浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



いわしぬた

dancyotei2017-07-05



7月2日(日)第二食

ぬた、で、ある。

たまにあることなのだが、
この日記を書いていて、また食べたくなるということ。

森下[山利喜]を書いていて、まぐろぬたを
食べたのだが、あれが、うまかった。

ぬた、というのはちょっと不思議な食べ物では
なかろうか。

ぬたの定義はなにか。

酢味噌和えではあるが、ただの酢味噌和えではない。
必ず入るのは、軽く火を通したねぎあるいは、その類。
そして魚介類。

ねぎぬた、という言い方もある。

ウィキペディアによれば、そもそも「ぬた」

「1603年成立の『日葡辞書』に「Nuta」(饅)の見出しで
「Namasu(膾)などを調理するのに用いる一種のソース。
または、酢づけ汁(escaueche)。¶Nutanamasu(饅膾)
この酢づけ汁で作ったNamasu。」

などとある。
余談だが『日葡辞書』というのが私は知らなかったが
ちょっとおもしろい。
1603年というから、家康が江戸幕府を開いて3年後。
「葡」という字はポルトガルのこと。
ポルトガル語と日本語の辞書である。
長崎で当時のカトリックイエズス会が発行している。
布教する神父さんが使うため、こういう生活に密着したものが
出てくるのであろう。当時の生活を知る上で重要な資料であろう。
(思わず買おうかと思ってしまったが、そこそこ高額で
時代的には安土桃山が対象で私が地盤と考えている江戸には
少し間があるので、若干思案中である。)

ともあれ。

辞書の文面だと味噌という言葉は出てこないのが少し気になるが、
ソースのようなものというので、ただの酢の物ではないようには
感じられる。

豆腐などに味噌をつけて焼いて食べる、いわゆる田楽というものがあるが、
ただの味噌ではなく、酢味噌をつけて食べる料理法が安土桃山
以前、おそらく室町末には成立していたのであろうということ。

しょうゆが一般化するのは江戸に入ってからと考えるのが
よろしいかと思っているが、それ以前からある古い料理法であろう。

こういう定義であるとねぎや魚介類は必ずしも求められていない。
もう少し広く酢味噌和えをぬたといっていたようである。

今、私が思うぬたは、先に書いたようにねぎ類と魚介類の
酢味噌和えであるが、全国的にはどうなのであろうか。
古い料理法なので郷土色がありそうである。

まあ、少なくとも東京ではねぎ類は必須である。
ねぎ類が入らないぬたはほぼなかろう。

魚は、外で食べるとまぐろ、が最も一般的。
いわし、さば、あたりの光物の酢〆もあろう。
貝類では、青柳。赤貝だとちょっともったいない。
あとは、いか下足。

味噌は、東京でも多くは西日本のいわゆる甘い白味噌
それにからしが入り、からし酢味噌。

信州味噌や仙台味噌のような今普通に味噌汁などにする
米味噌ではちょっと塩味を強すぎる。
(それはそれで、おもしろい味になり、私はたまに
使うことはあるが。)一般には使わないであろう。

そこで、先日[山利喜]のところで書いた、江戸味噌。

江戸・東京でもぬたは古くからある料理であり、
江戸味噌を使っていたと考えるのが自然であろう。

甘味は白味噌ほどで、もう少し違ううまみがある。

そして、いつからかわからぬが、ねぎも必須であった
のではなかろうか。

大正期、関東大震災後が契機のようだが、
江戸味噌が東京から徐々に使われなくなり、
製造量も減っていった。これは震災後、関西から料理人とともに
京阪の割烹料理が東京に流入し[八百善]などは代表例だが
いわゆる江戸の料理や料理がこの頃ほぼ滅んだといってよい。
これも一つの要因であろう。
ただ、戦前まではそれでも江戸味噌が東京の需要の過半数
占めていたという。
そして戦中。江戸味噌は米(麹)の使う量が信州味噌や
仙台味噌よりも多く、贅沢品として製造が禁止されという。
戦後解禁されても、信州味噌などに押されて、以前の姿には
戻らなかった。
そして、戦後はぬたには関西の白味噌を使うのが
一般化していったということか。

さて。

スーパーにいわしの刺身があったので、これを使って
作ることにする。

味噌は白味噌八丁味噌を合わせたもの。
一応、これが江戸味噌の代用。
砂糖は入れず、からしは入れる。

最近、ねぎは熱湯をかけるのではなく、
ポットの湯を器に取り、ここにねぎを入れ、
様子を見ながらレンジにかける、ということにしている。
むろん、火の通りにくい太い部分と、火の通りやすい
青い部分は別々にしている。
火を通して、一度冷水で〆て、ざるにあげて、
水を切り、ペーパータオルで丁寧に水気を取る。

盛り付け。

いわしなどは、酢味噌の味が強いので、酢〆でもよいし、
生でもどちらでもよい。

うまいもんである。

やはりこうしてみても、不思議な料理という印象は残る。

しょうゆがあるので、いわしは刺身として食べてもむろん
よいわけである。
まぐろなどは、特にそうで、自分ではもったいないので
まずぬたにはしない。

そう。

ぬたは酢味噌をつけたねぎがうまいのである。
本当は文字通り、ねぎぬた、ねぎがうまいので、
ねぎだけでもよいのである。

ただ、やっぱりそれではさみしい。
いか下足などでもよい、なにかほしい。

ここが不思議な料理といっている本体である。

ともあれ。
今度、ぬた用だけにでも、江戸味噌を仕入なければ。