浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭ハワイ島へ行く。その4

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ワイ島、まだ二日目。

カイルア・コナから車で北へ向かっている。

雄大

コナコーヒーとスパムむすびという妙な組み合わせを
食べながら。

19号線はコハラの南麓を東に進み標高も上がる。
ここから植生も大きく変わってくる。灌木から濃い森林に。
道も曲がりくねり、なんだか牧場も現れる。
牛、それから馬。馬を生産しているのか。
競走馬であろうか。乗馬用か。
アメリカへ出荷しているのか。

ワイメアの街を抜けて、再び森の中を走るが、
すぐに、ホノカアの標識が出てくる。
左に折れ、坂を降りる。

坂を降りると「Historic Honokaa」。
ワイピオの前にまずはここが目的地。

こんな映画をご存知であろうか「ホノカアボーイ」。

2009年、岡田将生倍賞千恵子主演。真田敦監督作品。
吉田玲雄原作。
このハワイ島北端の、このホノカアという小さな日系人
オールドタウンが舞台の“癒し系”映画。よい映画である。
こんなのもあって、きてみたかった。

坂を降りると十字路があり、右折するとホノカアの古い街並みのよう。

ほう、これがホノカアの街か。
ちょっと西部劇のような感じの木造の古い店舗が並んでいる。

やはり日系の名前。

ホノカアボーイ」の舞台の映画館。

もうやっていないよう。

今日は土曜日で、通り沿いのコミュニティーセンターのような建物に
人々が集まっており、なにかイベントが行われている。
小さい子供たちのフラダンスだ。

そんなことで路肩には駐車スペースは見つけられない。

小さな街はすぐに終わる。街はずれまできてしまった。
Uターンしてみる。

と、こんなものが通りに向いて建っているのが目に入った。

明らかに和風のもの。
なんであろうか、車を降りて近寄ってみる。

文久」!。
ワイ島文久の文字を見るなんて!。
文久はもちろん幕末。

文久生まれのKatsu Gotoさんという方の記念碑のよう。
英語と日本語で書かれている。読んでみる。

「日本人商店主 後藤濶氏は、ホノカー留置所から約90メートルの
電柱で縊死しているのが発見された…」1889年10月22日付(デイリー・
パシフィック・コマーシャル・アドバタイザー※ハワイの代表紙
(筆者注))

と、ある。

縊死(いし)、hanging、いわゆる“吊るされていた”ということ。

ショッキングである。

後藤濶氏は、広島から明治0年代の官約移民と呼ばれる移民で、
ハワイに渡った。当初ホノカアそばのサトウキビプランテーションで働き、
その後、英語もできたので日系人最初の商店をホノカアの町に開店させた。
当時のプランテーションの労働環境は劣悪で後藤氏はその待遇改善運動の
先頭に立っていた。そして彼はリンチに遭い、27歳の若さで殺された。
(容疑者らはその後逮捕され刑に服したよう。)

ヒストリック・ホノカア・プロジェクト

その後、後藤濶氏の死から100年以上たった、今から数年前、
こんなドキュメンタリー映画の製作が計画された。
「BRINGING THE LEGACY OF KATSU GOTO TO LIFE」(予告編)

Katsu Goto movie

(映画はまだ完成はされておらず、寄付を求めている。)

Katsu Gotoのことは悲しいことであるが、人々のために戦って
死んだ、誇るべき先祖として伝えていかねばならない、と、
日系の子孫たちは語っている。

そして話はちょっと複雑である。日本人移民には中国地方、特に広島、
あるいは九州出身の方が多い。それでその後の米国による広島、
長崎への原爆投下というものと深く関わっている方々がおられる、
のである。

このドキュメンタリーに登場されるもう一人の主人公、後藤濶氏の姪、
嘉屋文子氏。彼女はホノカア生まれ、戦前の日本に渡り広島で医師になった。
そして原爆投下に遭い、被爆され運よくも生き残った。
戦後、彼女は聞かされていなかった叔父、後藤濶氏の、彼女の生まれた
ワイ島ホノカアでの出来事を初めて知った。彼女はこれを伝える使命を
感じ基金を設立、ハワイと日本の相互理解、友好、交流を目指し、
ハワイの若者を毎年日本に送る活動を始めた。

これらのことは我が国でも、ハワイ、ハワイ島ですら
あまり知られていないことのようである。

だがこれもまぎれもない、ハワイと日本のパーソナルかもしれぬが
重要な関係史である。

私ももちろん、Katsu Goto氏のことも嘉屋文子氏のことも知らなった。
ホノカアの街はずれで車をUターンさせなければこの碑を見ることも
この歴史を知ることもなかったわけである。ご縁があったのであろう。

ワイ島の日本人向けの旅行ガイドブックにはホノカアは人気なので
ページがある。このKatsu Goto氏の非業の死、嘉屋文子氏の活動は
コラム記事程度でも載せ、ホノカアを訪れた日本人は、Katsu Gotoの
記念碑の前に立ち、百数十年のハワイと日本の関係に思いを馳せてみる。
楽園のリゾートだけではなく、これらも含めてハワイであろう。

映画「ホノカアボーイ」とKatsu Goto、あわせてハワイ島ホノカア。

さて、そんなことで、ホノカアを後にしワイピオに向かう。

ホノカアからワイピオまでは車ですぐ、である。

行き止まりの道の先に駐車場。

展望台がまずある。

観光客も多い。

ご覧あれ、この絶景が、ワイピオ・バレー。


ワイピオ拡大

 

 

つづく

 

 

 

 

参考:「ハワイの歴史と文化」矢口祐人

ハワイ王国」矢口祐人