浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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断腸亭落語案内 その64 金原亭馬生 柳田格之進~笠碁

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引き続き、十代目金原亭馬生「柳田格之進」。

この噺は、最初に書いたように、講談種という。
馬生師は、今残っている一つの録音の枕で、父であり師匠である、
志ん生から習ったと言っている。

志ん生は、講釈師であったこともあるので、その時覚えたのか。

志ん生の音も残っているし、志ん朝のものもある。
今の落語家では志の輔師のものがある。

実は、この噺の結末、志ん生志ん朝のものは、馬生のものと
違っている。

志ん生志ん朝版は、徳兵衛と柳田が湯島で出会った段階では
柳田の娘は吉原から身請けをされておらず、翌日、万屋を訪れ、
碁盤を切った後、万兵衛によって身請けをされ、娘は徳兵衛と
夫婦になり、さらにその子供が柳田の家を継ぐということに
なっている。

これが原形で馬生師が変えたと考えてよいように思う。
帰参が叶ったのに、娘を吉原に置いたままというのは、さすがに
おかしかろう、という。
また、娘を徳兵衛にくっ付けて、子供を柳田の家に戻すのも
いかにも俗である。

吉原から戻り、老婆のような姿になった娘を語った、
馬生のものの方が、作品性は高いと考えるのである。
また、余計なことを言わず、淡々と季節感の中でドラマを
展開させている演出も優れている。
むろん馬生の練った馬生オリジナルであろう。
志ん生志ん朝版を前近代とすれば、馬生版は近代作品と
いえるのではなかろうか。

ちなみに、志の輔版。
志ん生志ん朝版をベースとするが、先に柳田によって身請けは
されている。雪の明日、柳田と娘二人で万屋へ出向き、最後の場面、
柳田は碁盤を切り、再度二人を切ろうとするが、娘自ら二人を許し、
よく言った、それでこそ柳田の娘だと柳田に言わせ、終わっている。
徳兵衛にくっ付けるのも、子供を柳田の家に戻すのもない。

志の輔版、よく考えたと思われる。
破綻はない。ハッピーエンドにしたかったのであろう。
だが、こんな娘はいないのではなかろうか。できすぎに感じる。
私は、馬生版を評価したいと思う。
なにしろ、語られる季節感が好きである。
そして、どちらが人間を深く描いているのか。
皆様はどう思われようか。

この噺、講談種で、志ん生から馬生に伝わった段階からが
落語としてのスタートなのであろう。戦前か戦後早い時期。
つまり、古典のようで、古典ではない。
多くの演者、多くのお客によって、噺は磨かれる。

「柳田格之進」志の輔版も一つであろう。
馬生版を引き継ぎ磨く落語家はいなかろうか。

さて。
馬生師、もう一席。

もう一席といえば、なんであろうか。
いろいろある。

「目黒の秋刀魚」。
これも馬生師といえば、出てくる噺。
かなりよい。

この噺、難しい。
皆、筋から下げまで知っている。
いかに、秋刀魚をうまそうに演じられるかということであろう。
馬生師、武士や殿様が上手かった。人(ニン)であった
ということもあろう。
人物が、きれいにうまく演じられていれば、秋刀魚も
うまそうに感じられるというものであろう。
やはり、この人独特の人物描写のリアリティーがあるのである。

「そば清」。
落語ファンならはご存知の方が多かろうが、一般にはそう知られている
噺ではないだろう。この噺も馬生師だと思う。
そばの大食いの掛けをする噺。
賭けで大食いをする清兵衛が、商用で田舎をまわっていると山で道に迷う。
うわばみが猟師を呑むところに出くわす。人を呑んで大きな腹になった
うわばみはなにか赤い草をなめるとあっという間に大きな腹が
小さくなってしまう。
これを見て、清兵衛はその草を持って帰る。
江戸に戻り、掛けに臨む。
限界に近づくと、風に当たらせてくれと言って、隣の座敷へ。
なかなか出てこないので、皆で座敷を開けてみると、、、、。
そばが羽織を着ていた。

考え落ちなどというが、やはり、この噺も下げ、結末だけの
噺といってもよいだろう。毎度書いている通り、落語というのは
なん度も聞くことに耐えられなければいけない。
結末まで惹きつけられる技術の高さである。
やはりこの人ならではのもの。

今、「そば清」は喬太郎師が演り、音もある。
おもしろい。

そして「笠碁」。
小さん師、人間国宝五代目の小さん師ものもよいのだが、
馬生師としてこの噺を取り上げたい。

碁将棋に凝ると、親の死に目に会えない。

碁敵は憎さもにくし なつかしし

こんなところから入り、碁会所でのちょっとした一コマの
小噺を演じ、噺に入る。

近所に住む、商家の旦那二人同士。
おそらく幼馴染でもある。

碁の腕前も同程度で、言うところの碁敵。
ありがちなことたが、親しいので、二人ともマッタ、ばかり。
マッタばかりしてると、ちっとも上手くならないと習っている
先生に言われ、今日は一つ、マッタをしないで、やってみよう、
ということになる。

最初の内は、パチパチとすんなり置いているが、
あるところで、、一方が、マッタをしたくなった。
モジモジ、言っていたが、段々、マテ、マタナイで
エスカレートしてくる。

「人間というのは、そういうもんじゃないでしょ」
「?」
「あーた。三年前の暮れの二十八日、覚えてますか?」
「?!」

三年前、この男の店で急に商用の資金に不足ができて、
もう一人の男の家に、借りられないかと来た。

馬生師の録音ではなぜか触れていないのだが、小さん師、談志師は
この噺では一方の店の名前は[ミノヤ(美濃屋?)]と出てくるが、
もう一方は出てこない。
どちらでもよいのだが金を借りた方が[ミノヤ]である。

で、その[ミノヤ]の主人が借りにくる。
[ミノヤ]でない方が、少し店は大きいようである。

 

つづく