浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その14

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引き続き、円朝作「怪談牡丹灯籠」。

二つのお話がパラレルに進行する構成だが、そのうちの
飯島平左衛門家に奉公をした孝助のストーリーを追っている。

登場人物を整理しよう。
・飯島平左衛門…旗本、孝助の親の仇(かたき)。心ひそかに孝助に
        討たれてやろうと考えている。屋敷は牛込軽子坂
・お国…平左衛門の妾。
・孝助…平左衛門家の忠義の奉公人。
    平左衛門若かりし頃、無頼浪人であった父黒川孝蔵は
    平左衛門に切られている。仇を打とうと剣、槍を平左衛門に
    習っている。平左衛門は自分が仇であることは知っているが
    孝助は知らない。
・宮野辺源次郎…飯島平左衛門家の隣家の次男。お国と密通している。
・相川信五兵衛…平左衛門と昵懇。孝助の縁談の相手お徳の父。
・お徳…相川家の娘、孝助の縁談の相手。

お国は隣家の次男源次郎と密通。平左衛門を亡き者にし、源次郎を
娘が亡くなった飯島家の養子にしようとたくらむ。
源次郎とこの相談をしているところを孝助に立ち聞きされる。
これに孝助は、源次郎、お国を殺し、自分も腹を切ろうと思い詰める。
お国は孝助に露見したことを知る。

その頃、孝助に縁談話が持ち上がる。相手は水道端の相川
信五兵衛家の一人娘お徳。つまり養子にもらってくれるというのである。

様々お国源次郎は孝助をおとしいれようと計略を練って実行もするが、
孝助も武芸が上達し、運も味方し失敗。また孝助の平左衛門への忠義も
強調されていく。

孝助は、お国の寝間に忍んできた源次郎を槍で突こうと用意をするが、
誤って主人平左衛門を突いて深手を負わせてしまう。瀕死の際で、
平左衛門は孝助の仇で、討たれてやろうと思っていたことを明す。
孝助は、仇は仇、父親は悪かったから殿様(平左衛門)に殺されたまでのこと、
殿様への忠義は変わらない、という。
このままでは、平左衛門家は改易になってしまう、孝助に形見の
刀と包みを与え早く逃げるように指示する。

孝助は相川家へ。信五兵衛に事の次第を語る。
そして、包みには平左衛門の書置き(遺書)が入っていた。
信五兵衛がこれを読む。

お国源次郎はおそらくお国の実家の越後へ逃げるであろう。
孝助にこれを追わせ、仇を討たせ、孝助とお徳の子に飯島家を再興
させてほしいということであった。
お徳と孝助は婚礼をし、翌日、孝助は主人平左衛門の仇討の旅に
出立する。

孝助はお国の出身である越後村上へ行くが見つからぬ。
信濃から美濃と探すがわからず、平左衛門の一周忌も近くなるので
一度江戸に戻る。
相川家に帰ると、お徳との間に男の子が生まれていた。

寺で法事の後、仇討の吉凶を占ってもらうため、人相見の白翁堂勇斎を
訪ねる。と、そこで孝助は、偶然小さい頃に生き別れた母、おりゑに会う。

孝助はおりゑに小さい頃から、今までのことの話をする。
すると、なんとおりゑは今、下野宇都宮の再婚先で仇のお国源次郎を
かくまっており、今、たまたま江戸見物にきていたという。
お国というのは、再婚相手の連れ子であったというのである。
これも因縁。
おりゑは手引きをするからというので、孝助は宇都宮へ向かう。

すると、おりゑは、婚家への義理からお国源次郎を逃がして
いたのであった。そして、二人の行き先を教え、すまない、
というので、おりゑは自害。

孝助は後を追い、無事、本懐を遂げる。

江戸に戻り「孝助の一子幸太郎をもって飯島の家を立てまして」
幸助の物語は終わる。

お気付きであろうか。
孝助の話には、怪談は一切出てこない。
一貫して、忠義、そして主人の仇討で終始しているのである。

さて。
もう一つのパラレルに進行する「怪談牡丹灯籠」。

円生師(6代目)でも、今の落語家でも演じられるのはこちらだけ。
だが、これも全部ではない。円生師(6代目)のCDと速記からあらすじを
追ってみる。

登場人物は、孝助のお話と共通している者もある。

その1「お露と新三郎」
飯島新左衛門家に出入りの医者。山本志丈(しじょう)という。
ちょっと変わった言葉だが、幇間医者という。“お”を付けて
幇間医者などともいう。

幇間はタイコモチ。ホウカンが正しい読みだが、こう書いて、落語などでは
タイコモチと読む(読ませる)。(本当は落語に限らない。以前の東京の
庶民的な文芸関係での用法といったらよいのか。私がいつも内儀さんと書いて、
カミサンと読ませているのもその例である。)

タイコモチはもうそろそろ死語になりつつあるかもしれぬ。幇間医者で
読みはタイコイシャである。
もちろん比喩的な使い方だが、調子がよくタイコモチのような医者、
ということである。漱石の「坊ちゃん」に出てくる赤シャツは「〇〇でげすなぁ~」
なんという言葉使いをし、このキャラである。今はもうわからなくなっているが、
これがキザな言葉使いといわれた。漱石も使っているので明治の言葉使いと
私は思っていたが、江戸末には使われていたわけである。私にとっては発見である。
さらに余談だが、そういえば、円生師(6代目)はこのキャラ、この言葉使いを
よくしていたが、志ん生師(5代目)はあまり聞いたことがないように思う。
嫌いであったのか。今でも「酢豆腐」の腐った豆腐を喰わされる若旦那には
この言葉使いをさせるのが普通であろう。

ともあれ。
その幇間医者の山本志丈が、根津清水谷の萩原新三郎という者を訪ねる
ところから始まる。
この新三郎は21歳。「生まれつきの美男」でいまだ独身。
放っておくと家に閉じこもってばかりの内気な男。父は浪人ながら
円生師(6代目)はブローカーといっていたが、ネットワークが広く、
さまざまな人とのつながりがあって、間に入って商売をしていた。
それで蓄財をし、田畑から長屋、家作を持つようになった。
受け継いだ新三郎はまあ、若くして悠々自適の生活、というわけである。

山本志丈は亀戸の梅見に連れ出す。そこから飯島新左衛門の寮(別荘)に
まわる。ここには新左衛門のお嬢様、お露がお付きの女中、お米と
二人でいる。奥方が亡くなり、例のお国に殿様の手が付き、このお国と
お露は折り合いがわるく、離されたというわけである。お露は、別嬪さん。

訪れるとお露は一遍で、美男の新三郎にまいってしまう。その日は夜に
なるが、まあさすがに二人は帰る。

新三郎は新三郎でお露のことが気になって仕方がない。だが、性格上、
自分から再訪することはできない。悶々とする日々。

志丈と新三郎が訪れたのが2月、そこから4か月。6月になってひょっこり
志丈が訪ねてきた。と、お露さんが亡くなったというのである。
お付きの女中、お米も看病疲れというのか、後を追うように亡くなって
いた。志丈がいうのには、新三郎に恋焦がれて死んだという話をして、
とっとと帰ってしまう。
新三郎は驚くが、志丈は葬られた寺の名前さえいっていなかったので
そのまま時はすぎる。

そして、7月、お盆の13日。
「夜もよほどふけまして」カラーン、コローンと下駄の音がする。

 

 

 

つづく

 

 


須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」より