さて。
歌舞伎座の團菊祭も4回目。
またまた、私の苦手な踊りの幕。
なのであるが、不思議と今回は飽きずに観ることができた。
「道成寺」。
「道成寺」にも実に様々なバリエーションがあって、
もっとも一般的なのは「京鹿子娘道成寺」。
踊るのは基本的に、娘一人。
今日のものは、男女で踊る「男女(めおと)」道成寺、
ということである。
そもそも「道成寺」とはなにか。
歌舞伎を代表する、所作事、いわゆる踊りなのであるが、
紀州、和歌山県中部にある道成寺という古刹に伝わる、
「安珍・清姫伝説」というのがすべての起源。
どんなものなのかというと、清姫が思いを寄せた僧の安珍に
裏切られ、激怒のあまり蛇に変化し、鐘ごと安珍を焼き殺す、
という、なかなか壮絶なもの。
(そういえば、江戸のものだが「八百屋お七」も若い娘の
激しい恋心と火。この組み合わせは偶然ではないのかもしれない。)
この「安珍・清姫伝説」は平安時代にはもう既に
文字に書かれていたものがあるということで、相当に古い。
歌舞伎になる前に、室町時代に能になっている。
歌舞伎にしても、能にしても、
話の内容は、先の「安珍・清姫伝説」の後日譚。
400年後、再び焼けた鐘が完成し、その供養としようとすると
白拍子に化けた清姫が現れ、供養を妨害して蛇に姿をかえて
鐘を引きづり下ろし、その中へ消える。
まあ、このあたりを踊りにしている、ということだが、
ほぼほぼ、お話とは関係なく、美しい娘の踊り、と考えた方が
よい。
ともあれ、歌舞伎をご覧になったことがない方も、
大きな釣鐘が舞台中央に下がっている芝居の記憶が
あるであろう。
結局、お話とは関係がなくなっているので、
娘だけでなく、踊り手に男が出てきてもよい、という。
こういう融通無碍(ゆうずうむげ)、というのか、
テキトウなところが歌舞伎らしい。
(そう、歌舞伎(=江戸人)っていい加減なのである。
これがいい。)
さて。
むろん私には踊りの細かいよしあしは
わからないが、まったく飽きなかった。
なぜであろうか。
一つは、どうも、娘一人で踊る道成寺は
相手の男を想定している所作がある、ともいう。
その想定している相手の男がちゃんといるので
わかりやすい。
どうもそんなことのようである。
つまり、一人で踊る方が抽象度が高いというのであろうか。
あるいは、芸術性が高い?。
それで、私のようなトウシロウはとてもついていけない
のかもしれぬ
あるいはまた、また、おどけて、江戸の吉原、京の島原、
長崎の丸山など各地の遊里を詠み込んだ唄に合わせて、
二人で鞠つき、羽根つきをする、なんという場面もある。
お気軽で調子よく、江戸っぽいといってよいのか。
わからぬが、とてもたのしめた。
菊之助は踊り手としても、役者としても
私はご贔屓。よかった。
海老蔵もこういう演目であれば、
人(ニン)に合っているというのか、十二分に
愉しませていただいた。
初代豊国 文化4年(1807年)江戸 中村座
路考改 瀬川仙女
さて。
来月の歌舞伎座は「義経千本桜」昼夜三部の
通し。観なければいけないような、怖いような。