浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



ラーメン天神下大喜・二長町

5月12日(土)昼


連休明け一週間経って、脚の痛みはだいぶよくなって
一応、歩けるようにはなってきた。


が、昨夜、iphoneの画面が急に見えなくなってしまった。
(なにか、散々である。)


スマホが使えなくなるというのは、かなり不便である。
どれだけ依存していたのか、という裏返しなのではあろうが。


近所のソフトバンクのショップにとりあえず行ってみたが、
やはり修理できる拠点へ行かなければならない。
最も近いのは、秋葉原のヨドバシ。
自転車でまわってみると、予約で一杯。
さらにそこで、調べてもらうとappleの銀座で、今日の夕方
16時であれば空きがあることがわかりその場で予約。
一度、家に帰って夕方また銀座に出かけることにする。


秋葉原からの帰り道、ちょうどよいので、
二長町のラーメン[大喜]に寄っていこう。


ラーメン[大喜]といえば、湯島天神下であった。
昨年であったと思うが、天神下の店は春日通りの
拡張で立ち退きになり、蔵前橋通り沿いの台東二丁目、
二長町の交差点そばに移転していた。


最も近い駅はやはり秋葉原になろうか。
ただ、付近にはなにもなく、ちょっと妙なところ。
なにかのついでに行けるようなところでもない。


1月に鳥越神社のどんと焼きを見に行ったついでに
寄ってみたら、行列をしていた。
移転をしても、なかなかな人気であることは確認していた
のであった。


看板は、天神下を離れても、今も天神下[大喜]、とある。


なぜであろうか。
まあ「天神下」に思い入れがあるのであろうが。
二長町に替えてもよさそうであるが。


先ほどから、二長町、二長町と書いているが、
二長町というのは旧町名。
今のこのあたりは、台東二丁目。


二長町というのは、ちょっと頭に置いておきたい
町名である。


江戸期には武家屋敷で、町家はない。
ただ、由来は不明だが、江戸の頃から、
いわゆる俗に二丁町と呼ばれていた
ようである。


地図

二長町の範囲は今の凸版印刷の前の通りから
蔵前橋通りの一本北まで。


私達、鳥越神社の氏子とすれば、この二長町も同じ氏子で
かなり離れているが、いわばお仲間。


明治の頃、この二長町はかなりにぎわった。
なにかというと、今の凸版印刷の西隣に、歌舞伎の
市村座があったのである。
市村座は、江戸三座のうちの一つで、明治に入っても
浅草猿楽町にあったが明治25年にここに移転している。
以前にも書いたことがあるが、六代目菊五郎
初代吉右衛門がここで人気を馳せていた。


明治の地図を見るとちょっとおもしろいのは、
その市村座の北隣。
「郵便局厩舎」という表示のある一角が見える。


厩舎というからには、馬小屋なわけだが、
郵便局の厩舎というのは当時、郵便局間の輸送は
馬車で行っており、その厩舎ではなかろうかと思う。
今は、立て込んだところだが、そんなものがあったのは
ちょっとおもしろい。


毎度、与太話ばかり書いていてはいけない。
二長町に移転した、天神下[大喜]。


13時すぎ、きてみると、列はないが中はほぼ満席。
券売機の前で、なににしようか考える。
以前からあった、鶏そばなんというのは、相変わらず見える。


ん!担々麺がある。


前からあったろうか。
私は食べたことはないと思うが。
いってみようか。


入って、カウンターに座る。
二階もあるようである。


細麺か太麺を選べるようで、細麺を頼む。


ほどなく、きた。



盛り付けは[大喜]らしく、きれい。


白髪ねぎ、煮玉子。
ラー油も浮いている。


食べてみる。


挽き肉は入っているか。


うまいが、なんとなく[大喜]らしさは
あまり感じられない。


もともと、ここのご主人は和食の出身で
基本、和のテーストのラーメンを出している。


辛すぎもせず、練り胡麻の芝麻醤が入り
濃厚さはあるが、まあ、ノーマルな担々麺。


もちろん、余人ではなく[大喜]のご主人が
作るのだから、まずいはずはないのだが。


だがまあ、書かねばならぬので、書いているだけ、
という側面ももちろんあって、これで私は、
十分に満足。


ちょっと、行きにくい場所にあるが、
また、こなくてはならない。


ご馳走様でした。







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