浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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断腸亭落語案内 その38 桂文楽 心眼 ~つるつる

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引き続き、文楽師「心眼」。

円朝作品なので全集にもちろん入っている。
異説のある作品が多いが、これは円朝作が定説のよう。

初出は明治24年(1891年)「八笑人」、書籍か。(「円朝全集」
解題 角川書店)「文七元結」と同年である。
前に見たように、この時期は寄席に出演られなかったので高座では
なく、出版物からであったのであろう。53歳。亡くなるまでは
まだ9年あるが、まあ、晩年といってよいだろう。

同じく「全集」の解題には「「心眼」と題しているように従来の
単なる笑い噺にはない禅味を含んだ、円朝の面目を一新した作品で
ある。」とある。
心の眼で見るというので、禅味といっているのであろうか。
今となってはそれほどのものでは、ないのではなかろうか。
もちろん、よくできているが。

円朝作品を見ていくと、やはり近世(江戸)から近代(明治)の
移り変わりというのか、そういうものが見えるといってよいので
あろう。「累ヶ淵」「牡丹灯籠」から比べると大きく変化している。

現代の目で作品構造を考えると、夢落ち(夢でした)はやはり
ちょいと稚拙には思える。
しかし、夢の中だからよく見える、また、夢の中なので、イケメンで、
モテて、顔のまずい内儀さんなど別れる、などと考えてしまう、
人の願望、慾が顕在化される。現実とのギャップのおもしろさ。
現代でも立派に通じると思われる。「モテキ」(久保ミツロウ
漫画、ドラマ、映画)、「ハンサム★スーツ」(鈴木おさむ
小説、映画、漫画、ドラマ)など思い出す。
やはり男としては、日頃の夢がかなったりして、、、はうれしい。

ただ、比べてみると、「モテキ」にしても「ハンサム★スーツ
にしても、夢がかなった部分を大きく大きく描くわけだが「心眼」は
一席ものという制約からか夢は、文字通り、一晩で儚(はかな)く
終わってしまう。

やはり円朝師、エンターテインメント性よりも、道徳を説く“教導職”
であったからか。

もう一つ書いておくと、これ、盲人を扱っているが、書いている通り
これは平凡で風采の上がらないフツーの男、なのである。
着想は盲人の弟子の話しからであったが、もちろん意図してこういう
噺を作ったのであろう。これも近代の発想といってよいと思われる。

さて。
文楽師。盲人の噺は、書いている通り「心眼」以外にも「景清」、
その他に「按摩の炬燵」と少ない持ちネタに3席もある。
どれも他の人があまり演らなかった噺であろう。
これは文楽師の特徴。得意としていたといってもよいと思われる。
むろん、当時は差別的なテーマや言葉が大手を振って扱われていた
ので、避けようという意識はあまり働かなかろう。
勝新太郎の「座頭市」(子母澤寛原作)がご存知のように盲人が
主人公の代表的な時代劇であろう。ある種、我が国では伝統的に
盲人を扱ったものは作られてきたといってよいと考える。
文楽師の場合、たまたま盲人の演出を得意とし、持ちネタに選び
他の噺と同様、技を磨いて演っていたということであろう。

しかし「心眼」にしても「景清」にしても現代においては盲人を
扱った話は、TVはもとより、寄席でも演じることは難しかろう。
今演る人は聞いたことがないと思う。
今ある音と文字でしか残らないものということか。

さて。

八代目桂文楽師「鰻の幇間」「よかちょろ」「心眼」と三席書いてきた。
もう一席。
なにを書こうか、考えたのだが「つるつる」。

ヘンな名前である。
オノマトペ
ちなみに落語には「だくだく」「ぞろぞろ」なんという題名の
噺もある。

「つるつる」。

これも文楽師お得意の幇間(たいこもち)のもの。
35分ちょいで、文楽師の噺の中では長い。

例によって短い枕で、すぐに噺に入る。

吉原の幇間。この噺は、舞台が決まっている。
名前は落語で定番の一八(いっぱち)。

文楽師は軽く枕でも
幇間と申しますと、吉原が本場でございます。」
と説明をしている。

「松葉屋瀬川」でも吉原の幇間は「吾朝」という名前で出てきた。

吉原は遊郭であるが「松葉屋瀬川」のように、大見世の場合、
引手茶屋へ一度あがり、芸者さんを呼んで呑んで、というステップを
踏むのがルールで、また、実際に妓楼にあがってからもさらに呑んで
騒ぐ。これらのお座敷に幇間も同席する。芸者にしても、幇間にしても
吉原には古くからあった。
(詳細な歴史はどちらもなかなか難しい。これはまた稿を改めよう。)

時代設定は、明治末から大正にかかっているか。

一八が家に帰ってくる。
独り者である。
住んでいるのは吉原内の幇間の師匠の家。住み込み。
置屋も兼ねているのか、芸者も一緒に住んでいる。

時刻は、朝~午前中か。湯から帰ってきたところ。

前の晩から朝までお客と呑んでいたという。

柔道に凝っているだかで、呼ばれて座敷に入ると、いきなり投げられた。
呑まされるは、投げられるは、絞められるはで、もうダメ。

そこへこの家の芸者小梅も湯から帰ってくる。

八「お梅ちゃん。
  あなたがねぇ、お湯からあがるのを男湯の方であたしは待ってた。
  一緒に帰ってこようと思って。
  それがあたしが、先に帰ってきちゃった。

  たいへん今日(こんち)は、鬢(びん)の具合が、たいへん、、、

  あーーーー、うーーーーーん。

  なんだい、お言葉なし、ときたね。

  すーーーーっと、向こうの部屋へ入っちゃった。

  いい女だな。あのくらいの芸者てなないね。
  俺ぁ、四年半岡惚れしてるんだがなぁ。

~~~~
岡惚れとは、密かに片思いをすること。
~~~~

  岡惚れも、三年すぎれば色のうち、ってぇことがあるが、
  一年半超過してるんだから。

~~~~
この“色”は、まあ、今でいう恋人、彼氏、でよろしかろう。
ただ、芸者、花魁などのという限定は付くかもしれぬ。
~~~~

 

つづく