引き続き、円生師「松葉屋瀬川」。
いよいよ佳境。
もうどのくらいの時刻なのかわからない頃。
忠蔵も善次郎も寝てしまっていた。
駕籠が着き、ピシャ、ピシャ、ピシャッ、と戻っていく。
雨。
刀を差した武士らしい頭巾をかぶった者がスーッと入ってきた。
(そうであった。最初の時代設定のところで、武士は出てこない
と書いてしまっていた。)
差していた大小を鞘ぐるみそれへ。
合羽を脱ぎますと、下は燃え立つような緋縮緬(ひぢりめん)の
長襦袢(ながじゅばん)。頭巾を取ります。
洗い髪、簪(かんざし)ですが、玉の大きなやつにやけに髪を
クルクルっと巻き付けて、スッと立っている姿。そのきれいなこと、
と、いったら。
忠「あ、いらっしゃいまし」
「忠蔵さんは主(ぬし)ざますか?」
忠「さいでございます。確かに忠蔵でございます。逆さにいえばゾウ
チュウでございます」
「主のところに、善さんがいなますか?」
忠「えぇ、えぇ、ッ、イナマス、イナマス。二階にいなまします。」
若旦那も話し声に気が付いた。
「あ、花魁だ!」
身を乗り出したとたんに、ガラガラガラ、っと二階からもろに
落っこった。
善「あー、あ、痛い」
瀬「会いたいのは、主ばかりではありんせん。わちきも会いとう
ござんした」
二人の者は暫時取りすがって泣いた。
これは吾朝が手配をして廓を抜けさせたもの。
翌日、店(善次郎の実家[下総屋])へ行って話をしてみると、いい
塩梅というか、お父ッつぁんが大病。
そこへ詫びごとでございますから、一も二もなく承諾をいたします。
家へ帰れば、金はふんだんでございますから[松葉屋]の方には
ちゃんと瀬川の身代金を払いまして、仲人を立て、目出度く夫婦に
なったという。
傾城瀬川の実意でございました。
これも下げはない。
通しで1時間22分。
人情噺といってよいだろう。
「落語の鑑賞201」(延広真治編)によれば講談、大岡政談の
「煙草屋喜八」というのが元という。これは1852年(嘉永5年)江戸
市村座の初演で歌舞伎にもなっているようなので、講談としては
もっと前からあったのであろう。
また、同書によれば、四代目桂文楽が「雪の瀬川」という題で演じた
速記が残っているよう。四代目桂文楽は天保9年(1838年)~明治27年
(1894年)(同)とのこと。ほぼ円朝師と同じ世代。
一方、こんな情報もある。
京須偕充氏のTBS落語研究会でのコメントでは三代目麗々亭柳橋の作
であると。
さらに京須氏の言によれば、この速記から今回の円生師(6代目)は
憶えたという。京須氏は「円生百席」などを手掛けたソニーのプロ
デューサーだった方。三代目麗々亭柳橋というのは、文政9年(1826年)
~明治27年(1894年)(「落語家の歴史」柳亭燕路)。ちょい上だが
ほぼ円朝同世代。この人は、幕末から明治の柳派の頭取と言われた
大物。
四代目文楽、三代目柳橋、どちらの速記も手元にないので、確認は
できないのだが、講談が元で、三代目柳橋が幕末から明治初めに落語化し、
これが元で四代目文楽も演っていたということになるのか。
(この二人、年代が近く、京須氏の混同という可能性はないだろうか。)
四代目文楽の「雪の瀬川」は後半部分に対しての題に使われることが
多いよう。
今、柳家さん喬師が演り、CDにもなっている。
さん喬師は通しで演るが題は「雪の瀬川」で、これはクライマックスの
瀬川が廓抜けをして忠蔵の家に駕籠でくる場面、雪で、それで「雪の瀬川」
なのである。
ひょっとすると、明治の頃既に、柳橋版と文楽版があって、文楽版が
雪にするということ、なのか、、、。
さん喬師のものももちろん、聞いている。技量というのを円生師と
比べてしまうのは、さすがに勝負にならないと思うが、雪の件は
場面演出として、雪でなくともなんら問題はないようには思う。
円生師の雨では「ピシャ、ピシャ、ピシャっと」駕籠がきて、去って
いく描写が実に効果的である。雨と夜の闇、そして、その後の瀬川の
真っ赤な長襦袢の鮮やかさ。
もしかすると、雪というのは、前記のように芝居になっており、
ビジュアル的な演出とすればでは、雪の方が断然ドラマチックで
あるのは、いうまでもない。その影響かもしれぬ。
さて。
この作品、いかがであろうか。
やっぱり、ハッピーエンド。
人情噺であるが、女郎の真。同じ吉原舞台の人情噺「紺屋高尾」よりも
私は好きである。
[紺屋高尾]は、紺屋の職人が3年必死に働いて貯めた金で会いたかった
高尾に会って、その真に高尾が心を動かされ、年が明けたら、嫁に
きた、というもの。
どちらも、そんなはずはないだろう、というストーリーではあるが、
なぜか私は[瀬川]の方がスッと入ってくるのである。
あまりに噺が長く、ここまできたら、ハッピーエンドで、と、願って
しまうのか、、、。
作品論のようなものをすれば[高尾]の方が、高尾の心を動かすのが
紺屋の職人、久蔵の真と因果関係がはっきりしている。
[瀬川]の方は、身の危険を冒してでも廓抜けをする瀬川の真は
わかるのだが、なぜそこまで善次郎に惚れこむまでになったのかは
まったく触れられていない。
構造をロジカルに考えると、[高尾]の方に軍配が上がるのか。
ただ[瀬川]の方は、そんなことはどちらでもよい、という作りとも
いえるのかもしれない。
私も男だし、落語の主な客は男で、男からすれば、ということなの
かもしれぬ。
さてさて、円生師の私の好きな、一席ものではなく長編三席
「御神酒徳利」「ちきり伊勢屋」「松葉屋瀬川」をあらすじ含めて
書いてきた。円朝作品でないのも共通点である。だが、どれも名作、
佳作で聞き応えがあると思う。
音があるので、是非皆さまには聞いていただきたい。
円生師の人物描写、会話芸としての技量は長くともピカイチ。
また、人(にん)であろう、理屈っぽい語り口が、私は好きである。
長いものは今あまり、演者もおらず、おそらくCDなどでも聞く人は
少ないのは確かであろう。
普通TVなどでは10分でも一席落語を演るとすれば長いかもしれぬ。
寄席も然り。個人の独演会などでは20分、30分はあるかもしれぬ。
だがまあ、それも枕込み、かもしれぬ。
ライブで聞くには、休みが入るとしても、現代人には集中力が
続かない、といえるのかもしれぬ。
まして、落語初心者の方に、例えばいきなり[瀬川]の前半、
どうでもいい若旦那のウンチクを延々と喋られたら、とても
聞いていられない、というようなことにもなるかもしれぬ。
聞き慣れたら、ということにもなろうか。
CD向きかもしれぬ。だが、やはり、この長編の伝統は落語の中に
残ってほしい。演者の皆さま、志らく師も、喬太郎師も、
もちろんできる方はなん人もあろう、是非演って後世に音を残して
いただけないだろうか。
つづく