浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



スパゲティー・ボロネーゼ

dancyotei2017-01-23



1月21日(土)夜


土曜日。


ミートソースを作ろうと思い立った。


むろん、スパゲティのミートソース、である。


やはり、時に無性に食べたくなる。


私の世代にとっては、小学生の頃の
給食が原点であろう。


私も好きであったし、また皆の人気メニューで、
争ってお替りをしていた。


イタリアではラグー・アッラ・ボロネーゼ
(ragu alla bolognese)ボローニャ風ソース。


ナポリタンはナポリにはないが
ミートソース=ボローニャ風ソースは
ボローニャの名物といってよいようである。


ボローニャはローマの北。
世界最古のボローニャ大学がある学芸都市という。


我が国での起源はというと、これがよくわからない。


先日の[煉瓦亭]のご主人によれば
大正の頃のメニューには既にあったという。


当時、我が国の洋食は、フランス経由であったから
おそらく、こういったパスタ料理もフランス料理と一緒に
入ったのであろう。


しかし、国産パスタ類が売られるようになるのは戦後。
昭和30年に日清製粉がママーマカロニを
発売したのが最初のようである。


そしてミートソースは キューピーが缶入りのものを
売り出したのが昭和34年。


私の家などは(おそらく値段が高く昭和一桁の長野県生まれの
母にとっては)缶詰のミートソースなどまったく
無縁であったので、私は給食がミートソースとの
出会いであったわけである。


今はともかく、当時、昭和30、40年代、ミートソースを
家庭で作ろうというお母さんはかなりレアであろう。


「今日の料理」でもおかずの一品になる
ハンバーグは教えても、パスタのソースなどは
手間もかかり、あまりニーズはなかったのではあるまいか。


私は、給食が出会いであったが喫茶店という人も
多いのではなかろうか。


家庭用に加えて缶詰の業務用のものが出回り始め、
定着していったのが、昭和40年代く らいなのでは
なかろうか。


そしてタバスコ、クラフトの粉チーズとともにナポリタン、
ミートソースが喫茶店の定番メニューになった。


ナポリタンはともかく、家庭で本格的に
このボローニャソースを作り始めたのは、やはり、
イタ飯ブームの後ではなかろうか。
と、するとバブル期以降か。


さて。


過去のこのページを読み返し、レシピを確認。


用意するのは、合挽き肉、500g。
トマト缶4缶。
セロリ、にんじん。
玉ねぎ、にんにくは、ある。
スパイスはオレガノ、セージ、ベイリーフ
これらもある。


合挽き肉とトマト缶、セロリ、にんじんを
ハナマサまで買いに出る。
玉ねぎは1個、にんにくは2かけら。


作る。


にんじんは3cm、セロリ1 本。
ともにみじん切り。


オリーブオイルを敷いたテフロンのフライパンで
炒める。これが1時間。
なかなかな手間、で、ある。


嵩(かさ)としては半分程度であろうか、減る。
ただ狐色まではいかない。


ここに挽き肉を入れよく炒める。
塩胡椒。


脂が出てきたら、ローズマリー、セージ、ベイリーフ
赤ワイン1/2カップ
煮立てて、煮込み用の鍋に移す。


トマト缶(カットしたもの)4缶。
水、適量。
3カップ程度。
顆粒のコンソメナツメグ


ナツメグは思ったよりも多めがそれらしい。


これで、3時間煮込む。


前回は、時間短縮と省エネのためにと、
圧力鍋を使ったがこれは、挽き肉の食感を
損なうので、その反省で今回は、きちんと
弱火で煮込み、煮詰める。


二時間ほどして煮詰まってくると、焦げ付きやすいので
かき混ぜながら。


ちょうど火鉢に火が入っているので
ガスコンロから火鉢に移し、煮込み継続。
別段、炭火で煮込むメリットはなかろうが
あるので使うだけ、ではある。


3時間。
こんなものであろうか。


スパゲティーを茹でる。


茹ったら、フライパンに移し、
ソースを和える。


皿に盛り付けて、クラフトの粉チーズを
まぶす。


アップ。


可もなく不可もなし、か。


まあ、及第点ということではあるが、
なにか、これ、という特徴というのか、
とんがりがない。


う〜む。