浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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歌舞伎座・五月大歌舞伎團菊祭 その2

dancyotei2018-05-13

引き続き、團菊祭の「弁天小僧」。


「弁天小僧」の作品全体は、まあどうでもよくて、
ある特定の役(弁天小僧)と彼が出る幕だけあれば
十分という件である。


毎度書いているが、歌舞伎では今、見取り狂言といって


人気のある演目の特定の幕だけを上演することがとても多い。
見どころは、作品ではなく特定の幕、特定の役者、特定の台詞に
特化している。(これが歌舞伎素人にはまったくわかりずらく、
ハードルを高くさせている原因の一つなのだが。)


私も歌舞伎を観はじめ、ある程度たって、
歌舞伎というのは、そもそもそういう作られ方をされ
観客の方も、そういう楽しみ方“も”する演劇であった
ということがいえるような気がするのである。


もちろん、作品それぞれによって違い、強弱はあるが、
お約束の部分が多くあって、そこは作る方も観る方も、
はいはい、そういうことね、じゃあ、次からはそこは観なくても
いいね、といったところであろうか。
これもある種、様式の芸術ということであろう。


ただし、注意をしたいのは、このような人気の幕だけを上演する
見取り狂言が多くなったのは明治以降であったということ。
江戸末期、明治の初めでも、基本は一本を通しで上演すること
の方が多く、また今と比べれば新作の比率はずっと多かった
と思われる。


江戸期、元来は歌舞伎というのは早朝から幕を開け、
一日中上演していたようである。ただし夜は照明、ろうそくからの
火災リスクが高いので上演禁止であった。
早朝からやっていたといっても、そんな時刻には有名な役者は
出なかったともいう。
観る方も、早朝から行く人は少なかったことは十分想像できる。
また、途中で帰ってしまうなど、今以上に出入りは多かったのでは
なかろうか。


また、蛇足だが、上演の方法は、この一日に2本あるいは3本を
上演する。これが一番目、二番目、三番目。そして一番目は時代物、
二番目は世話物と決まっていた。(ということは、時代物は朝早く、
あまり観る人は少なかったのか?)


ともあれ。上演のされかたは変わっているが、江戸期も
その芝居全体ではなく、特定の幕を観る、というたのしみ方
であったような気がしてくるではないか。


お約束の芸術。


これは、歌舞伎に限らず、我が国の多くの(古典)芸術に
いえることであろう。和歌俳諧、文学、絵画、皆そう。


子規は芭蕉の足跡をたどり、芭蕉西行法師の歌枕を追う。


風神雷神図」などは、同じ構図で、俵屋宗達尾形光琳
酒井抱一、、、江戸期を通して決まったモチーフ、構図が描かれている。


ただ、もちろん、時代が違って作者が違えば、
味わいも異なり、傑出した部分があり、違った鑑賞ができる。


もちろん、ただお約束だけでは、二番煎じ、あるいは
月並みであり、おもしろくもなんともないし、
後世に残るものにはならない。


ともあれ、この「弁天小僧」。
筋立てはお約束の部分が多々あるが、傑出しているところが
二場、浜松屋と、稲瀬川勢揃となる。


女に化けた弁天小僧が呉服店松屋で強請(ゆすり)を仕掛けるが、
失敗し、居直り、有名な名乗りの台詞「しらざぁいって・・」
黙阿弥の優美な七五調の名台詞となる。


そして、稲生川勢揃。
5人の盗賊が、揃いの着物に白地に「志らなみ」と書かれた
傘を肩にし、それぞれが土手の上で名乗る。
内容は、自分の生い立ち、盗賊となった経緯。
これがまた、七五調の美文。
観客はここが観たくて、聞きたくて観にくるのである。


落語でもそうなのだが、この台詞、フレーズがおもしろくて
聞きたくて、この噺を聞く、ということがある。
通(つう)?、マニア?、いや落語好きの人であれば
皆さん思い当たるのではなかろうか。
落語でも同じ人の同じ噺をなん度も聞けるというのは、
こういうことなのである。


