浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



初芝居 国立劇場・新春歌舞伎公演 通し狂言 南総里見八犬伝 その

dancyotei2015-01-05


1月4日(日)



三が日が終わり、明日が仕事始めであるが、
今日は芝居を観に行く。


ここなん年も、正月は歌舞伎を観に行くことにしているが
やはり、正月らしくてよいものである。


この正月は、都内でなんと四つもの劇場で
歌舞伎を演っている。


本家の歌舞伎座、それから半蔵門国立劇場
新橋演舞場、さらに浅草公会堂。


四座もあって客が入るのか、心配になってしまう
くらいである。


歌舞伎座はむろん大所の役者が出演(で)ているが
演目が今一つピンとこない。
新橋は海老蔵。まあ、これもよい。
浅草は(あの)尾上松也など若手。


国立の演目は「八犬伝」の通し。
役者は、菊五郎菊之助他、音羽屋、
菊五郎一座、と、いってよいのだろう。


八犬伝の芝居などがあったのか、という感じ。


なんとなく消去法で、国立に決まった。


三日が初日で四日は二日目。


席は12月の中旬前に取ったのだが、
この時既にほとんど満席で、1階だが上手側最も後ろに
なってしまった。


開演は12時。


11時までに着物に着替え、トンビのコートに
襟巻、毛糸の手袋もして内儀(かみ)さんと、出る。


地下鉄で神保町までいって、神保町からはタクシー。


内堀通り沿い、半蔵門国立劇場大劇場に着いて、
チケットを引き取り、入る。




正月のご祝儀、入ったところで獅子舞をやっている。


席を確認し、弁当やら飲み物やらを調達し、開演を待つ。




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曲亭馬琴=作


渥美清太郎=脚色


尾上菊五郎=監修


国立劇場文芸研究会=補綴


通し狂言南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん) 五幕九場


国立劇場美術係=美術



発 端 (安房)富山山中の場


序 幕 (武蔵)大塚村蟇六内の場


          本郷円塚山の場


二幕目 (下総)滸我足利成氏館の場


          同   芳流閣の場


          行徳古那屋裏手の場


三幕目 (武蔵)馬加大記館対牛楼の場


大 詰 (上野)白井城下の場


      (武蔵)扇谷定正居城の場



出演


尾 上 菊 五 郎


中 村 時  蔵


尾 上 松  緑


尾 上 菊 之 助


坂 東 亀 三 郎


坂 東 亀  寿


中 村 梅  枝


中 村 萬 太 郎


市 村 竹  松


尾 上 右  近


尾 上 左  近


市 村 橘 太 郎


原崎 権 十 郎


市 村 萬 次 郎


市 川 團  蔵


坂 東 彦 三 郎


市 川 左 團 次


ほか 



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お話しとしての「南総里見八犬伝」というのはほとんどの方が
ご存知であろう。


特に、我々の世代であれば、子供の頃、NHKの人形劇「新八犬伝」に
親しんだ方が多いのではなかろうか。


黒子に扮した、亡き坂本九氏の語り。


辻村ジュサブロー氏の人形。


「仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌」八つの玉。


「わぁ〜〜れこそは、玉梓(たまずさ)が怨霊ぉぅ〜〜」


怨霊玉梓は、子供心にとても怖かった。


今は昔。


懐かしく思い出す。


曲亭(滝沢)馬琴作。


師匠は絵も描き、文章も書く、マルチクリエータ
山東京伝。(実際には入門を断ってはいる。)


文化11年(1814年)に刊行が開始され、天保13年(1842年)、
28年をかけて完結している。


江戸後期の化政文化、当時読本(よみほん)
と呼ばれたジャンルで、今いう小説と呼んでよいのであろう。


武士の家に生まれた曲亭馬琴は江戸最初の職業作家というような
呼び方もされるよう。
まず江戸を代表する戯作者といってよろしかろう。


書かれた当時からむろん人気作品で、調べてみると
書かれている最中から既に、劇化され、
黙阿弥先生なども脚本化している。


そんなわけで数多くの台本があるようだが、
菊五郎劇団としては戦後すぐに、今回のもとになる
台本が書かれて以後持ち演目にになっているとのこと。


幕が上がるのが、待ち遠しい。





国周「見立八犬伝ノ内 平井縄手」


「犬山道節 四代目中村芝翫明治21年




つづく