浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。
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初芝居 歌舞伎座 その1

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1月3日(木)
正月三日。
例年通りであるが、初芝居。
歌舞伎座、で、ある。

とはいっても、今年は時間があるので6日には国立のチケットも
取ってある。

歌舞伎座は夜を取った。
たいした意味はないのだが、夜は猿之助が出演るので。
猿之助はどうしても応援したくなる。

4時開場なので、着物を着て、3時頃出る。

着物はこのところ着ている青緑のお召し風紬。
白足袋、雪駄もいつもの通り。
茶のマフラー、とんびのコート。これは紺。

旧臘、ソフト帽を買ってたまに被っている。
そこそこ合いそうなので被ってもよいかと思ったが、
観劇中は邪魔になるかと、やめた。

稲荷町から銀座線、銀座下車。

三越の地下で弁当を買う。
初売りでごった返している。
さすがに日本人の方が多いか。
弁当は浅草今半のものにする。

歌舞伎座まで歩き、地下へ。
チケットを引き取って、売店で手ぬぐいを一本買う。
地下ショップで手ぬぐいも猿之助の紋とサイン入りのものがあったので
それを購入。
今日は手ぬぐいを持って出るのを忘れてしまった。

4時、開場。

席は一階、花道の脇。

完全な花道脇。11列でそこそこ前。
よい席であろう。

演目と配役を写しておく。

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歌舞伎座壽 初春大歌舞伎
夜の部
一、絵本太功記(えほんたいこうき)
尼ヶ崎閑居の場

武智光秀 吉右衛門
操 雀右衛門
武智十次郎 幸四郎
初菊 米吉
佐藤正清 又五郎
真柴久吉 歌六
皐月 東蔵


二、勢獅子(きおいじし)

鳶頭 梅玉
鳶頭 芝翫
鳶の者 福之助
鳶の者 鷹之資
鳶の者 玉太郎
鳶の者 歌之助
芸者 雀右衛門
芸者 魁春

福森久助
三、松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)
吉祥院お土砂の場
四ツ木戸火の見櫓の場
浄瑠璃「伊達娘恋緋鹿子」

紅屋長兵衛 猿之助
八百屋お七 七之助
母おたけ 門之助
長沼六郎 松江
若党十内 廣太郎
同宿了念 福之助
釜屋武兵衛 吉之丞
友達娘おしも 宗之助
月和上人 由次郎
下女お杉 竹三郎
小姓吉三郎 幸四郎


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一番目が時代物、二番目は踊り、三番目は世話物。
一つの芝居をノーカットで上演する通しではなく、
一部分だけを演る、見取り狂言

時代物というのは、一般にいう時代劇という意味だが、
江戸の頃の“時代”は江戸よりも前ということになる。
また世話物は、江戸時代の現代劇という意味である。
ただ、実際は時代物とは武士の話をいうことが多く、
世話物は庶民の話。

武士の話は基本、当時の支配者階級の物語でかつ、
実話をもとにしているものが多く、実名を使わずに時代も
それ以前にずらして、架空のものですよ、という建前に
していたわけである。つまり武士のお話は必ず、過去の
設定になり、必ず時代物になる、ということなのである。

“時代”を先に上演するのは昔からのきまり。

一番目の「絵本太功記」は明智光秀の話。
太閤記、ではなく、太“功”記。
秀吉と光秀で使い分けている。

元々は人形浄瑠璃で歌舞伎に移された、いわゆる
義太夫狂言、丸本もの。
初演は人形浄瑠璃が寛政11年(1799年)、歌舞伎は翌年。
ともに大坂。
時代区分でいえば江戸中期末といってよろしいか。

お話は、光秀が信長への謀反を決意し本能寺の変を起こし、秀吉との
天王山の戦いから敗戦、土民に打たれるまでの13日間を十三段構成で
実録風に描いているというのが全体像。

ただ上演されるのは、例によって人気の十段目尼崎の段だけ。
初演後すぐに人気の十段目だけを上演するようになっている
という。太功記十段目というので、略して“太十”という
言い方まで定着していたようである。
義太夫としても人気であったようで、落語「寝床」にも出てくる。

上演記録を数えてみると戦後だけでも60回以上。
この芝居は、座頭、立女形、立役、姫、若衆、婆など歌舞伎の
典型的な役、キャラクターが登場しており、襲名披露
など使われやすいというが、やはり無難に人気のあった演目
ということができるようである。

主役の光秀を吉右衛門で座頭格、その子息の十次郎を幸四郎で若衆。

例によって、筋は追わない。

この作品、明智光秀を主人公に描かれている。
つまり、肯定的に扱われているのである。

明智光秀というのは現代的には、どうなのであろうか、
イマイチな評価なのではなかろうか。
それは取りも直さず、信長に人気があるからである。
信長は幕府、寺社など旧勢力を叩き、中世を終わらせた革命家であり、
合理主義の英雄。最初の天下人。

また、光秀は信長を滅ぼしたのはよいが、いうように三日天下で
秀吉の中国大返しなどにあって、あっというまに、滅ぼされ
その後は秀吉の天下になったのはご存知の通り。
身の程知らずというのか、あまり賢くも見えない。

そんな感じではなかろうか。

なのに光秀は肯定的に扱われている。

この作品以外にも、歌舞伎には「時今也桔梗旗揚」
(ときはいまききょうのはたあげ)

なんというのもあり、一度観ている。
ここで信長は悪役で、光秀はやはり主人公なのである。

光秀に同情的というのか、人気があったといってよさそうである。

なぜであろうか。

 

 

 

つづく