稲生川で、忠信利平(今回、松緑)の台詞。
「がきの頃から手癖が悪く、抜けめぇりからぐれ出して
旅を稼ぎに西国を、まわって首尾も吉野山・・・」。


これもかなり有名。
落語「居残り佐平次」の終盤、佐平次が店の主人を
だまして金を取るのにこの「がきの頃から・・」
を喋りはじめ、主人は「なんか、どっかで聞いたことがある台詞
だね。」と言わせる。(もちろん観客爆笑。)
「居残り」は私の大好きな噺の一つで、長い噺なので
ここだけではないが、この部分は先に書いた、ここが聞きたいから
「居残り」を聞く、というフレーズの一つである。


ともあれ、もうこうなってくると、筋などどうでもよくなって、
とにかく、よい、のである。


「しらざぁいって」も「がきの頃から」もあの形(なり・衣装、
風体)であの形(かたち・ポーズ)で、あの台詞を絶妙な調子で
言ってくれるのを聞きたいのである。
それが文句なく、よい、のである。
「カッコよい」は関西弁で現代語なので、他の言葉を探したい。


「粋」というのもちょっと合わないか。
やっぱり、よい、か。


まあ、これだけではお話にならないので、
なぜよいのか、今回の舞台とは若干離れていくが、
この名台詞、もう少し分解してみよう。


黙阿弥の七五調の台詞というのは、この作品に限らず
お得意なので、たくさんの作品に出てきて、それぞれ名台詞
ではある。


「月も朧(おぼろ)に白魚の篝(かがり)も霞む春の空、
冷てえ風も微酔(ほろよい)に心持よくうかうかと、・・・」


これは「三人吉三廓初買(さんにんきっさくるわのはつかい)」
大川端。お嬢吉三の「・・こいつぁ〜春から縁起がいいわぇ」で終わる台詞。


夜鷹から百両を奪って大川へ突き落して、この台詞になる。
季節感に溢れた映像的な美しさに言葉の美しさが掛け合わされて、
芸術的レベルは高い。しかし、まあ、場面が場面なだけに
後味はあまりよくはない。


3月に菊之助が国立で演じた「梅雨小袖昔八丈(つゆこそで
むかしはちじょう」(髪結新三)はどうか。名台詞は名台詞だが、
さほど有名ではないので、全部書き出してみよう。


「不断は帳場を回りの髪結、いわば得意のことだから、うぬのような
間抜け野郎にも、ヤレ忠七さんとか番頭さんとか上手をつかって
出入りをするも、一銭職と昔から下がった稼業の世渡りに、にこにこ
笑った大黒の口をつぼめた傘(からかさ)も、並んでさして来たからは、
相合傘の五分と五分、轆轤(ろくろ)のような首をしてお熊が待って
いようと思い、雨の由縁(ゆかり)にしっぽりと濡るる心で帰るのを、
そっちが娘に振りつけられ弾きにされた悔しんぼに、柄のねえところへ
柄をすえて、油紙へ火のつくようにべらべら御託をぬかしゃアがると、
こっちも男の意地づくに覚えはねえと白張りのしらをきったる番傘で、
うぬがか細いそのからだへ、べったり印を付けてやらア」


永代橋、新三が手代の忠七を人が変わったように、いきなり足蹴に
しはじめる場面。


お気づきであろうか、雨具尽くし、雨具にまつわる言葉を
散りばめている。


轆轤というのは、ろくろっ首に掛けているわけだが、
今ではほとんど使わなくなっている、傘の先端部分のこと。
〇〇尽くしというのは、この頃、江戸後期に随分と流行った。
狂歌、歌などにも盛んに出てくる。ただ、今の感覚では、あまり
おもしろみは感じない。また、この場面も後味があまりよくない。



つづく



「娘おなみ 実ハ弁天小僧菊之助 市村羽左衛門」 
芳幾 十二代目市村羽左衛門(五代目尾上菊五郎
江戸市村座 文久2年(1862年