浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭の浅草町歩き~うなぎ・駒形・前川

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1月11日(土)

引き続き、久しぶりの断腸亭の町歩き、浅草編。

浅草寺浅草神社、浅草の街を歩いた。
そして、昨日書いた、六区。

連休の土曜日で浅草はごった返すよう。

ただ、1/3から半分近くが、外国人の観光客であろう。

まだ正月、土曜日、ということで、浅草神社、三社様の
本社神輿の蔵の戸も開けられており、観ることができた。

名前の通り、三社様の神輿は一之宮、二之宮、三之宮の三基ある。

落語「百川」に出てくる、四つの神様の旗、四神旗(しじんき)も
飾られていた。これがある神社は少ないかもしれぬ。
私の住む元浅草の鳥越神社では見たことがないように思うのだが。
旗は縦長。
ちなみに、四神とは、青龍、白虎、朱雀、玄武。
これがそれぞれの旗に描かれている。
起源は中国であるが、ご存知の通り、我が国でも
古来から四方を守る神と考えられていたものである。
あの高松塚古墳の壁画にも描かれていた。

浅草でご案内すべき食い物やを挙げてみる。
すき焼き[今半別館]

ここは、外からは見えないが、なんといっても
有形文化財の数寄屋造りの座敷が見事。
浅草にあって、まったく稀有な存在である。

[弁天山美家古寿司]

天ぷら[中清]

池波レシピでもあり、天ぷらでは浅草一の
老舗といってよいだろう。

この日記ではお馴染み、洋食[ヨシカミ]

並木[藪蕎麦]。
ここは、今は列が常態化してしまった。
これに並ぶ気にはとてもならないのが偽らざる気持ちである。
残念。

観光客のおかげで、スイーツであったり、歩きながら
食べられるものを売る店だったり、どんどんできている。
行列になっているところも多い。

人がたくさん集まるのは、よいこと。
そして、新しいものが次から次とできてくるのは、
歓迎である。
街が活性化していることのなによりの証しである。

元来浅草というところは、そうそう気取ったところではない。
庶民の街。いや、むしろ、銀座などと違って、あやしさ、
いかがわしさも浅草の本質の一つではあると私は思う。
今回、六区の昔を調べてもこれは如実に感じられる。
これがなくなってしまったら、逆に浅草は他の東京の
盛り場と同じになってしまう。
なんでもあり。それだけの懐の深さを持っていたい。

そして、新しい物と同時に、老舗もちゃんと繁盛している。
これはよいこと。

再び雷門に戻ってきて、正面の並木通りを駒形方向へ。
[藪蕎麦]はやはりこの日も列。
唯一、観光客と競合してしまっている食い物や、
かもしれない。

駒形堂から浅草通りを渡って[前川]。

[前川]というのは、江戸だがざっくり文化文政期創業と
言っている。明確な年代はわかっていないのであろう。

浅草には老舗でも江戸創業のうなぎやが数軒あるが、
最古は寛政年間と言っている田原町の[やっこ]で
[前川]はそれに次ぐ。

今[前川]の座敷は二階以上。
これはもちろん、隅田川の堤防があるから。
一階からは堤防が前にあり、川は見えない。

座敷からは、目線の下に隅田川が見え、左側に駒形橋、その先に、
アサヒビールの例の黄金の建造物、さらにスカイツリーと見え、
浅草では座って最も手軽によい景色が見える場所であろう。

その昔の[前川]の前には堤防がなく、専用の船着き場があり
直に船でもくることができた。

意外に東京の方でもご存知のない方が多いと思われる。
隅田川には江戸の頃から堤防、堤は基本なかったのである。
唯一あったのは、墨堤、堤に桜を植えた向島だけ。

名所江戸百景 両ごく回向院元柳橋 広重 安政4年(1868年)

これはもう少し下った両国あたりだが、隅田川を描かれた浮世絵を
見ても堤防のようなものは一切ない。
(江戸の治水と水害というのは、一度詳しく書いてみたい。)

では、隅田川に堤防ができたのはいつなのか。
ちょっと気になって調べてみた。

すると震災後、昭和初期から計画と整備は始まっていた
ようなのであるが、戦争で中断。
戦後、台風と高潮による浸水被害があり早急の建設が求められたが
都の財政難で整備は二回に分かれていたよう。昭和31年(1956年)
までに一度、さらにより高いもの(今のものか)に、この駒形橋
右岸あたりは昭和40年(1965年)※には完成しているようである。

それ以前であれば、船着き場があったのか。
であれば、池波先生は、子供の頃、昭和初期、
錺物職人だったお祖父様に連れられてよくきたと言っていたが、
その頃はまだ、そんな情景であったのか。

ともあれ。

皆さんで、ビールやら燗酒をもらって、
肝焼きがある、というので、先に肝焼き。

お重。

見てわかると思うが、蒲焼の表面がたれでベタベタしてはいない。

甘すぎない。さっぱり、きりっとした江戸前の味。

これはここだけではなく、浅草の鰻やに共通する。

甘めでもうまい蒲焼は東京でもいくらでもあるが、
この、きりっとした味の蒲焼は浅草らしさを象徴するもの
かもしれない。

いつも通り、うまかった。

そして、ご参加いただいた皆様、
ありがとうございました。

さて、次はいつになるやら。

 


前川


※「隅田川における防潮堤の建設史」望灘崇・島正之・篠田裕 1998