浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



煮穴子と天ぷら その1

dancyotei2018-09-18

9月7日(金)夜〜

さて、引き続き、金曜日。

[ぽん多本家]でカツレツを食い、ぶらぶら歩いて、

再び、パンダ広場。

吉池でも覗いていこうか。まだあいている。

今日、目にとまったのは、穴子

なんとなく食べたくなった。

中型のもの。

一本、400円弱と安くもないが、

穴子にしようか。

3本、買って帰る。

さて、翌日。

穴子はこの前もやったし、3本のうち一本は

天ぷらにしようか。

このところ、天ぷらは少しやっていない。

天ぷらにするには穴子だけではもったいない。

他になにか探してみよう。

御徒町、上野方面に出たついでに再び吉池に

寄ってみる。

天ぷらの定番であれば、いか、きす、めごち、あたり。

売り場を探してみると、きすは解凍の輸入もの、タイ産があった。

いかは、冷凍のもんごういかと新いかがある。

新いかというのはすみいかの子供。

江戸前の鮨やではこの時期の風物詩。

大きいものは江戸前天ぷらの大看板であるが、

これはいかにも小さい。

一杯が5cmあるかないか。

さばいたら半分。

にぎりの鮨にしても、にぎり一つに三杯もつけねばならぬ

くらいであろう。

とても天ぷらにはできない。

ん!。

白魚がある。

時季が違うような気もするが、買ってみるか。

天ぷらの種としては季節ものだが、定番である。

おろし用の大根も買って帰宅。

夕方、作り始める。

穴子

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白魚ときす。

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白魚は茨城産。

今はもちろん獲れないが、白魚といえば江戸前の看板魚であった。

家康の好物であったともいい、佃の漁師達は毎年

将軍家に献上していた。

時季は、暮れから春先の寒い時分。

黙阿弥の「三人吉三」大川端の名台詞。

月も朧(おぼろ)に 白魚の

篝(かがり)も霞(かす)む 春の空〜

この春は、初春、旧歴の年始の頃。

篝火を焚いて夜から朝であろうか、四手網で獲っていた。

調べてみると、茨城の白魚漁(霞ヶ浦、北浦)は8月から

既に始まっていた。

(漁期は8月から12月のよう。隅田川河口の白魚漁は産卵のために

集まってくるのを獲っていたようである。今の茨城の白魚漁は

産卵期を避けているのかもしれない。)

穴子はこんな感じ。

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この内一本は天ぷら用。

どちらにしても、塩でもんでぬめりを取る。

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ぬめりは生ぐさくなるのを防ぐため。

穴子では必須だが、天ぷらでもやはりやるべきであろう。

触ってぬめりと、においもかぎながら、

塩をし、もみ、洗う。

6〜7回であろうか、完全にぬめりがなくなり、

生ぐささがなくなるまで。

一本を半身に切りさらに横に半分に切る。

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天ぷら用は冷蔵庫に入れて置き、煮穴子用のものを圧力鍋に。

酒、水、薄く、しょうゆ、砂糖。

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煮立ててふたをする。

加圧。圧があがったところで弱火にし、5分。

火を消して、放置調理。

これはこのまま置いておく。

さて。

食べる時刻に合わせて天ぷらの準備開始。

揚げ鍋に胡麻油。

ストックがなくなっていたので、新規のもの。

予熱をしておく。

玉子を二個割りほぐし、氷を二つばかり入れておく。

これが玉子水。

内儀(かみ)さんに大根おろしと皿、紙、天つゆの

用意を依頼。

順番はきすからかな。

粉は市販の天ぷら粉。

両面にまぶしておく。

予熱をして止めておいた揚げ鍋に再点火。

玉子水とは別の器に衣の用意。

玉子水を入れ、てんぷら粉を薄めに溶く。

粉をまぶしたきすの尻尾を持って、衣の容器を両面

泳がせる。

衣を油にたらし、油温の確認。

OK。よい加減に上がっている。

二匹投入。

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6枚、どんどん揚げる。

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揚がったものから、一度座って、食べる。

まあ、無難に揚がってはいる。

少し食べて、すぐに白魚にかかる。

一気に揚げないと、つづかないのである。




つづく