浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭落語案内 その60 春風亭柳好 野ざらし

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引き続き、三代目春風亭柳好師「野ざらし」。

明治の三代目円遊師の速記の、土手に着いて、土手下の釣師との
やり取りの場面がポイントである。

八 「<前略>
   (鼻歌)ポンと突き出す鐘の音は陰に籠って上げ汐南(あげしお
   みなみ)物凄(ものすご)く烏が飛び出しや骨があるサツサアー」
釣師「大変な奴が来やアがつた」
  (「口演速記明治大正落語集成」(講談社))

とある。
「サツサアー」がサイサイ節かどうか断定できぬが、既に唄にして
いる。これはまさに、ステテコ踊り、爆笑王で売った、円遊らしい
といってよいのではなかろうか。

先に書いたように柳好師は他の噺も唄うようなリズムで
特に「野ざらし」は数か所も唄が入り、正統派から見れば、
まともな落語家ではなく、色物ともいえるような存在ではなかった
のではなかろうか。

これは取りも直さず三代円遊をどう評価するのか、ということにも
なるように思う。

円朝師のところで見たが、明治天皇ご前で「塩原多助」を演じた
円朝は寄席からの自立を目指し寄席と対立。弟子の円遊ら、爆笑系は
寄席側に付き、円朝は東京の寄席に出演られなくなった。

爆笑系と正統派の対立ということになるのだが、対立ではなく、
どちらも落語、で私はよいと考えている。
正統派以外は落語ではないと考える人もいるかもしれぬが。

もちろん爆笑系はお客に受ける。受けるから爆笑系なのである。
お客を呼べる。あたり前のことである。それを誰が否定できよう。
円朝も、円遊の芸風を否定してはいなかった。
http://www.dancyotei.com/2019/apr/encyou18.html

売れるためになんでもする。芸人としてはあたり前のこと
ではある。

ただ、中でも唄うような落語をここまで完成させた落語家は
おそらく三代柳好師の後にも先にもいないのではなかろうか。
そういう意味で、不世出、忘れてはいけない落語家であると
思うのである。

さて。もう一度「野ざらし」の噺自体に戻る。

どうしても「野ざらし」は私自身も覚えて演った噺なので
考えてしまう。もう少しお付き合い願いたい。

この「野ざらし」という噺を語るには、もう一人忘れてはいけない
人がいる。

似た名前なのだが、八代目春風亭柳枝
柳好(りゅうこう)ではなく、柳枝(りゅうし)。

八代目柳枝は明治38年(1905年)生まれ。大正10年(1921年)、後の
四代目柳枝に入門。大正14年(1925年)春風亭柏枝で真打。
戦後昭和34年(1959年)53歳の若さで亡くなっている。(wiki)。
昭和の三名人+金馬、柳好と比べても最も生まれが遅いが、柳好の次に
早く亡くなっている。

「野ざらし」といえば、柳枝と柳好とも言われていたと
いってよい。

ただ、それはどちらかといえば、後輩のプロの落語家から、と
いうのではなかろうか。

お客から、やはり、唄うような柳好の方が聞いて心地よく
魅力的であろう。

だが全体が唄うような柳好の「野ざらし」は書いている通り、
台詞として略されたり、きちんと発声していなかったり
している部分が多い。

私、この「野ざらし」を覚えて演っているので、演る立場で
考えてしまうのである。

演るとすると、柳好師版は金馬師同様に台詞だけ真似しても
噺としては成立しない。リズムとメロディーも含めて完コピする
しかないのである。

柳好のリズムとメロディーはもちろん彼固有の特殊なもの。
こうなると、ただの物真似でしかない。
ただ、物真似というのはプロでもできる人とできない人がいる。
物真似の才能のない者は、気持ちのわるいものにしかならない。

これに対して、柳枝は多少のクセ(個性)はあるが、柳好と
比べれば、かなりノーマル。また、言葉もきちんと発声されている。
さらに、言葉、台詞からの笑いも実際には柳好よりもずっと多い。
もちろん一般のお客が聞いても十分におもしろい。

ちょっと横道にそれるようだが、こんなことがある。
「野ざらし」で最もおもしろい台詞、フレーズはどこか。

ここである。八五郎が土手に着いて、下の釣師に

 (大声で)
八「骨(こつ)ぁ~釣れるかぁ、骨ぁ~~~~!」
 (下の釣師、上を見上げて。)
A「骨ぅ~~?。
  骨だってますが、なんですかね?」

この下にいる釣師が竿を構えた仕草で、斜め後ろ上を見上げで、
「骨ぅ~~?。」である。

このフレーズ。
「野ざらし」の中でも、コアなお客はここが最もおもしろいと感じる。
演者の方も、これを演りたいので「野ざらし」を演じる。
志らく師が語っていたことなので、広く同意されることであろう。

実は、この部分は、メロディーで売った柳好版にはない、のである。
柳枝師のものにはある。
これは一例だが、テキスト、コンテンツとしての、といってよいのか、
噺とすれば、柳枝版の方が優れているといってよいのである。

「野ざらし」というとご存知の方も多いと思うが、談志家元が比較的
若い頃、売り物にしていた。

談志家元は、やはり天才であったといってよろしかろう。
物真似の才能にも優れたものがあった。
談志家元の「野ざらし」は物真似を交え、柳好と柳枝、正確にいえば
言葉、台詞は柳枝、ところどころ柳好のリズムを入れて演じていた。
まあ、こんなことができた落語家は、そう多くはなかろう。
(家元は「寝床」でも円生、志ん生文楽のそれぞれのフレーズを
物真似を交えて演っていた。)

柳好も柳枝もどちらも知っているコアなお客は大喜びである。
もちろん、いいとこ取りをしているので、二人を知らないお客にも
おもしろさ、よさは伝わる。

で、まあ、結局、私は、柳好版も柳枝版もどちらも聞いたが、
談志家元版を覚えたのである。
これはまだ、志らく師の落語教室に入る前。
それを教室に入ってから、師の前で演ったことがあるが、
ケチョンケチョンにやっつけられた。
20年もたって今、こうやって、噺の丹念な分析をしてやっと
腑に落ちるのだが、そもそも、いいとこ取りをした天才家元のものの
真似がトウシロウにできるわけがない。(他の噺でもそうだが、凡人は
天才談志家元のもので絶対に覚えてはいけないのである。)

 

つづく