浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



浅草・並木・藪蕎麦

1月19日(金)夜


金曜日、7時15分、栃木からスペーシアで帰ってきた。
なにを食べようか考えてきた。


このところ少し暖かい日もあったりしたが
今日も心持ちすごしやすかったか。


並木の[藪蕎麦]。


今年初めてである。


7時半までに入らねばならない。
東武浅草の改札を出て、走る。


馬道通りを渡り、雷門通りも渡る。


雷門前を左、並木通り。


次の信号が近づいてくると、
[藪蕎麦]の看板の灯りが見えてきた。


よかった、


開いてた。


並木通りを渡って[藪蕎麦]前。


暖簾を分け、曇り硝子の格子を開けて、入る。
お姐さんが、7時半までですが、、。


はい。


あいていた手前のお膳に一人で座る。


店は、呑んでいるグループもあり、
にぎやか。。


なにを頼むかは、むろん決めてきた。


この前は、鴨のキにしたが、
今日は、テンのキ。


お姐さんに、


お酒お燗で一合と、天ぬき、と頼む。


はい、お酒と天ぬき。


お姐さん、板場に注文を通す。


符丁なのだが、いつも聞いているので
再現できてもよさそうだが、いまだに
よくわからぬ。
内容はお客の席と、注文の内容。


お酒から。



四角い年季の入った塗りのおぼん。
奥に店名の焼印の入った一合桝の袴に
真っ白な一合徳利。


右下に薄手の同じく、真っ白な盃。


左にはそば味噌がちょこんとのった
丸いごく小さな小皿。


手前に、箸袋にも入っておらず、箸置きもなしに
おぼんに直に置かれた、なんの変哲もない
割り箸。


まったく潔いではないか。
これが、並木藪の“江戸前”の美意識と
いってよいだろう。


前にも書いたように思うが、明治の頃、
歌舞伎「雪暮夜入谷畦道」で五代目尾上菊五郎が、
これが江戸っ子の愛するそばや
そばの喰い方、そばやでの振る舞い、であると
みせたものを、この店は開店から再現し、
平成が終わらんとしている今も続けている
のではないか、と。


これこそやはり、江戸東京のそばとそばや文化を
継承している、重要無形“食”文化であると
考える。
(ちなみに、この店の創業は大正2年である。)


そして、きた。


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テンのキ。


前回、お姐さんが使っていたが、
ヌキは『ヌ』にアクセントを置くのが江戸弁。


舌が火傷するほど、熱いつゆ。


これこれ。
寒い時には、これ。



見映えはよくないが、衣がつゆに溶け、
芝海老を熱いつゆのともに、すする。


そして、燗酒の盃を干す。


まったく、堪えられぬではないか。
暖簾の入った。
閉店がみえてきた。
食べ終わり、呑み終わりも見えてきた。


ざるを頼む。


ほどなく、くる。




正月のTV、高麗屋襲名特集番組で新幸四郎が、
麻布のそばやで、そばをたぐっているのが
映っていた。


流石にというべきか、これが実にきれいで、粋。
理想的な、たぐり方であった。


箸でつまむ量がまずポイント。
一口でたぐり込むため、それに見合った量で
なければならない。


つゆに漬けるのは、むろん先の方だけ。
すすり込んで、一回、二回、、
ほぼ噛まずに、のみ込む。
くちゃくちゃと、時間をかけてはいけない。


彼のかの「雪暮夜入谷畦道」の直侍を演じているのを
私も観ている。
そばのたぐり方など、
判りすぎるほど、判っている。


たぐり終わり、席で勘定をして、出る。


ご馳走様でした。
この時間、今年もやはり私にとっては
かけがえのないもの、で、ある。






03-3841-1340
台東区雷門2丁目11−9