浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭ハワイ島へ行く。その5

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(祝日ですが今日は配信します。)

断腸亭のハワイ島、いよいよこの旅のメインの目的地
ワイピオ・バレー。

展望台からの絵葉書のような絶景。

この展望台から眺めて、終わり、というのがほとんどの
観光客であろう。

だがこの谷には降りることができるのである。

ワイピオ拡大

この海岸部分、黒砂のビーチは、はワイピオ・ブラックサンドビーチ。
公園にもなっている。ビーチで遊んでもよい。

そして、この谷には人が住んでいるのである。

いや、それこそこの谷には古代から人が住んでいたと
考えてよいところ。

前に書いたように、ハワイ王国を統一したカメハメハ一世(I)は、
ここで育ったという。
カメハメハというのはハワイ語で「孤独な人」という意味らしい。
こんなところで育ったから、か。

谷に降りるには道が凸凹で、車高の低い乗用車ではだめで、四駆。
レンタカーでは保険適用外ということ。
観光客は歩く。または、四駆のツアーもある。

ただ、歩けるというので、今回は歩くことに決めてきた。

展望台から一本道。
降り始める。

写真に撮るとお分かりにならないと思うが、これかなり急
なのである。

降りるのは楽ではないか、と思うことなかれ。
これが続くと、段々に膝にくる。

展望台から坂の下まで、距離1300m。

後で調べてみると、この台地、崖の上から下までは、
高さ2,000フィート(609m)。

46%の勾配、斜度24度ということになる。(この計算あっていようか。)
もう登山である。

軽いトレッキング?。
いやいや、運動不足の身体には、ほぼ登山。

段々に谷底が見えてくる。

田んぼのようなものも見える。

遥か谷底だが、

家も見える。

個人やツアーの四駆も通るが、欧米人のようだが、家族で徒歩で
降りている人達も見かける。

もう膝が、ガクガク。笑っている。

やっと、底近くになってきた。

谷なので、川が流れている。

川の名前はワイロア・ストリームというよう。
ワイピオ自体が、ハワイ語で「曲がりくねる水」だそうな。

坂を降り切った。
もはや、汗だく、疲労困憊、なのだが、せっかく降りてきたので
この谷を見なければ。ブランク・サンド・ビーチという選択肢もあるが、
重い足を引きずって、谷の奥を目指して歩き始める。

住居なのか、納屋なのか。

パラボラアンテナがあるので、TVが視られるのか。
住居か。

谷の奥の、滝、二筋。

谷は二つに分かれており、本流は右側に続くが、手前側のもの。
イプウ滝というよう。

高さ600m以上の台地の崖から真っ逆さまに落ちているのである。
このあたりには相当数こんな滝がある。

少し歩くと、小川のようなもの。

そして、これ。

私も初めて見る。里芋の葉っぱに似ている。
誰かにここで聞いたわけではないので、断定はできないが、
これがタロイモ、でよいのではなかろうか。
そして、ここはそのタロイモを栽培している、田んぼ、か。

タロイモ、タロというのは、太平洋の島々で主食とされてきた
里芋の仲間。ハワイではカロと発音されるよう。

日本人にはあまり知られていないと思うが、日本の里芋と
違って、タロには多くの水分が必要で湿地のようなところ、
いわゆる水を張った田んぼで育てるのである。

さて。
ここへきたのは、私の学んだ民俗学というのか文化人類学
興味と最初に書いた。ここで、参考書の登場。
東大の矢口祐人先生の「ハワイの歴史と文化」(中公新書)から。

西洋文明が入ってくる以前のハワイアンの伝統的な
生活の成り立ちというのであろうか、そんなもの。

ハワイでは山裾から海に注ぐ川とその三角形の扇状地
一つの生活単位でアフプアアと呼ばれ、これを管理する首長
(コノヒキ)がいた。この一つがハワイ社会の基盤。

こうしたアフプアアがいくつか集まって、貴族階級(アリイ)
が管理し、その上に王(アリイヌイ)が君臨し、カメハメハI
以前は複数の王が分割してハワイ諸島を統治していた。

首長のもとには、平民階級(マカアイナナ)がおり、農業
漁業などに従事し、一定量の作物や魚が税として最終的には
王の手に渡された。
またこれ以外に「祈祷や占いなどの特別な儀式をつかさどったりする
カフナと呼ばれる専門家集団もいた」という。

まさにこのワイピオバレーはそのアフプアアの単位として
わかりやすい例になるのではなかろうか。

少しだけ信仰の話しも書くと、基本的に多神教
「命の神カネ、戦いの神クウ、収穫の神ロノ、海の神カナロア」
の四つの神が主要なもので、これらの神が「風や雨、木や花などに
なって人びとの前に現れると考えられていた」とのこと。
アニミズムというのはどこもそうなのか、我が国の木や石を
神の依り代(よりしろ)と考えるのも近いものか。

そしてこのような神々を祀るために今回は行っていないが各地に
「ヘイアウ」という神殿が建てられた。この神々や王を讃え
謳われる詩がメレと呼ばれるもので、メレに合わせて踊られるのが
フラ(ダンス)ということであったらしい。
ハワイには文字なく、王を讃えたメレで歴史を口承していた。

 

 

つづく

 

 

 

 

参考:「ハワイの歴史と文化」矢口祐人

ハワイ王国」矢口祐人