格的に始まったのは戦後。
意外に最近なのである。
つまり、江戸前の海の特徴である遠浅の海がほとんど残っていた。
また、戦争中は東京も生活、産業ともに停滞し、海もきれいであった
らしい。

まったく、これだけの情趣にあふれた江戸・東京風物を
復活させたいと思うのは、私だけの夢物語であろうか。
江戸城天守閣再建もよいが、自然の中にあった江戸・東京、
こちら、ではないのか!。

さて。

吉池の一階で白魚を買って、地下へ。
天ぷら粉が切れていた。

ん!。
少し前から出ているのは知っていたが、
水だけ入れれば、玉子もいらない、
カラッと揚がるてんぷら粉、なるもの。

試しに使ってみようかしら。どんなものか。

帰宅し、作る。

一袋の粉を、カップ一杯の水で溶き合わせればよい、
という。他にはなにもいらない。

揚げ鍋に、天ぷら油を用意、予熱。

なにか揚げ物が続いているが、昨日の油とは別に
胡麻油ベースの天ぷら油も、容器に入れて冷蔵庫に
保存してある

大根の皮をむき、おろしておく。

これは豚汁に使ったものだが、濡れ新聞紙とラップで包んで
野菜室に保存してあった。

衣に白魚を入れ、よく合わせる。

油温は170℃以上に上げる。

揚げあがりのイメージは、かき揚げでなく、数匹ずつ
になった状態がよいだろう。

天丼ではないので、一口の方が食べやすいし、
揚げるのも、かき揚げの方が火が通りにくく難しい。

数匹ずつ、ぽいぽいと油に投入。

時折、ちょっとはねる。ひっくり返しながら揚げる。

いい色になればよいだろう。
2分程度。

白魚はパックの半分ほどだが、大量に揚がってしまった。

だが、なるほど、これは簡単。
なにも考えなくとも、誰でも天ぷらが揚げられる。

だが、揚げあがりは皆、この感じになるのであろう。
例えば、カラッ、ではなく、ボテッとした衣にはならない。
好みとしては、気持ちボテ、でも私はよいと思うのだが。
また、多少、油切れもわるいように思うのだが、
どんなものか。

ただ、今までの天ぷらが満足に揚げられるようになるまでの
苦労はなんであったのか、という気もしてくる。

むろん、ノーマルな薄力粉で天ぷらが揚げられることは
とても大切なことではあるが。

皿へ。
天つゆは、いつもの桃屋のつゆ。

ビールを開けて、食べる。

白魚というのは、淡泊な魚なので、ひょっとすると
衣だけを食べている、という気もしてくるが、
まあ、風物詩、こういうものである。

だが、そうはいっても、この量さらに二回お替り。

やっぱり、うまい、のである。