浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。
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助六寿し その1

dancyotei2018-03-19



3月18日(日)第一食


鮨を作ろう、と、思い立つ。


と、いってもなにか魚の種を買ってきて
ではなく、最も手軽にしたい。


海苔巻。


かんぴょう巻でも作ろうか。


かんぴょうの買い置きはないので、
これだけは買いに出なければいけないが、
海苔はよいものが冷蔵庫に保存してある。


ん!。


どうせ買いに出るのであれば、そうだ。
お稲荷さんも作ろう。


かんぴょうと一緒に油揚げも買ってくればよい。


そう。


海苔巻とお稲荷さんで、お馴染みの助六寿しになる。


助六寿し。


助六寿しという名前で売られているものは
たくさんある。


細巻だけでなく、具がたくさん入った太巻の
場合もあるが、巻物と稲荷寿しが入ったセットを
助六寿しと、呼んでいるのは、ある程度皆さん
ご存知ではあろう。


では、なぜ助六寿しというのか、由来はご存知であろうか。


この文章を読んでいて下さっている方であれば
おそらくご存知の方は多かろう。
助六寿しの前に、助六についてちょっとだけ触れてみる。


助六というのは、歌舞伎「助六所縁江戸櫻」が出処。


例によって、歌舞伎のタイトル、外題(げだい)というのは
漢字だけで七字。どう読むかすらわからない。
これは、スケロクユカリノエドザクラ、と読ませる。
通称「助六」。
舞台は新吉原。


皆様、助六というとどんなキャラクターを思い浮かべるで
あろうか。
落語家の名前に雷門助六というのがあったりするが
これも聞いたことがある方もあろう。


芝居の助六の名前は花川戸助六
落語家の名前はもじったのではあろう。


江戸っ子の啖呵に「先祖の助六に申し訳が立たねえ」
なんというのがあるくらいで、助六というのは粋な江戸っ子の
代表のような存在、というのがもともと。


芝居自体の原形ができたのは、正徳、享保というから
江戸の中頃。ちょうどこの頃から文化的には上方から
江戸へ中心が移っていった頃。


江戸人のアイデンティティーのようなものが
確立されてきた頃という言い方もできる。


十八大通なんという言葉をご存知であろうか。
この頃、蔵前の札差などの金持ちで、いわゆる“通人”を
気取り、吉原などで豪遊をしていた者が十八人いた
というので、十八大通。


芝居の助六はこういった人々がいた頃が
背景になっている。


ともあれ。


お話とすれば、助六の馴染の花魁が揚巻(あげまき)。
二人はいい中。
これに横恋慕するヒヒ爺、意休。
意休と助六の攻防。
ざっくりいうと、そんなストーリー。



助六所縁江戸櫻』国貞


天保三年三月(1832年4月)江戸市村座の「八代目市川團十郎襲名披露興行」
における『助六所縁江戸櫻』。中央に七代目市川團十郎改メ五代目
市川海老蔵花川戸助六、左は五代目岩井半四郎の三浦屋揚巻、
右は五代目松本幸四郎の髭の意休。(ウィキペディア


助六は病中であり、鉢巻きをしているがこの色が紫色で、特に江戸紫という色。


市川團十郎家のお家芸で、いわゆる歌舞伎十八番の一つ。


意休と対峙し、助六の長い名乗り、言い立てが

私は好きで、聞き所、見どころの一つであろう。


で、お分かりであろうか。


寿しの助六であった。


助六の敵娼(あいかた)の名前が揚巻。


つまり“揚げ”と“巻き”。


油揚げのお稲荷さんと、海苔巻のセット。
これを助六という、まあ洒落である。


では助六寿しがいつできていたのか。
これはまあ、よくわからない。


巻きずしというものの起源は 文化文政の握りずしよりも早く、
江戸中期にはあったようである。そして海苔の発祥が江戸なので
巻きずしの発祥も江戸であろうということ。
そして、お稲荷さんはというと、名古屋発祥で
天保年間には江戸で売られていたという。


芝居の助六は「天保」以降も上の浮世絵にあるように
ずっと演じられているので幕末あたりには、
お稲荷さんと海苔巻で助六というセットが
できていたのではないかということにはなろうか。


さて、余談ついでに、稲荷ずしといえば、
[志乃多寿司]。
人形町の総本店の創業が明治10年
ただ、ここの海苔巻とお稲荷さんのセットには
助六という名前は現在は使われていない。
不思議といえば、不思議である。
これだけ一般的な助六を使っていないのは
逆になにか理由がありそうである。


ちなみに、志乃多(しのだ)=信田、信太、は信田巻きなど、
油揚げを使った料理に使われており、油揚げの別称である。




助六寿し」毎度のゴタクで終わってしまったが、
つづく。