浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



歌舞伎座 壽 初春大歌舞伎 その2

dancyotei2018-01-15


引き続き、正月の歌舞伎見物。
高麗屋の三代同時襲名の昼の部。


一番目の「箱根霊験誓仇討(はこねれいげんちかいのあだうち)」。
役者は高麗屋の三人は出演(で)ておらず、勘九郎七之助兄弟に
愛之助


外題(タイトル)にある通り仇討ちの話。
その仇討ちをする主役は勘九郎になる。


これに敵役の滝口上野と主人公を助ける下僕の奴(やっこ)筆助の
二役を演じるのが愛之助。芝居的にいうと敵役の滝口上野が
座長格の役になり、先代白鸚が演(や)っていたもののよう。


長年の敵探しの旅のために主人公は腰が立たなくなって
躄(いざり)車に乗って、妻(七之助)が引っ張って移動する
という不自由な状態。
躄車というのは今の車いすのようなものだが、下の浮世絵にあるような
木製の箱に小さな車輪で動きはもっと不自由そう。
しかし、躄という言葉、しばらくぶりに聞いたような気がする。
子供の頃にはまだあったか。


さて。


愛之助。私のような歌舞伎入門者がいうのは、
身の程知らずの誹りを免れなかろうが、正直のところ
見直した。
見直したというのは言葉がよくないが、なかなかなものであった。
今まで、歌舞伎座での役はなん回か観ているが、
いまひとつ、というのが偽らざる印象であった。


歌舞伎では独特の様式といってよいのであろう、
敵役の親玉を実悪(じつあく)などといって、大きな存在感があり
主役よりも上の格でその芝居の座長が務めるものに
なっている。愛之助は十分にその役割を果たしていた
と思われる。
2年ほど前に今日のこの次の芝居「菅原伝授」の車引きの梅王丸を
愛之助が演ったのを観たことがある。


この梅王丸は荒事の主人公、ヒーローの役、いわば元気のよい
暴れん坊であるが、これがもう一つという印象であった。
上方歌舞伎の出身であるのも背景にあるのか。
どっしりとした悪役はこの役者の人(にん=キャラクター、個性に
合っている)なのかもしれない。愛之助は45歳でもはや若手とは
いえない年齢。この役を付けられたのも、期待ということなのであろう。
門閥の生まれではないがひょっとすると、もっともっと
大きな役者になるかもしれない。


画:一立斎広重 「忠孝仇討図会」「箱根霊験記」(天保期か)


二番目は、歌舞伎で所作事と呼ばれる、舞踊の幕。
初春らしくおめでたい「七福神」。
本舞台中央、大きな船に七福神に扮した役者が乗って登場。
船から降りて、それぞれ順々に踊る。
私の馴染みのある、大看板役者では、芝翫毘沙門天
芝翫は上背があるので、荒ぶる毘沙門天らしくて
よろしい。


三番目「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の
車引と寺子屋
ここでは、新幸四郎と新白鸚が登場する。


今まで私が観たものこの芝居をリストアップしてみよう。

2010年車引(梅王丸:吉右衛門、松王丸:幸四郎)

2012年寺子屋(松王丸:吉右衛門)

2014年(国立)車引(梅王丸:錦之助、松王丸:萬太郎)

2015年通し 車引(梅王丸:愛之助、松王丸:染五郎)、


幸四郎染五郎はいずれも当時。)


車引は通しを含め3回、寺子屋は同じく2回。
毎月歌舞伎座に通っているわけでもない私でさえ
これだけ観ているというのは、それだけ上演回数が多い
ということ。


国立以外はどれも、染五郎幸四郎、あるいは
幸四郎の弟の吉右衛門が松王丸を演っている。


特に寺子屋の松王丸は先代白鸚が当たり役にしていたという。
(いや、それ以上に、下にある五代目幸四郎も名高く、高麗屋
家の芸といってもよさそうである。)


今回は車引の松王丸が染五郎改め幸四郎、梅王丸は勘九郎
桜丸が七之助
寺子屋は松王丸が幸四郎改め白鸚となっている。


昼の部は勘九郎七之助兄弟が襲名の盛り立て役といった
配置である。


今回、車引の梅王丸(勘九郎)は先に書いたように、暴れん坊のヒーローで
大主役だが勘九郎は不足なく演じていたと思う。
梅王丸の見得が決まると勘九郎の屋号である「中村屋」を
叫ばねばいけないのだが、この興行、高麗屋以外の屋号は
人情としては叫びにくい。


さて、この「菅原伝授」の車引と寺子屋、これだけの回数観ていると
いい加減、慣れてしまった。


車引の方は30分程度の短い幕で、全編梅王丸、松王丸の荒事、
見得を連発する様式美で出来上がっており、それを
たのしめばよい。このため梅王丸、松王丸を演ずる役者の
存在感と巧拙で決まると思うのだが、見た目の印象がすべて。
あまり考えることはない。


寺子屋の方は、脚本(お話)が大問題。
以前には散々文句をつけている。松王丸が我が子の命を
大恩のある菅原道真の息子である菅秀才の身代わりに差し出す、という
浄瑠璃台本由来のお話は、近代の頭では、どうにも受け入れられない。
感情移入もできず、同情も感動もない、と憤慨し、
あるいは苦笑しながら観ていたわけである。


しかし、もう今回などは、それはそれとして、それこそお約束というのか、
ストーリーそのものが既に様式美とも思えてきた。
皆さん、そういうものであろうか。


「せまじきものは宮仕え」なんという有名な台詞も出てくる。
それらも過去のもの、歴史的な文化財として上手に演じているかどうか、
を観るという観劇態度になっていたことに気が付いたのであった。
やはり、舞台のたのしみ方としては、多少ずれているのか。
ずれてはいるが、それはそれでよい、ような気もしてきた。


よくよく考えてみると、歌舞伎の脚本のほとんどは、
100年200年以上前のもので、現代的な頭ではヘンというのは
ある程度あたり前であるという言い方もできよう。
文化財としてたのしむという姿勢はさほど不適切ではなかろう。


ただ江戸の頃、それこそ下の浮世絵にあるような五代目幸四郎の頃、
文化文政期、どうだったのであろうか。
おそらく、江戸も後期の化政期であれば、多くは作品通りに
涙した人も多かろうが、同じようにヘンだ、
と考える見物は既にいたと私は思うのである。
でなければ、幕末期の黙阿弥作品、例えば「三人吉三」のような
現代の頭で観ても作品性が高いと思われるものは出てこなかろう。





つづく