浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



落語・講談・歌舞伎


さて。



今日は、ちょっと考えたこと。


この、9、10、11月と
三月続けて、国立劇場に歌舞伎を観にいっているし、
ここ数年でも初芝居を決めて観たり、
できるだけ歌舞伎を観るようにしてきた。


また、黙阿弥ものが気に入り、関連する書籍など
読んだりもしている。


そんな中で例えば黙阿弥の名作『三人吉三』
などは、とても江戸時代、近世の作品とは思えず、
欧米でいう、近代的な“自立した個”を表現している
といってよいほどの質の高さを持っている、というような
ことに気付いてきた。


三人吉三』は幕末、安政の作品。


私の仮説だが、幕末の江戸という都市の文化の高さ、
成熟度合というのは、そうとうなものであったのではないか、
と、いうこと。


同じ時期に私のホームグラウンドの落語も
江戸で生まれ育っている。


落語は、談志家元の言葉を借りれば、業の肯定、
というようなことになるが、落語の中に流れている
人生観だとか、価値観といったものも同様に、
成熟度は高い、と、私は考えている。


で、黙阿弥の作品を観ていくうちに、
これはまあ、前から知っていたが、
落語との関わり。


落語を原作とする黙阿弥の芝居がいくつかある。
今年観たものだが、例えば『髪結新三』


他にも、主に落語では人情噺というジャンルに入れるが、
文七元結、あるいは、芝濱なんというのも落語が原作で
芝居になっているもの。


ただ、段々に、気が付いてきたのだが、
講談との関わり。


落語はかなりの数を聞いているが、
実のところ、講談というのは、私は、歌舞伎同様、
素人、に、近い。


講談というと、ハリセンをパシパシやりながら、


〜頃は、元亀元年壬申年 十月十四日
甲陽の大将 武田大僧正信玄 七重のならしを整えて
その勢三万予騎を従えて、、、


なんというもの。


これ、実は、私も覚えたことがあるのである。
『三方ヶ原軍記』というものの頭の部分。


中央進出を目論んで、浜松に侵入し、悠々と
西を目指そうという武田信玄
これに対して、織田の援軍は来ない。
決然として、浜松城を打って出た若かりし頃の
徳川家康
三方ヶ原に戦うが多勢に無勢、散々に打ち負かされ
命からがら城に逃げ帰った、という。


徳川軍にとっては負け戦ではあるが、
自国の膝元を踏みにじられ、座して観ていては
大将の器として、如何なものか。
負けを承知で及ばずながら、一矢報おうという姿は
部下から観れば、頼むに足る主、と、いうことに
なった、と。


ともあれ。


講談というと、こんなものを私も思い浮かべるが
そうでもないのである。


講談の中には、世話もの、世話講談という歌舞伎同様の
ジャンルがある。


先に書いた『髪結新三』などは落語よりも前に
講談になっていた。
つまり、本当の原作は、講談。


あるいは、これもなん度も書いているが、黙阿弥作、
『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』
通称『河内山と直侍(なおざむらい)』。


表向きはお城の茶坊主だが、裏へ回ると名うてのワルの
河内山と直侍の話。
(芝居では私は、河内山よりも直侍の、特に、雪の降る
入谷のそば屋の場面、黙阿弥の描きたかった、
これぞ江戸の粋(いき)で、大好き、で、ある。)


講談では『河内山と直侍』は『天保六花撰(てんぽうろっかせん)』
という長い話。
これは落語を通らずに直に講談から歌舞伎。


これなぞも、代表的な世話講談。


この世話講談から落語になっているものでは、
他には、鼠小僧。
この前、ANAの機内で志の輔師匠のものを聴いたが
落語では、蜆売り、と、いっている。


さてさて。


こんな具合に、文化文政の後の時代になるが、江戸の終わり頃から
明治の初め頃、講談、落語、歌舞伎、と、同じストーリーを共有していた。
(登場人物とすれば、歌舞伎が黙阿弥、落語は圓朝、そして、
今回調べたが、講談は例えば、『鼠小僧』『天保六花撰』の
作者が二代目松林伯圓(しょうりん はくえん)という人。)


いや、ただの共有ではない。
正確にいうと、お話が広がった順序とすれば、
講談→落語→歌舞伎あるいは、落語→歌舞伎。
逆はあまりない、ということ。


さて、この順序、もう少し掘り下げて考えると、
おもしろいのだが、中途半端になりそうなので、
今日はやめておく。


かわりに、なんで急に、講談のことを書いたのか、を
書きたい。


まあ、さほど深いわけがあるわけではないが、
先日観た歌舞伎、『浮世柄比翼稲妻』。
ここに出てきた、白井権八の件。


落語に『白井権八』というのがあるのだが、やはり、
講談ねた、なのだが、談志家元もやっており、
今でも、談春師など一門で演る人もある。


私自身、あまり覚えがなく、思い出して、家元のCD集を
今回手に入れ聞いてみた。
すると、家元の演った、講談ねたは、神田伯龍(5代目?)が
もとで、この人の得意としたのが、先に書いた、
世話講談という種類のものであった、ということ。
そして、伯龍(6代目)先生のCD(『天保六花撰』)も
聞いてみた。


家元の講談ねたでは『小猿七之助』などは、私は
大好きなものだったが、これもまた、伯龍先生のものだったり。


個人的な興味だが、へ〜〜、が一杯。
こと講談となると、やはり、知らないことがごまんとある。


まあ、今日はまとまった話になっていないが、
文化文政後の、成熟した江戸文化を考えるには、
講談もみなければいけない、ということがわかった
というようなこと。


そして、6代目神田伯龍先生(故人)は、今回初めて聞いたが、
もう少し、聞いてみなければ、と思っている。


(課題ばかり増えていくようだ、、、。)