浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



吉例顔見世大歌舞伎・通し狂言 仮名手本忠臣蔵 その7

dancyotei2013-11-13

引き続き「忠臣蔵」。



六段目なのだが、勘平が切腹に至る経緯を書いてきた。



これがどうも、納得がいかないという話。
ちょっと込み入っているが、お分かりいただけたであろうか。


この六段目、与市兵衛の死骸が担ぎ込まれたところから、
早く、与市兵衛の傷を改めろ!、やったのは、勘平、
お前じゃないぞ、と、私は思って観ていた。


また、腹を切る前に二人も気付いてやれよ!。
定九郎が鉄砲で撃たれて死んでいるのは勘平は知らないが、
最初から二人は知っていただろ。


酷いじゃないか。長ゼリフを黙って聞いていないで、
気付いて、止めて、手当をしても間に合ったのではないか。


まったくもって、納得がいかないと、思われまいか。


勘平だって、撃ったその場でなくとも、金を千崎に渡した後
家に帰る前でも、相手を確かめてもよかったのではないか?と。


この五、六段目の脚本は、ただでさえ込み入っていてわかりずらいが、
この他にも突っ込みどころは満載である。


この勘平の挿話だけにのめり込むのもどうかとは思うが、
忠臣蔵」の中ではやはり主要なお話しなので、考えてみる
意義はあると思うのでしばしのお付き合いを。


まず、五段目、勘平が撃ってしまった、旅人?、の懐を
「薬でもないか」と探るところ。


普通こんなことするか?。


おかしいだろ!。


勘平に定九郎の懐から縞の財布の五十両を盗ませたい、という
意図ならば、もう少し他の手を考えた方がよかったのでは
なかろうか。


また、与市兵衛のうちで。


母のおかやも、勘平が与市兵衛に昨夜会っているといい始めて
それまでしぶっていたのに、おかるを連れて行くことに
簡単に納得してしまうところ。


これも無理がなかろうか。わかりがよすぎる


300年近く前の作品で、現代の感覚で判断してしまうのは
作品の評価としては多少違うような気もするが、
この五、六段目、筋がいささか強引な印象がぬぐえない。


ともあれ。


六段目、続きがまだある。


勘平が腹を切って、与市兵衛の亡骸の傷が刀傷であることが
わかって、その後を追ってみよう。


腹に刀の刃を入れているが、むろんすぐには死なないので
勘平は血だらけ、座ったまま、そのままお話は進行していく。


すべてがわかって、最初の五十両と後の五十両合わせて
勘平はおかやにいって、仇討の費用にと二人に渡す。
しかし、与市兵衛と勘平の回向のためにと、二人はおかやに返す。


そして「仏果を得よ(成仏せよ)や 早野勘平」といって
二人は立とうとする。


勘平
「仏果とは汚らわしい。死なぬ、死にませぬぞ。

魂魄(こんぱく、霊のこと)この土(ド)に留まって

敵討ちのおん共せいでおこうか」

竹本(義太夫
「突っ込む刀引き回せば」

二人は「待て、勘平」と、止めて、

同志の血判状を出し、早野勘平の姓名を書き加えてやり


「勘平、血判」


竹本
「心得たりと 腹十文字にかき切り 臓腑をつかんで しっかと押し」

二人
「血判確かに 受け取ったぞ」


二人、うちを出て、合掌。


勘平は苦しい息で、自ら首の急所を切って、果て、幕。


壮絶。


DVDもあるので、この五段目、なん度も観たのではあった。


結局、この勘平というのは、なにがしたかったのか。


おかると逢引をして、主君の大事に遅れた。
そして、ここでも腹を切ろうとするが、おかるに
説得され駆け落ち。


武士の場合一度仕えている主家から逃げたらそれは裏切り行為。
ある意味取り返しがつかないことである。


そして、おかるの実家に転がり込み、武士を捨て猟師として生きるのかと
思えば、そうでもなく、またまた、討ち入りの仲間に
戻りたい、入れてもらいたいと考える。
女房と両親は気を利かせて、身を売るところまでいってしまう。


おかるとの関係と武士の本分との間で行ったり来たり、
どっちつかず。
優柔不断というのか、煮え切らぬというのか。


が、この姿は人間らしいともいえるのか。
いや、この話はそうではない。


武士として、己の大義を果たすためには、
“切り取り強盗”も許される、という価値観も
当時、一方ではあった。


それで武士の妻は夫の立身のためには、自らの身を売る、
というのもまた、評価されることであったと思われる。


ただ、こういった価値観はどちらかといえば、江戸時代でも
時代が下ると一般にはなくなっていくもので、近世的なもの
といってよいのであろう。


五段目、六段目を通して、主として勘平の行動に流れている
価値観は基本的にはこれである。


一個の人間と武士的価値観の対立という図式といってよいのか、
この物語では、武士的価値観は勘平にとってはすべてに優先し、
問答無用、議論の余地はなくて、ここに彼は悩んでいないと、
いってよい。


最初に逃げたことも、勘平自身は肯定していない。
色に耽った、と言って、反省をしている。


つまり、近世的武士的価値観が勝利をしているのである。


江戸中期の作品、やはり、後年の黙阿弥作品がたどり着いた
近代江戸人には遠い存在ということであろうか。


ともあれ。


あとの、切腹にいたる、定九郎と与市兵衛の取り違いなどの過程は、
ストーリー展開上のギミック、ドタバタといってよいようにも思われる。
(ただ、やはり、それにしても詰めが甘いようには思われるが。)


こんなドタバタで終わってしまい、やっぱり、


納得いかないよ、なのである。






また明日。