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須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その17

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これで円朝師「真景累ヶ淵」と「怪談牡丹灯籠」のあらすじ
すべてを書き終わった。

二作のテキストに基づいた詳細な検討、考察はちょっと後に回す
とするが、先に私の感想のようなものを書いてみたい。

「累ヶ淵」のところでも書いたが、こんなことでもないと
私はこの二作に触れることはなかった。

落語が好きで、曲がりなりにも30代前半の頃プロである志らく師に
習って人前で演ったことのある者として、なにか充実した
満足感を感じている。
もちろん自分ができるはずはないし、レアな作品ではあるが、
やはり大円朝であり落語の親玉であり、あだやおろそかにしては
いけない江戸落語の大恩人であることを理解することができた。

怪談噺で、怖い、というのもあるが、それこそ博物館に入って
しまった過去の作品であり、芸であると思っていたが、まったく
左に非ず。十分にその素晴らしさが実感できた。
今、聞いても、読んでもなんら色あせることはないと
掛け値なしに思われる。

細かいことを言い出すと、いろいろある。
だが、長い話芸であるからお話、筋の、ある程度の矛盾なり、
不整合はまあ、許容されてもよいのではないかと思う。

それよりも円生師(6代目)はむろんだが、原作者であり原演者である
円朝師速記にしても描写力の凄さ、素晴らしさを都度感じた。

やはり長い噺であるが、現に今、目の前のお客を引き込む
部分部分のディテール、語り口は流石である。
(速記と実際の口演はまったく同じではないとはいうが。)
聞いて、飽きて寝てしまったら、翌日はお客はこなかろう。
(いや、寝にくる、というお客もいたというが。)

落語というのはご存知の通り、会話によって話が進む口承文芸である。
講談だと地の語りでお話を進める。芝居だと舞台があり、大道具や
小道具があって役者が演技をしてお話が進む。

落語にも地の語りや仕草はあるが基本は会話。
円朝作品のこの長い長い二作も基本は会話で成り立っている。
そういう意味で立派な落語である。

例えば「真景累ヶ淵」でこんなシーンがあった。
『その3「豊志賀の死」』

主人公の新吉がお久に一緒に逃げてくれといわれる場面。

街で偶然新吉はお久に出会う。
じゃあ、おなかもすいているので、そこの鮨やに入りましょうという
ことになる。はすみ鮨という。名前まで決まっている。

鮨やの女将さんが「今、いい種はなんにもないんですが、おにぎり
(にぎりの鮨)とちらしくらいで。お吸い物もたいしたものは
できないんでございますが」という。そして、なんだか妙な気を
利かせて「あ、お二階へどうぞ。」ということになる。
ギシギシ音のする梯子を上がって鮨やの二階座敷。四畳半、天井の低い
いやに薄暗い部屋。女将さんが上がってきて

女「ご酒(しゅ)はお召し上がりになるんですか」
新「いえ、お酒(さけ)はいただかないんですが。にぎりは、じゃ、上等なのを
  二人前と、お吸い物を、え、なんかこしらえていただいて。」
女「それから、あの、海苔でも炙ってまいりましょうか。」
新「えー、あ、そうですね。あー、それからお酒は呑みませんから、
  みりんがあったら、あ、甘いのを。五勺(しゃく、一勺は一合の1/10)
  ばかり、え、あの、持ってきていただくように。」
女「はい。ちょっと、あの、お手間を取らせるかもしれませんが。どうぞ
  ごゆっくりあそばせて。ご用の時は、お手を叩いていただけますと、
  参りますから。あ、あのー。この戸は中から鍵がかかるようになって
  ますから。どーぞ、ごゆるりと。」(円生師(6代目)版)

ちなみに、以前はみりんは酒の一種として呑むこともあったのである。
こんな場面は細かく描写する必要はまったくない。
鮨やじゃなくともまるでよい。また、鮨やの女将さんとの会話も
描く必要は筋にはなんの影響もなく、省いてもよい。しかし、
これだけ細かく描いているのである。

これがどういう効果になるのかといえば、聞く者の想像力を掻き立て
生き生きとリアリティーが出て引き込まれていくのである。
むろん長くはなるが、地の説明ではなく、会話で描くのでその効果は絶大。
次がどんどん聞きたくなる。

これが落語、なのである。
素晴らしい話芸だとは思われまいか。

円生師(6代目)の音はもちろんであるが、円朝師の速記文もこうした
筋に関係のない部分のディテールがきちんと描かれていて、夢中になって
読むことができたのである。
これが改めて二作から感じたことであった。やはり大円朝である。

さて。
円朝師、若かりし頃、まだ幕末、これで出世し、文明開化期に出版した
速記本も売れた。

だが、いつわらざるところをいうと、私などの現代の感覚では
どのくらい当時の大衆に支持されていたのか、やはり今一つわからない。
特に文明開化期である。

前にも書いたが出世美談噺の「塩原多助」や元勲との付き合い、など
“落語家らしからぬ”姿は、文明開化期の変節、と後世の文学系研究者に
とらえられ、どうしてもそういうイメージが私などの頭にもあった。

さらに、私の個人的なことをいえば、談志家元の「落語とは人間の
業の肯定である」という文脈で落語をとらえてきた。
先に「文七元結」について書いたが、縁もゆかりもない若者に
娘の身代金をいかに身投げを止めるためとはいえ、くれてやる
ということは、業の肯定、では、あり得ない、と。

どうも、円朝の冷静公平な、史実に基づいた評価が後世されて
こなかったことは間違いなかろう。
ここで、文学ではなく歴史研究者である須田先生の研究は大きな力を
発揮しているといえる。

“変節”だったのかどうかは、後に詳しく須田先生の考察とともに
考えるとして、明治、文明開化期にも円朝は少なくとも大きな支持を
得ていたということは正しく頭に置いておかなければいけない
ことである。

ついでだが円朝の当時の評価を裏付けている速記本そのもの
についてもここでちょっと書いておきたい。

書いている通り、江戸期の落語というのはその口演内容は
現代においては知ることができない。つまり書いて出版された
もの、文字になって残っているものがないのである。

歌舞伎であれば、それぞれの興行の芝居毎に台本が(すべてでは
なかろうが)残っておりまた、当時のチラシもあれば、興行毎の
浮世絵が役者の名前入りで出版されていたわけである。また、その
芝居評というのもその都度出版されていた。
なん年のなん月、どこの劇場で、配役はどうでどんな芝居が
演じられ、評判がどうであったかは史料としてほぼ追いかけることが
できるのである。

落語が文字になり出版された最初が円朝作「怪談牡丹灯籠」
なのである。このおかげでやっとリアルな口演内容を私たちは
知ることができるようになったのである。

最初に出版された「牡丹灯籠」は明治17年1884年)。全13編。
1編7銭5厘。全編買うと87銭。当時の寄席の木戸銭は3銭から3銭5厘程度で
あったという。比べると、そうとう高価である。(須田先生)
だが売れた。

それ以後、円朝作はもちろんだが他の噺家のものも速記が出版されるように
なっていく。それまで寄席で落語家が喋っただけで消えてなくなっていた
ものが、明治17年から残るようになり、現代でも読むことができるのである。
(例えば「口演速記・明治大正落語集成1~7」(講談社))

 

 

つづく

 

 


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須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」より