浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



歌舞伎座 壽 初春大歌舞伎 その1

dancyotei2018-01-14

1月3日(水)


やっぱりこれも書いておかねば。


各メディアでも取り上げられているので
ご存知の方も多かろう。
高麗屋松本幸四郎家の三代同時襲名。


初芝居でもあるが、今年は三日の昼に、
歌舞伎座へいってきた。


襲名口上は夜の部のみで、本来はこちらを観たかったのだが、
正月休みと土日は、気が付いたら既に売り切れ。


正月休みの昼も二階席となってしまった。


幸四郎改め新白鸚染五郎改め新幸四郎
人気であろう。


「アアシロウ、コウシロウ、松本幸四郎高麗屋ですか?。」
なんというギャグが落語には昔からある。
このフレーズ、覚えておくと、幸四郎高麗屋が覚えやすい。


幸四郎は今襲名で十代目。


初代は延宝2年(1674年)から享保15年(1730年)の人。
江戸歌舞伎もまだまだ前期といってよい時期であろう。
松本幸四郎という名前は市川團十郎家と縁浅からぬ仲で
團十郎家、成田屋に子がない時には、幸四郎家、高麗屋から
養子に入るという関係であったよう。


近いところでも、七代目幸四郎の長男は十一代目團十郎
私もよくわからぬが、そんな関係で、高麗屋
成田屋の専売特許の歌舞伎十八番をよく演じているのか。


この襲名興行の夜の部の「勧進帳」の弁慶は幸四郎の当たり役。
いや、そもそもは先の七代目が得意としてたので、
もはや高麗屋の家の芸になっているというよう。
これをこの興行では新幸四郎が演じる。


私も随分前だが、幸四郎のものを観たことがあった。
勧進帳を弁慶が読んで、義経一行を先に逃がし、
その後、弁慶は時間稼ぎに酒を呑んで、舞を舞うという
件(くだり)になる。


ここで、見物から「たぁ〜〜〜ぷり」と、声が掛かるのに
驚いた記憶がある。
それだけファンは幸四郎の弁慶を楽しみに観にきていた
のである。


昼の演目と配役を写しておく。



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歌舞伎座百三十年


松本幸四郎改め 二代目 松本白 鸚


市川染五郎改め 十代目 松本幸四郎 襲名披露


松本金太郎改め 八代目 市川染五郎


壽 初春大歌舞伎


平成30年1月2日(火)〜26日(金)



昼の部


司馬芝叟 作


石川耕士 監修


一、箱根霊験誓仇討(はこねれいげんちかいのあだうち)


箱根山中施行の場


同   白滝の場



飯沼勝五郎     勘九郎



滝口上野/奴筆助  愛之助



女房初花      七之助



刎川久馬      吉之丞



母早蕨       秀太郎




今井豊茂 改訂


二、七福神(しちふくじん)



恵比寿     又五郎



弁財天     扇雀



寿老人     彌十郎



福禄寿     門之助



布袋      高麗蔵



毘沙門     芝翫



大黒天     鴈治郎



三、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)


車引


寺子屋



〈車引〉



松王丸 染五郎改め幸四郎



梅王丸      勘九郎



桜丸       七之助



杉王丸      廣太郎



金棒引藤内     亀鶴



藤原時平     彌十郎



寺子屋



松王丸  幸四郎改め白鸚



武部源蔵      梅玉



千代        魁春



戸浪      雀右衛門



涎くり与太郎   猿之助



百姓  良作   由次郎



同 田右衛門    桂三



同   鍬助    寿猿



同   米八   橘三郎



同   麦六   松之助



同  仙兵衛   寿治郎



同  八百吉   吉之丞



百姓  吾作    東蔵



春藤玄蕃     左團次



園生の前     藤十郎



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さて、一番目は「箱根霊験誓仇討
はこねれいげんちかいのあだうち)」という芝居。


襲名披露興行だが、この芝居は襲名の主人公の
三人は残念ながら出演(で)てこない。
高麗屋とのつながりは、先代白鸚がなん回か演じていた。
しかし、近年はほとんど上演されていない演目のよう。


初演は享和元年(1801年)人形浄瑠璃として。
享和というのは寛政と文化の間で、そろそろ江戸後期
といった時期。


お話自体は戦国の頃の実話がベース。


霊験記というと「壺阪霊験記」というのが有名だが
神仏の霊験で奇跡が起きるという類の話。


箱根にそんな霊験がありそうな寺社があったとは
ちょっと意外であったが、舞台は阿弥陀寺という
ところ。
(この寺は今でもあり、箱根のあじさい寺として
知られているが、私もよくいく塔ノ沢の山中。
かなり山深いところ。
かの皇女和宮にも縁があるようで、ちょっと
趣きがありそうなところのよう。)




つづく





画:国貞 文政5年 (1822年)江戸 河原崎座
揚巻の助六 五代目松本幸四郎