浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



神保町・カレー・エチオピア


7月13日(日)第二食



さて。



カレー、で、ある。



やっぱり暑くなると、カレーにもご登場願わねば
ならなかろう。


そこで今日は、神保町の[エチオピア]へ行ってみることにした。


誰かのカレー本を読んでいたら、ここが原点である、
というようなことを書いていた。


正直のところ私がこの店を知ったのは、
そう古くはない。


気が付いたら[エチオピア]は東京でも有名なカレーやの
一角にあったので、じゃあ、行ってみなければ、と、いくようになった店である。
(従って、私の原点ではないのだが。)


この店の開店は1988年、昭和63年、と、いう。
昭和のどん詰まり。


私は社会人になって、3年目、か。


神保町というのは、それこそ昔からの学生街で
この店以前から[ボンディー]だとか[共栄堂]だとか
老舗のカレーやも集まっている。


神保町などは、本格だとかインド風だとか、欧風など、


学食のカレーでもなく、家庭のルーのカレーでもない、
うまいカレーの草分けの街といってよいのだろう。


これ以外だと都内で昔からあるのは、新宿[中村屋]、
渋谷[ムルギー]上野[デリー]、銀座[ナイルレストラン]、
麹町[アジャンタ]、赤坂[トップス]、、。
(その他にもあったかもしれぬ。)


今は、インド人の営むネイティブな味に近い店も
東京の街にはそれこそウジャウジャあるが、
私の学生時代、25〜30年前は、そういったインド人の
インド料理店が、ポツポツと出来始めた頃
だったのではなかろうか。


この頃というと、なんとなく、東京のラーメンの歴史を
思い出す。


ラーメンも私の学生時代ごろから、恵比須の恵比須ラーメンだったり、
行列ができる店が出来始めたように思う。


カレーやではさすがに行列というのはないと思うが、
日本人だけではなく、インド人も取り混ぜて、この頃から
様々な味のカレーを出す店が、バブルを経て、都内で増えていった
のではなかろうか。


この神保町の[エチオピア]もそんな時期の開店なのかもしれない。
時代とすれば、バブル少し前か。


ある意味“原点”というのもこう考えると
わかるような気もする。


そんなことで、昼下がり、自転車で出る。


ポロシャツに短パン。
足元はいつもの雪駄履き。


御徒町ユニクロに寄って、ちょいと買い物。


御徒町から神保町は直線距離としては
そうなはいのだが、自転車ではちょっと面倒。


駿河台の坂道を迂回しなければいけないからである。


秋葉原を抜けて、万世橋を渡り、靖国通りという行程。


エチオピア]は駿河台下交差点を御茶ノ水駅方向に少し
上がった左側。


店前に自転車をとめて、入る。


すぐ左に券売機。


ノーマルなビーフカレーとビールを買う。


1階はカウンター。
あいている席に座ると、すぐに、小皿にのった
茹でたじゃがいもが出る。


食券を出すと、辛さはなん倍にしますか?と、聞かれる。


これが難しい。
最高で70倍までなのだが、なん倍でどのくらいの
辛さなのか、いつも憶えていないのである。


それで、くるたびに、テキトウに言っているように思う。


で、今日は、5倍と言ってみた。


ビールがきた。





ここは前から、なぜかキリンのハートランド
珍しい。


じゃがいもをつまみに、ビールを呑む。
この暑さの中を自転車できたので、冷たいビールが、
うまい。


しばらくして運ばれたビーフのカレー5倍。





ここのカレーは、ネイティブなインドカレー
日本のカレーの中間くらいか、少し、インド寄りか。


ただ、ちょっとグローブが立っているのが特徴。


ひよこ豆なども入っている。


うまいカレーである。


さて、問題の辛さ、5倍。


私の感覚では、もう少し辛くともいける。


今度きた時には、10倍くらいにしてみるか。


うまかった。


ご馳走様でした。












エチオピア

千代田区神田小川町3-10-6
TEL.03-3295-4310