浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



五街道雲助蔵出し・浅草見番 その2

引き続き、雲助師匠の
蔵出し・浅草見番。

『品川心中』であった。

この噺のポイントを書いている。

海へ出る場面があって、桟橋。
本やの金蔵はお定まりに、先に飛び込み、
お染は心中の原因になった金の工面がついて、
「失礼」といって、女郎屋へ戻ってしまう。

品川の海は遠浅なので、足が立って、金蔵は助かる。

ここまでを、上、として切る場合もあるが、
雲助師匠はこの先を続ける。

金蔵は、ずぶ濡れになって、家もなにも売り払ったので、
行くところもなく、貸本屋の親方の家へ向かう。

親方の家へ行く道々、野良犬に吠えられて、町内送り、を
される。

このパントマイムというのか、表現が雲助師は
最高であった。

本来、江戸の町は、夜遅くなると、各町内毎に、設けられた木戸を
防犯上閉めてしまう。町内送り、というのは、医者であるとか、
この時間にどうしても出掛けなければならない人を
隣の町の木戸まで送っていく。これを町内送り、という。

野良犬にも縄張りがあるので、ずぶ濡れの金蔵は吠えられて、
次の縄張りまで追いかけられ、また、別の犬に吠えられて次へ、
という状況。

パントマイムまでせずに言葉だけで済ましてしまう人が
多く、たいしておもしろくもないのだが、雲助師のものは秀逸
で、あった。

この先が、ストーリーとはまったく関わりがないのだが、
実は『品川心中』で最も笑える場面。

親方の家では、大勢集まってさいころ博打の最中で、大家さんが来た、
と思い込み、灯りを消し、皆が大慌てで、思い思いのところに隠れる。

金蔵だとわかり、灯りをつけてみると、
皆、慌てて色んなところに隠れたので、たいへんなことになっている。

「おめえ、糠味噌の桶にはまって」
「うわぁ〜〜ん、親方。俺のおっ母さんを呼んでくれ〜」
「どうしたんだ」
「金玉が取れちゃったよ〜」
「どれ」
「ほれ、これ」
よく見ると、
「馬鹿野郎、よく見やがれ。こりゃぁ茄子の古漬けだ」

「誰だ、憚り(はばかり、便所のこと)にはまっているのは」
与太郎です」
「おお、上げてやれ、上げてやれ」
与「へ、へ、もう上がってきた」
「おう、おう、馬鹿野郎、上がってくるんじゃねえ」

この部分『品川心中』本編ストーリーとはまったく関係ないが、
爆笑、で、ある。

ここまでで、中、あるいは上と中を合わせた場合の、上、はお仕舞。
雲助師もここでおわり。

この先は滅多に演られない下。

金蔵はお染に心中を持ちかけられて、お染の方は
飛び込まなかった。
これに対して、死んだことにして、金蔵は幽霊に化けて、
仕返しをする、という話になる。
長いばかりで、たいしておもしろくもない。

さて。
中入休憩があり『山崎屋』。

これは派手な部分がなく、そうそう有名な噺ではないと思うが、
落語らしい名作ではないかと思っている。

『山崎屋』は頭の部分が『よかちょろ』と呼ばれる
別な噺になっている。『よかちょろ』は先代文楽師の名作。

談志家元なども『よかちょろ』にしても『山崎屋』にしても
よく演っていた。

主人公は、お約束の放蕩ものの大店の若旦那。

掛け取りに出たのだが、そのもらった勘定の二百円某を
そっくり吉原で使って、三日後に帰ってくる。

すると、父親である大旦那に小言を食らう。
二百円どこへ使った、と聞かれ、髭剃りに五円、そりゃあ高い、
と、色々あって、最後に「よかちょろ」を四十五円といって、
「よかちょろ節」という歌を唄って誤魔化す。
まあ、言ってしまえばそれだけの話なのだが、絶品の
爆笑噺に仕上げられている。

先代文楽師によって磨きに磨かれているので、
談志家元なども、一言一句寸分違(たが)わぬ文楽版で演っていたが
雲助師も同様。だた、飄々とした雲助師の仁(にん)に合っている
のだろう。なかなかよかった。

『よかちょろ』でここが、おもしろい、というところ。
いくつかあるが

息「おとっつぁん、見てますか。息子の晴れ姿」
父「見てますよぉ〜」

もう一つ。
「ここに猫がいたりいなかったり」

噺を聞かないとわからないが、ここのセリフを聴きたいので
この噺を聞く、という部分である。
(マニアの方はご同意いただけようか。)

さて『よかちょろ』と『山崎屋』の関係である。

本来は『よかちょろ』は『山崎屋』の頭の一部で、
雲助師は『よかちょろ』からそのまま『山崎屋』へ入っていたが、
談志家元は、必ず別々に演っていた。

それはなぜか。
『よかちょろ』は時代設定が明治以降なのである。
上にも書いたが、金額が先代文楽師なども、両ではなく、
円である。
また「よかちょろ節」は明治以降の俗謡なのである。
「〜しちょる」などという歌詞があるが、これは長州弁であろう。

『山崎屋』では、両で演るし、最後の下げも江戸でなければ
ならない。
それで、家元は別にしていた。

雲助師は逆に『山崎屋』を生かし『よかちょろ』を
両で演っていた。

『よかちょろ節』が明治以降の歌であることを除けば、
両にしても、成立する。

まあ、そう細かいことをぐずぐずいうこともないか。
誰も気にしてはいなかろう。

もう一日、つづく。