浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。
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初芝居・歌舞伎座・寿初春大歌舞伎 その2

dancyotei2017-01-09


引き続き、初芝居。


一番目の「井伊大老」という芝居。


ご存知の通り、幕末の幕府大老井伊直弼の話。
安政の大獄と呼ばれている、反対派大粛清をして
桜田門外で水戸藩浪士に襲われ討たれている。


この桜田門外の変の直前の日々を扱っている。


二幕である。
実際には、駕籠襲撃の桜田門外も描いた
もう少し長いものだというが、ほぼこの芝居の
テーマは理解できたと思われる。
そういう意味では、いいところだけを抜き出した
“見取狂言”にしては、うまく編集されていた
といってよいと思う。


お話は政治向きのこと半分、プライベート半分。
もちろん、それを絡めたドラマになっている。


戦後の作品なので、時代劇ではあるが
人間井伊直弼をどのように描くか、という
現代的な視点で作られており、演出も
やはり歌舞伎というよりは、大河ドラマ
観ているような感じである。


井伊直弼というのは、元々は兄がたくさんあって、
一生部屋住みのつもりでいたところ、次々に兄達が
亡くなって、井伊家彦根藩の藩主になったという経歴を
持っている。


その頃からの妻、足軽の娘お静の方=玉三郎、がおり、
その後藩主になってから身分のある正室を迎えた。


(この芝居では)その糟糠の妻ともいえるお静の方を
生涯愛したという。


安政の大獄、反乱分子粛清後、後悔と
彼らに襲われることを覚悟しつつ、つまり死を覚悟し、
それを知っているお静の方との心の通い合う時間をすごす。
まあ、こんなところがクライマックス。


安政の大獄の粛清も、自分は為政者としてなすべきことをした、
それで死を迎えるのであれば、甘んじて受ける、
そんな直弼の心情の吐露がある。


時代劇ドラマとして、よくできてはいると思われる。


そしてまたこの芝居は、ひとえに玉三郎の名演
といってよろしかろう。
後悔の苦悩から悟りに至る直弼に寄り添う、可愛い妻を
見事に演じている。
後の世も、そちを妻にする、という台詞が直弼に
あったと思うが、心に響く。


と、まあ、この芝居、公平にみてそんな評になると思うのだが、
実際のところは、これに加えて、もう少し違うことも
感じた。


皆様は、今、井伊直弼にどんなイメージを
お持ちであろうか。


歴史好き、幕末好きの方であれば、井伊直弼なる人物が
どんなことををした者であるかはむろんよくよくご存じあろう。


好き嫌い、でいえば、嫌い?。


いや、今はどちらでもない方が多いのではなかろうか。


一昨年になるが吉田松陰を一方の主人公に幕末を描いた
NHK大河の「花燃ゆ」にも当然安政の大獄は出てきた。
しかし、どうだったのであろうか。
井伊直弼高橋英樹が演じていたが、は人物を描くほどには
登場していなかったと思われる。


そう、なんとなく今は、井伊直弼は幕末の中でも
存在感が少なくなっているように思うのである。
まあ、もはや、どっちでもいい人?。


そんな中で、この芝居を今の観客が観ると、どうなのか。
私はやっぱり、ピンとこないような気もするのである。


今年「おんな城主直虎」でまたまた日が当たることも
あるかもしれぬが、、、。




(井伊直弼画像 井伊家菩提寺清涼寺蔵)



さて。


なんとなく影が薄い直弼。この芝居からは離れるのだが、
井伊直弼という人物について改めて私なりに考えてみたい。
まず、人物はともかくとして、やはり、政治家としての評価である。
皆様はどう思われようか。
これをおさらいしておかねば。


明治という時代をどう評価するのかで、多少変わってくる
とは思うのだが、やはりこの人が安政の大獄でしたことは
政治家としては評価できなかろう。時代、時流に
逆行していたのは間違いない。松陰先生はじめ有能な人々の命を縮め、
当時の我が国にマイナスを与えた。
まあ、明治以来ずっといわれてきた、ことではあるが。


では、幕府側からみてどうか、で、ある。


これもやはり評価はできないと思うのである。


井伊大老の前は有能な開明・改革派といってよい、阿部、
堀田と二人の老中があって、その揺り戻し、保守派の
巻き返し的役回りで、井伊直弼は登場してくる。


そういう意味で彼は、家格も譜代最高位、いわば
ゴリゴリの幕府保守本流として、強権で盾突く者を
ひねり潰すという、まあ、(芝居で描かれているように)
やるべきことをした、ということではあろう。


ただ、もちろん、家康、家光の頃のように幕府の武力と
威光で、朝廷はもちろん諸大名を押さえ付けることなど
既に幕府にはできなくなっている。
そして自らは、水戸浪士に襲われ、落命。


それにしても、幕府トップの政治家であり、それこそ
譜代名門、戦国の頃には、勇猛果敢な赤備えとして
恐れられた井伊家の行列が、江戸城至近の桜田門外で
浪士ごときに襲われて命を取られるなど、
警護の者どもはなにをしていたのか、寝ていたのか。
なんというていたらく。


直弼は警備の増員などはやめさせたともいう。
芝居に出てくるように、討たれるなら討たれよう
という意思があったようにも見える。
まさかに、わざと襲わせたわけでもなかろうが、
警備を強化しなかったこと自体いかがなものか。
幕府大老としてまったく考えられないではないか。
それで滅んでいく幕閣であれば殉じようとでもいうのか。
一見潔いように見えるが、為政者としてあまりにも無責任
といってよい。統治する意思すらも投げ出している。


彼のしたことはむしろ倒幕派の動きに油を注ぎ、
佐幕派をも取り込み、幕府瓦解を速めただけ。
(と、いうことは倒幕派には皮肉な功績かもしれぬ、か。)


また、この芝居でも出てくるが、当時から勅許を得ずに
開国をしたと井伊直弼の責任を問う議論もある。
しかし、開国は既に阿部、堀田からの幕府の既定路線で、
それを彼は踏襲しただけといってよい。
いわばこれも、彼は幕府首班としてすべきことをしたまで、
といってよろしかろう。そして彼は幕府保守本流であるから、
勅許など得ずともよい。なんら矛盾はなく、当然といってよい
はずである。
(しかし実際のところ、不思議なことに彼は勅許には
こだわっていたようである。)
歴史的評価として、当時開国・通商策以外には
あり得なかったのはいうまでもないが。


こうみてくると、幕府から見ても、倒幕派から見ても、
後世我々が見ても、どう贔屓目に考えても、彼は有能な
政治家とはいえない、ということになってきてしまうのである。
(実に、私は、贔屓目に見たいのであるが。)





つづく