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須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その19

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三遊亭円朝師が「怪談牡丹灯籠」の初めての出版から
亡くなるまでを追ってきた。

さて。
ここからは、もう一度、先にあらすじを書いた「真景累ヶ淵」と
「怪談牡丹灯籠」についてテキスト、須田先生の「三遊亭円朝
民衆世界」に沿って作品分析と考察を追う。

それぞれ、ちょっと煩雑になって申し訳ないが、
前に戻って見直してもいただければと思う。

まず「真景累ヶ淵」から。
このお話は、貧乏旗本深見新左衛門が針医者で金貸しの皆川宗悦を
殺すところから始まり、その長男新五郎が宗悦の次女お園を殺し獄門
となり、次男の新吉は「悪党」化し「凄惨な暴力を行使していく」。

この作品は基本「因果・応報と悪・暴力」でできている。

特に徹底的な暴力である。
新左衛門が宗悦、奥方、新五郎がお園、新吉が(豊志賀は自害)お久、
お累、息子、お賤ととともに惣右衛門、甚蔵。
ここから名主惣右衛門家の話になり、後を継いだ惣次郎が不良剣客に殺され、
山倉富五郎は仇討成功するが妻のお隅が返り討ち。
お賤新吉が再登場し、三蔵と共の者与助、さらに共謀した
作蔵をも殺害。
さらに仇討に出た惣吉、母。母がお熊に殺されている。

ここまで、いったいなん人が殺されているのか。
数えるのもいやになる。

そして、注目すべきポイントは「これらの暴力を外部から断ち切る
公権力(幕藩領主)の介入などは一切ない」のである。
ここ、円朝作品の重大な特徴といってよい。

そして、帳尻を合わせるように最後に因果応報、新吉はお賤を殺し自害、
お熊も自害、惣吉の仇討成功。

これで皆を浄化させ、因果応報と勧善懲悪が完成している。

真景累ヶ淵」はこんな構造になっていると。
意外に単純といえるかもしれぬ。

ただ、須田先生は「真景累ヶ淵」の考察の最後に書かれている。

安政期、円朝が「真景累ヶ淵」で語った悪と暴力の多くは、関東
周辺地域で発生したものであり、江戸ではなかったという事実がある。
ところがその後、桜田門外の変、三田騒動、そして上野戦争など、
暴力が日常空間に入り込んでくる。江戸の人々はまぎれもない暴力を
経験したのである。それは文明開化期になっても消えることのない
陰惨な記憶として残り続けたのである。人は因縁により凄惨な暴力の
担い手(悪)へと変貌するが、その悪は因果応報によって滅びていく。
円朝は因果応報と勧善懲悪を結び付け、さらに悪を浄化させる仇討ち
(自力の技)を語り込んだのである。これらの時代背景と、人びと
との中に残る暴力の記憶が、この噺を作り上げ、文明開化期に至るも
人びとの共感を呼んだのである」と。

 

では次、「怪談牡丹灯籠」

こちらは、怪談。怪異が入っているので少し厄介。
その上、怪異を否定する伴蔵の種明かし告白まであるので。

まずは「悪党」主人公といってよい伴蔵の三つの殺しについての解析。

(1)新三郎殺し
「牡丹灯籠」で最もおもしろく人気のあるプロットであろう
「お札はがし」。それから後から幽霊の仕業ではなく、伴蔵が
俺がやったと志丈に告白する部分である。この告白は文明開化期に
円朝自ら改作したのではと文学系研究者によって言われていた。

まずこの「お札はがし」の部分、注意深くCDを聞き、速記を読むと、
須田先生が分析されているように、実に、幽霊と関係を持つと、人相見の
白翁堂も良石和尚も“死ぬ”とはいっているが「“直接”死霊に取り
殺される」とは言っていない。

もう一つ、須田先生は円朝が張った伏線という、おみねの言葉。
おみねが幽霊から百両を取ってお札をはがそうとそそのかした
わけだが、お札をはがして、幽霊が入っていったあと「旦那(新三郎)
は殺されやしないかな」と伴蔵がつぶやくとおみねは

 大丈夫だよ、殺しゃぁしないよ。だってお前、恨みがあって出る
 んじゃないんだろ、惚れてお前出てくるんだもん、ねぇー。きっと
 なんだよ、口説(恋の恨み)をいうよ。ひどいわぁあなた、こんな
 ことをしてあたしを寄せ付けないで、随分わるい人ねぇ、とかなん
 とかいって、今時分はお前、仲直りをしているかなんだか、わから
 ないよ。(円生師(6代目)版)

「確かに萩原新三郎は「焦がれ死」したお露の幽霊に憑かれ生気を
失った。しかし、だからといって新三郎がお露の幽霊に取り殺された
という確証は、噺のハナからないのである。伴蔵が萩原新三郎を
殺したという筋は、文明開化を意識して変容させたのではなく、
創作当初のままであることは否定できない。円朝が「新三郎殺し」で
語りたかったことは、怪異ではなく、貧乏と貧困ゆえに慾が生まれ
その慾によって人は悪にかわる、ということであった。」と須田先生。

もちろん、そもそもこの噺はお客に聞かせるエンターテインメント
である。もし、伴蔵が殺したとしても、この場面ではお露の幽霊に
取り殺された、とお客には聞かせなければいけない。それで
どちらにしても、矛盾、不整合、あるいは曖昧なところはよくよく
注意深く読み、聞くと随所に発見できる。

ただ、前出のおみねの台詞の最後に、大丈夫だからお前さん、様子を見て
おいでな、といって伴蔵は見に行く部分である。ここも伏線といえよう。
この後、かなりの間長く、伴蔵は帰ってこない、ということが
語られる。この間に、伴蔵の手で殺し、お露の新墓を掘り返し、
骸骨を新三郎の遺体の脇に撒く、という工作をしていたということを、
暗示させているのであろうということが想像できるようになっている。

この部分も、お話の意図としては確かに、伴蔵が殺った、といっている
複線と判断してよさそうである。

(2)おみね殺し
これは、お国という惚れた女ができ、おみねに騒がれ、悪事も喋り
始めたので邪魔になって殺した。
だが、あらすじで書いたように、その描写が残酷で、壮絶。
愛欲と保身のための殺人。

(3)山本志丈殺し
これは保身のため。

結局、幽霊に殺されたものは一人もいない。すべて伴蔵による殺し。

ただ、この物語でお露、お米の幽霊の怪異だけは消えない、と
須田先生は書かれている。それは確かである。これに加えておみねの憑依という
怪異も付け加えてよいと思う。やはりこの物語が「怪異」「怪談」である
ことは残るのである。

さて、ここまでのところはよろしかろう。
しかし、私には一つだけ、疑問が残っている。

幽霊と契約して取った、百両のこと。
須田先生は幽霊から取ったと理解している。
円生師(6代目)のCDでも速記でもここは曖昧にされている、と思うのである。

そもそも、この百両がないと栗橋へ行って荒物屋は開けないので
あったことは間違いない。
本当に幽霊から取ったのか?。この問題である。

 

 

 

つづく

 

 


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須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」より