浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



三筋・天ぷら・みやこし

dancyotei2017-02-23


2月19(日)夜

さて、日曜日。

2月に入ってからの課題であった、三筋の天ぷらや[みやこし]
で、ある。

毎週のように日曜日にTELを入れていたが、一杯で行けなかった。

少し前から予約を入れておく、という手もむろんあるのだが、
私の場合、思い付いて行く、という行動パターンが多く、
数日前から、というのはなんとなく、馴染まない。

それでこんなことになっているのではあるが。

それがやっと、今週は空いていた。

なんで今月、天ぷらなのか。

目当ては、白魚。

東京人であれば、この時期、伝統のメニューである。

毎度引いているが、

「月も朧(おぼろ)に白魚の篝(かがり)も霞む春の空、、」

歌舞伎「三人吉三廓初買」大川端の場。

「、、、こいつぁ春から縁起がいいわえ」でしめくくられる。

河竹黙阿弥作の七五調の名台詞(せりふ)。

これは節分の夜、なのである。

それで、春。
それも、初春。

広重「江戸土産 佃白魚網夜景」

旧の正月前後、隅田川では白魚が獲れた。

夜、篝火を焚いて、四手網で白魚を獲る。
この火は、初春の大川端の風物詩であったわけである。

佃島の漁師は、毎年の恒例として、漆塗りの専用の箱に
獲れた白魚を入れ、「本丸御用」という札を掲げて、江戸城まで
舟を飛ばした。
白魚が家康の好物であったことから江戸期ずっと続いていた、
佃島漁師達の誇りある行事であった。

隅田川の白魚というのは、戦後すぐまでは実は獲れていた。

2月「三人吉三」を演ってくれないだろうか。
浅草で「平成中村座」がよいか。
浅草寺ではなく、桜橋そばの隅田川っ縁(へり)。
大川端なので浜町「明治座」でもよいかもしれぬ。
そして、皆で白魚を食う。

天ぷら、にぎり鮨。
コースなどにせずに、ちょいと、でよい。

乙な企画だと思うのだが。

欲をいえば、隅田川で、白魚が獲れるようになってほしい。
それを食べたい。
東京湾奥などはきれいになったとはいえ、まだ獲れた魚を
食べる気にはならない。
また、白魚自体は隅田川からは完全にいなくなってしまった
のであろう。
なんとか、もっときれいにして、蘇らせたい。
夢であろうか。

閑話休題

三筋[みやこし]18時。

やはりカウンターはほぼ満席。

ご飯のついた、5500円也の定食。

お通しは空豆

海老、から。

これも江戸前の代表であった。
さいまき海老と呼んでいる、小型の車海老。
鮨やでも、そばやの天ぷらも、これを使うのが
本寸法(ほんすんぽう)であろう。

こんがり揚がった、頭もうまい。

いか。

むろん、すみいか。
これもやはり、江戸前の代表。
鮨やでもにぎるが、生をにぎるようになったのは、
明治以降のようである。

きす。

これは今でも東京湾で獲れている。

そして、真打登場、白魚。

親方は、宍道湖です、といっていた。
やはり汽水域で獲れるのである。

鮨であれば、生で軍艦がうまいが、
やはり、こうして天ぷらが、最高である。

穴子

これもやはり江戸前の魚。
羽田沖など獲っている人はいるというが、
流通するほどではないのか。


野菜天。

椎茸、蓮根、小玉ねぎ。

蔵前[いせや]の先代親方がいっていた記憶があるが、
本来の江戸前天ぷらでは野菜は揚げなかったというが、
どれも、格別にうまい。

最後のかき揚げは天丼にしてもらう。

小柱。
青柳・ばか貝の貝柱である。
これはまだ千葉方面で獲れている。
赤出汁は蜆。

うまかった、ご馳走様でした。

腹一杯。

本当の江戸前だけで天ぷらが食える日は、
果たして訪れようか。

 



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