浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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断腸亭落語案内 その45 桂文楽 つるつる~三代目三遊亭金馬

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引き続き、文楽師「つるつる」。

時代設定のことである。

現代に話されている落語の時代設定は明示されていないにしても
江戸というのが大半で、明確に明治以降に設定されているのは
そう多くはない。
中でも文楽師は明治以降が多いといってよいだろう。
今回取り上げた「鰻の幇間」「よかちょろ」「心眼」「つるつる」すべて
明示的に、明治以降にしてある。
時代設定というのは、聞く側は明確に意識している人はそう多くはない
のかもしれぬが、落語家はかなり注意して演じている。

四席以外の師の持ちネタで明確に江戸になっているのは武士の出てくる
「しびん」「松山鏡」あたり。また、前にも書いたが明治以降、戦後になって
宝くじとして復活するまで“富くじ”は行われなかったので「富久」は江戸と
いうことになる。
逆に明確な明治以降設定は前記以外では武士の商法を扱った「素人鰻」。
また「かんしゃく」。これも自動車が登場し、当時の新作。

その他は、どちらでもよさそう。どちらでもよさそうな場合は、
落語家は今は江戸っぽく演じることが多いと思うが、文楽師の場合は
むしろ逆に明治以降っぽく演じているように感じられる。

志ん生師、円生師と比べても、文楽師は明治以降設定、あるいは
明治以降っぽく演出している噺の数の方が多い。
おそらく皆さまも、直感的にそう感じられているのではなかろうか。
文楽師固有の特徴だと思っている

なぜであろうか。
理由を考えてみたのだが、よくわからない。

これは文楽師の感覚的なもの、センスなのではなかろうか。
文楽師の場合、明治以降っぽく演じる方がしっくりきたのでは
ないか、と思うのである。

志ん生、円生との違いは、戦前から売れていたということ。
むしろ、落語家が江戸っぽく演じるようになったのは、戦後なのでは
なかろうか。中途半端に古いよりも、江戸趣味というのか、
江戸ノスタルジーという文脈で。
これには昭和一桁あたりの速記を丹念に読んでみる必要が
ありそう。手元にこのあたりの速記がなく、今回はこれは私の
宿題というしよう。

さてさて。
八代目桂文楽師を見てきた。

一般には、最初に書いたように「船徳」「明烏」が代表作
なのではなかろうか。
この二席は、文楽師以外には考えられない。
文楽師によって、美しく完成された噺であろう。
もちろん、おもしろい。ただ、噺としては、軽い。
なんらか“落語らしい”テーマ性のようなものは、見当たらない。
それで今回は取り上げなかった。

また、京都の愛宕山に登る「愛宕山」。
これも少し長い噺だが、きれいに計算され尽くした演出、
流れるような話芸が光る。
これなどは、志ん朝師に受け継がれている。
(そう。志ん朝師は、父の志ん生ではなく、文楽系なのである。)

こんな噺はご存知であろうか。
「王子の幇間」。
これも文楽師以外では聞いたことがないし、その後も演る人は
ほぼいなかろう。まあ、笑いは多いが演る価値はあまりないのだが。

ただこの噺、マニアックな愉しみ方なのだが、べら棒に可笑しい
フレーズが一つだけある。
名前の通り幇間の噺なのだが、一八と鳶頭(かしら)の会話。

八「鳶頭が、三味線を弾(し)いたのは女郎屋の二階じゃない」
頭「じゃ、どこだ?」
八「区役所ぉ~~~~~~」

ここだけ書き出しても、なんだかわからないのだが、
一度この噺、聞いていただきたい。聞けば絶対にご納得いただける
と思う。実際にもストーリー上の意味もあまりないのだが、
とにかく、無性におかしい。
この噺は、このフレーズを聞くための噺である。

文楽師、昭和の三名人の中では技巧派、職人といってよい、
大名人であろう。

逆のようだが、文楽師、不器用な人だったのではなかろうか。
円生師は賢く、博識で、器用、なんでもこなす。
志ん生師も意外に賢く、器用ではないがやはりある種の天才的
センスがあった人。

文楽師は不器用がゆえに、一つの噺を徹底的に磨く道を選んだ。
噺の数も絞り、キャラクターも得意とした、幇間、若旦那、盲人、
ほぼこの三つに絞った。これは消去法だったのであろう。

不器用な噺家というのは履いて捨てるほどいるのだろうが、
その磨き方が尋常ではなく、他の人には真似ができない
努力をしたのであろう。
希代の落語職人、そういえるであろう。

さて。
円生、志ん生文楽の昭和の三名人をみてきた。

この三人が戦後の東京落語界の肝であった。
彼らがあって志ん朝、談志に引き継がれた。
小さん師の位置が微妙だが、結果、今の東京落語界になっている。

この三人以外、この三人と同世代、戦後の落語家でどうしても
忘れてはいけない落語家がまだいる。
この人達も書かなければいけない。

まず、三代目三遊亭金馬
三名人の次に挙げるとすれば間違いなくこの人。

90歳で存命の当代ではない、先代である。
昭和39年(1964年)、70歳で亡くなっているので、リアルタイムの
記憶は私にはない。
明治27年(1894年)生まれである。文楽師の二つ下。
戦前から名が出てレコードも既に出していた。

落語マニアの間では知らない人は少ないと思うが、一般には、
三名人ほどは知られていないだろう。
聞いたことがない方がおられたら是非、聞いてきただきたい。
聞く価値は絶対にある。どの噺もおもしろいし、上手い。

一般にはTV草創期のNHKお笑い三人組」の人気者でもあったので
タレントとしての顔の方が戦後芸能史の中では重きをなしている
かもしれぬ。

先代金馬師、ネタの数は多い。
録音も数多く残っている。

禿げ頭で丸眼鏡を掛けた柔和な顔が安心感をあたえる。
胴間声(どうまごえ)だが意外に、きれいな口跡で聞きやすい。
名人然とはしていないところも逆に魅力かもしれぬ。

金馬師(3代目)で絶対に聞くべきは、まずは「藪入り」
であろう。
金馬といえば「藪入り」。「藪入り」といえば金馬。
他の人は金馬(3代目)存命中は演らなかったのではなかろうか。
少なくとも音は残っていないようである。

 

つづく