浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭、京都へ その14

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断腸亭の京都。東山の青蓮院門跡。

小御所の奥から池方向を撮ったもの。

室町の庭が残っている部分なのか、今のところこれがベストショット。

石橋を入れて、築山方向を見たもの。

池の面の紅葉落葉をそのままにしているのは、
意図されたものなのであろうか。
おそらくそうであろう。
きれいに取ってしまったら、イマイチなのか。
ただ、書いたように刈り込んだ木もある中で、
どっちつかずのようにも見えるが、いかがであろうか。

反対に華頂殿側の縁側から小御所側を撮った。

苔の庭と松、池、背後の紅葉。
もう一つだ。

華頂殿の中も見て順路に沿って、庭に降りる。

右側が小御所、池と築山、左側が華頂殿。

これ、よいかもしれない。

建物から見ていた時には気が付かなったが
中央の対岸に石組みがあった。
これがよいアイポイントになっている。

この庭は建物から見るのではなく、庭に出て歩いて見るように
設計されているといってよいのかもしれぬ。

池に落ちている紅葉もこう見るとわるくない。

回遊式庭園というのは、こういうことなのか。
東京にある大名庭園なども大きくて、基本歩いて見てまわる
ものであるが、もう少しコンパクトかつ、繊細に造られている。
そう、繊細さが違うのではなかろうか。

ここから、左。
(もう一度、図を出してみよう。)

華頂殿の奥の伝小堀遠州という霧島の庭の方へ。

最奥からのパノラマ。

やはり小堀遠州ではないのではないのではなかろうか。
関わっていないという証拠もないのであろうが。

江戸以降、それも遠州よりももっと後、ひょっとすると
明治以降?そんな近代的センスを感じるのだが、
いかがであろうか。

元学問所で茶室の好文亭が左。

ある程度計算はされているが、自然な枝ぶりもある。

どうだ、これでもか、とポーズを決めて、こちらも
高さや方向、アングルを決めて見るのではなく、
よい風情である。

好文亭の屋根と紅葉。

光線の具合がよろしい。

庭から山へ上がるような順路になっている。
上がったところには小さな神社があって、眺望が開けている。

京都の街も見える。

降りてきて、宸殿(しんでん)前。

これが右近の橘、左近の桜。
広いところに二本だけ木が植わっているのは奇異にも見えよう。
右、左はもちろん、こちらからではなく、向こう側から見て。

ちなみに向こう側から見て左が上(かみ)、右が下(しも)。
舞台でも上手(かみて)下手(しもて)というが、これもその例。
つまり左右には上下があって左が上位で右が下位になる。
右大臣、左大臣では左大臣の方が偉い。
ご飯が左で味噌汁が右。これが正しく、これもその例と聞いたことがある。

紫宸殿(ししんでん)という言葉を聞いたことがあろうか。
朝廷、内裏の一番メインの建物。正殿。
もちろん、天皇が中央奥の高御座(たかみくら)に座る。

本来、右近の橘と左近の桜は、この紫宸殿の前にあるもの
なのである。
この橘と桜が植わっているのは、ここが天皇の正殿である
と外から一目でわかるようにしているといってもよいだろう。

青蓮院の宸殿は先に書いたようにゆかりの天皇
歴代門主の位牌を祀っている建物。
内裏、紫宸殿を模してここが天皇のおわす場所(御所)である
という意味合いになるのだと思われる。

昨日の曼殊院ではこの宸殿を造るという願いがあり、
寄付を募っていた。
皇室ゆかりの門跡寺院としては、その格を示すために、
なんとしても右近の橘と左近の桜を前庭に植えた宸殿がほしい
ということなのであろう。

これで青蓮院門跡終了。

そうであった。
毎度引用させていただいている宮元先生の参考書、

「京都名庭を歩く」ではこの青蓮院は取り上げられていない。
名園ではあると思うのだが、学術的興味には入らない、
ということかもしれぬ。

いろいろ調べてみると、明治以降ここは、茶会などの
今でいうイベントのようなものが開かれることが
多かったようである。
耳目も集まり、そのおかげで過激派の標的になった
ということもあろうが、ある程度恵まれていた、と
いえるのかもしれない。

再び門前に出てきた。

これもなん本かある大楠の一本。

さて、これからどこへ行くのか。
初日にそばの神泉苑まで行ったが、これから二条城。
ここは参考書に載っている。

移動はもう、例によってタクシー。
タイミングがわるく、駐車場には一台も持っておらず、
呼んで待つ。

 

 

つづく

 

 

 


青蓮院門跡