浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



2013年 新橋演舞場 初芝居 その1

dancyotei2013-01-06


1月3日(木)



さて。



皆様のお正月、いかがおすごしであったろうか。




三日、今日は、歌舞伎。
初芝居、で、ある。


昨年は勘三郎先生が亡くなった。
歌舞伎勉強中の身には、よき指南役であった勘三郎平成中村座
これから平成中村座はどうなるのか。
もうやめてしまうのか。


新歌舞伎座こけら落としもよいのだが、
これが今、最も気になる一事ではある。


是非、残られた人々で遺志を継いで続けていただきたいと
一ファンとして思う次第である。


さて。


今年の初芝居は、松竹の新橋演舞場へ行くことにした。


今年の東京の正月歌舞伎は、新橋演舞場
私の地元、浅草、それから国立。


浅草は若手。
海老蔵愛之助などで、曽我の対面、
幡随長兵衛、勧進帳他。


国立は『夢市男達競』で菊五郎


昨年は正月も国立で、やはり通しがよいと、
国立になん度も行った。しかし、勉強にはなるが、
どうしても、マイナー感が否めない。
『夢市男伊達競』というのも、聞いたことがない。


正月くらいは、メジャーを観ようか、で、あった。


新橋は、昼が『菅原伝授』の車引。
『菅原伝授』は、昨年九月、秀山祭で寺子屋を観た。


夜は『忠臣蔵・七段目』。


忠臣蔵』というのは、一幕も観たことがない。


こっちにしようか。
旧臘中に切符を取っておいた。


歌舞伎は二日が初日。
その翌日の、三日。


團十郎が入院中で七段目の由良介が
幸四郎に変更。


夜は16時から。


昼から既に呑んでいたのだが、
2時すぎ、風呂に入って、着物に着替え、
3時、内儀(かみ)さんと、出る。


襟巻をして、着物の上には、トンビのコート。
ちょっとヘンだが毛糸の手袋。


それでも、着物、というのは、
袖があいているので、寒い。


大江戸線で、築地市場前で降りて
新橋演舞場へ。


演舞場正面。





さすがに正月、外国人もちらほら。
年配の夫婦連れ、というのも比較的多く、
いつもよりも男性が多い。




正面から入って、席は一階右側のブロックで
中央よりもちょっと後ろ。


例によって、演目と配役を書き出しておく。



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夜の部


一、 ひらかな盛衰記(ひらかなせいすいき)


   逆櫓



船頭松右衛門実は樋口次郎兼光  幸四郎


お筆  福 助


女房およし  高麗蔵


          船頭明神丸富蔵  松 江


船頭灘若九郎作  廣太郎


             畠山の臣  宗之助


             畠山の臣  桂 三


            漁師権四郎  錦 吾


          船頭日吉丸又六  錦之助


           畠山庄司重忠  梅 玉



   四世中村雀右衛門一周忌追善狂言


二、 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)



   七段目    祇園一力茶屋の場


          大星由良之助  幸四郎


              お軽  芝 雀


            赤垣源蔵  友右衛門


          富森助右衛門  廣太郎


            大星力弥  廣 松


            鷺坂伴内  男女蔵


           矢間重太郎  秀 調


            斧九太夫  家 橘


          寺岡平右衛門  吉右衛門



三、 釣女(つりおんな)


             太郎冠者  又五郎


             大名某  橋之助


             上ろう  七之助


              醜女  三津五郎



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一本目は『ひらかな盛衰記(ひらかなせいすいき)』
逆櫓。


これ、有名なものなのであろうか。
むろん、初見だし聞いたこともなかった。


元は人形浄瑠璃もの。


初演は1739年(元文4年)、大坂竹本座。
吉宗の時代。江戸時代とすればほぼ、真ん中。


時代もの。つまり、江戸リアルタイムよりは過去の
源平の戦いを扱っている。


しかし、源平は源平でも、木曽義仲の家来と
頼朝の家来というようなものが登場する。


直感的に思うのだが、昨年の大河ドラマ『清盛』でも
そうだったのだが、現代において源平の頃は、もう
わからなくなっている。


むろん、メジャーな頼朝、義経は今でも
ある程度、我々も含めて若い人も知っており、
直感的に理解できるのだが、平家側、あるいは、
義仲の家来、なんというところまできてしまうと、
まあ、ほぼダメ、で、あろう。


なぜ、同じ源氏なのに、義仲と頼朝は戦ったのか、
なんというのは、あなた!、ご存知でした?。


なぜ、こんな演目を演ったのか?。
まあ、素朴にそんな疑問がわいてくる。
(大河『清盛』の史上最低の視聴率もそういうことだと
思われる。源平で大衆にわかるのは、今は頼朝と義経だけ、
という時代なのである。この10年、20年で大きく変わっている。)


なぜこんな演目を演ったのかは、芝居の『筋書』(プログラム)
に、よれば、どうも主演の幸四郎先生の関係のよう。


先々代幸四郎(当代のお祖父さん)の当たり役で、
当代幸四郎先生もなん度も演じているよう。
(どうも、歌舞伎というのは、こういうのが多いのである。)


芝居の場合、時代背景など、わからなくてもよいのか?
という疑問はこの際、置いておいて、初見で観た芝居として、


どうか。


まあ、あまり筋も複雑ではなく、立ち回りも豪快で
深く考えなくとも、たのしめたのではなかろうか。


(筋が複雑でないというのは、作品としては、
伝わるものも少ない、と、いうことにもつながる
とは思うのだが)
まあ、正月らしい、と、いうことか。






今日はここまで。
つづきはまた明日。