浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



鳥越祭2016 その2

dancyotei2016-06-14


引き続き、鳥越祭、一日目。

梅雨には入ったが天気もよい。
予報によれば、明日もよさそう。
鳥越祭は、この時期のため、毎年雨が心配なのである。

さて。

白鴎高校の太鼓演奏に送られて、
連合渡御に向けて、担ぎ始めるわけである。



神輿の進行方向に台に乗った、睦の代表の方。
拍子木を持っている。
この方が、今年の神輿渡御の差配をするわけである。

このタイミングの担ぎ手は、毎年、白鴎生主体。
おずおずと、彼ら、彼女ら、棒に取り付く。

代表の方から一言あって、拍子木を叩き、手締めから
神輿が上がり、担ぎ始め。



白鴎生諸君、初めて担ぐ人がほとんどか。
毎年のことだが、なかなかむずかしい。

私自身、見ているだけで、実際に担いだことがないので
偉そうなことはとてもいえないのだが、むずかしい。

そもそも神輿にはリズムがある。
鳥越の場合、掛け声は、おりゃ、または、うりゃ、と
教えられる。
(そうでない掛け声をする人は、外から担ぎにきている人
といってよろしかろう。)

ゆっくり目の二拍子であろうか。

これに合わせて、全員が身体を上下させる。
具体的には、足の曲げ伸ばしになる。

肩の上に棒をあて、その腕を棒に巻き付け、比較的腰は落とす。
足はがに股。
すり足で、身体の上下動(足の曲げ伸ばし)に合わせて
ほぼ足踏みをするくらいで左右の足を動かす。

こんな感じであろうか。
プロは皆、こんな感じ。

時にもよるが、ほぼ足踏みだと、神輿自体の前進する速度は
ほんのわずか。これが普通の担ぎ方である。

白鴎生諸君、担いでいるというよりも、
“運搬”しているという感じ。
すり足のほぼ足踏みができずに、歩いちゃっている。
だがまあ、最初は毎年こんなもの。

それでも、若い彼ら彼女らに参加してもらえるというのは
とってもありがたいこと、で、ある。
(昨日子供が少ないことも書いたが)
祭はやはり、ある特定の好きな人だけではだめ
なのである。
この町に住んでいる、働いている、学んでいる、
老若男女すべての人が参加するのが、祭である。
(見ているだけも含めて。)

日本の祭は、通常、地縁によって成り立ってきた。
(そうでない例えば特定の職業集団だけの伝統的な祭も存在はするが。)

産土神である神社を中心にその氏子範囲が特定され
その中の各町、さらに町内会員(つまり住人)が祭りに参加する。
在住在勤、在学のすべての人々が祭りに参加するのが
日本の祭の姿。
むろん義務ではない。
だが、年に一回のことである。
ある種、地域のアイデンティティーの発露の場として
とても大切なものだと思うのである。
町会の名前の入った同じ祭半纏を着て、自町の神輿を担ぐ。

こういうものが、伝統行事としてきちんと存在している
というのはそうそう多くはない。逆にありがたいことだと
私は思うのである。

自分の町内にアイデンティティーを持つということは、
我が町を愛することであり、ゴミが落ちていれば拾おうと
思うし、不審者がいれば、目を光らせる。
マンションの住人であっても、同じである。
地域のコミュニティーが大切であることは
今さらいうまでもなかろう。

さて。

左衛門橋通りを渡る。



真っ直ぐ行って、一度停止。



各町の神輿が自町内から三々五々集まってくる。

ここで連合渡御に参加する各町会が集合するのである。
町神輿の先頭には露払いのように町会名が入った
一対の高張提灯(たかはりちょうちん)がついている。
この各町の提灯が十字路に丸く輪のように集まるのである。
集まるのは、鳥越の春日通りの北側、北部八か町と呼んでいる
八町会。栄久、北松山、南松山、菊屋橋、安倍川、三筋北、七軒、永住。

集まって、代表の方の一言あって、
全員で手締め

再び担ぎ始め。
今度は一列になって、担ぐ。


これが連合渡御。
八基の神輿が並んでいる様は、壮観である。
白鴎生諸君も、少し慣れてきた模様。

阿部川町の角を西に曲がって、浅草[開花楼]の角で停止。



浅草[開花楼]というのはご存知であろうか。
東京のラーメンフリークの方であれば、きっと耳にしたことの
ある名前ではなかろうか。
そこそこ名の知れた、製麺やさんである。
当地、元浅草にあったのである。

またまた、高張提灯の集合。



氏子総代の方がいらっしゃっていたようで、ご挨拶があって
三本締め。
鳥越の三本締めは、一本一本の間に、
よ〜、っという掛け声が入る。
意外に、手締めの仕方というのは、三社だったり、神田だったり
微妙にやり方が違っていることがある。

再び担ぎ始め。


ほんとに狭い通りで、町神輿でも芋を洗うよう。

一周まわって、左衛門橋通り。





つづく