浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



初芝居 歌舞伎座 その3

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歌舞伎座初芝居、三番目。

三番目は「松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)」。

歌舞伎を観る場合はいつもイヤホンガイドを聴いているのだが
この芝居、かなりわかりやすかった。
帰ってきてから、日記を検索してみたら、2009年、一つ前に
上演されていたものを観ていた。

まったく記憶になかったのは、我ながら驚いた。
いい加減なものである。
書いていることも読み返してみると、なんだかよくわからない。
10年前。今も歌舞伎初心者だと思っているがこの頃はかなりひどかった。

ともあれ、ちゃんと書かねば。
これ、お話は八百屋お七である。
まず、八百屋お七のこと。
恋しい男のために放火をして火あぶりになった若い娘のお話。
実話である。

ある時、八百屋の娘お七は近くに火事が出てお寺に逃げた。
お七はその寺の若い寺小姓に惚れる。その後、どうしても
その男に会いたくてもう一度火事になれば会えると考え、
自宅に放火した。火事はすぐに消し止められ大事には至らなかったが
お七は捕まり鈴ヶ森で火あぶりに処せられた。

ただ、年代は定かではなさそうなのだが、
一般には天和3年(1683年)に処刑されているといわれている。
将軍は綱吉の頃。江戸も前期といってよい。年齢も、定かにはわからぬが、
15~6才。場所は駒込という。

初期のものは井原西鶴の「好色五人女」から始まり、
歌舞伎、浄瑠璃、実に多くの作品が作られている。
落語もある。先代桂文治師の音が残っている。

書いたように実説は駒込のようだが、この芝居の外題(タイトル)のように
湯島、あるいは本郷と近所の地名を使っているものもある。

作品のバックグラウンドはこんなところでよろしいか。

今回の芝居の作者、初演などをわかる範囲で書く。

たくさんの八百屋お七ものがあるので様々なものの
合体作品ということになるようである。
歌舞伎座のプログラムでは、文化6年(1809年)江戸森田座
初演された福森久助作のものを原作とし、その後黙阿弥脚色のもの
などをつなぎ合わせ、今のものになっているよう。
文化といえば、江戸も後期。黙阿弥は幕末。
事件の起きた頃から百数十年たっているが改作が繰り返され
幕末あたりのものが現代に残っているということであろう。

この作品は、歌舞伎には珍しい喜劇。それもドタバタ。
男に会いたくて、放火をしてしまうというエキセントリックな
お七を描くのに喜劇というのは、おかしいようだが、
そのまま描いてしまうと、とても観られないということ
のなかもしれぬ。

そんなわけで、正月らしく初笑いといってもよい
たのしい舞台である。

この作品には狂言回しのような舞台のキーになる男役、
紅屋長兵衛、紅長というのが出てくるのだが、これが座頭格。
前回は吉右衛門。今回はこれが猿之助
お七は福助であったが今回は七之助

お土砂の場という、ドタバタコメディー部分と
火の見櫓の場に分かれる。
ドタバタ喜劇はとにかくおもしろい。座頭、紅長の腕の
見せ所であろう。火の見櫓の方は、人形振りといって、
お七の後ろに黒子がついて、生身の人間が操り人形のような
舞踊を踊る。これがおもしろい。

戦後の上演回数を数えると今回で14回目。そう多くはない。
紅長は当代吉右衛門以外に、初代吉右衛門、17代勘三郎(先般亡くなった
勘三郎の父)、菊五郎もやっているが、このくらいの上演回数では
芸の継承、発展という意味では少したいへんかもしれぬ。

イヤホンガイドによれば今回の紅長は吉右衛門から猿之助
伝えられたようである。

昨年あたりからであろうか、歌舞伎界というのか
歌舞伎座で上演されるメインの芝居といったらよいのか、
では、世代交代に本格的に取り組んでいるようにみえる。
私のような者がいうのは、僭越の極みで、当たっている
かどうかわからぬが。

これもその一つといってよいようにみえる。

吉右衛門猿之助?。
七之助を、女形として立女形の道を意識させ、
より多くの役を付けていく?。

七之助はTVでルポを視たが、助六の揚巻を玉三郎から
特訓されていた。助六歌舞伎十八番であり江戸歌舞伎
代表する芝居であることは間違いないし、その中で
揚巻は立女形女形の座頭格、の役である。

女形の方は、福助の病気は大きかろう。
以前は、歌舞伎座へ行けば、女形のメインはほとんど
福助で、歌舞伎の女形にはこの人しかいないのかと私などは
思ったほどである。(福助は昨年9月舞台に立ち始め、
この昼の部にも出ており本格復帰を目指している。)

一方立役。勘三郎の早すぎる死によって歌舞伎界の立役の座頭格は、
急に心もとなくなってしまった。
幸四郎も隠居名の白鸚になったし、人間国宝吉右衛門も、肩の荷を
早く降ろしたいのではなかろうか。

そういう意味で、猿之助、なのである。

前から思っていたし、ここにも書いているのだが、
猿之助は役者として、歌舞伎界の立役、座頭格を背負える
器であるとみるのである。

四代目市川猿之助、43歳。

幸四郎(当代)、45歳。海老蔵、41歳。菊之助、41歳。勘九郎、37歳、
、、あたりがライバルか。
4人とも押しも押されぬ、名門である。

もちろん、4人とも持ち味はある。
だが、私は猿之助の器はもう少し大きいように思えるのである。

歌舞伎界はむろん門閥の世界。
偉大な祖父、父から芸を受け継ぎ、もちろんバックアップも
される。(偉大な父でもこれが早世してしまうと、
庇護者がいなくなり、役が付かずたいへんなのである。)

初代市川猿之助団十郎家の弟子筋で明治に家を興している。
だが、途中、様々な軋轢を生み、破門等々波乱のなかで澤瀉屋
(おもだかや)を生み育てた。
先代猿之助も、ご存知の派手なスーパー歌舞伎など自らの力で
切り開いてきた。(詳しくはこちら)

当代猿之助も、梨園中心に対しては様々な思いを抱えているの
かもしれぬ。

今回の紅長はまだ喜劇、三枚目役なので猿之助に役を付けた
ということなのか。

だが是非是非、猿之助を歌舞伎界中心の大看板に育てていただきたい
のである。勧進帳の弁慶でも、当代猿之助のものを歌舞伎座
観たいのである。(無理なのかな。)

 

 


松竹梅湯島掛額
明治18年(1885年)芳年