浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



有楽町・交通会館・長崎チャンポン・桃園

dancyotei2012-11-29


11月27日(火)昼



午前中、二軒、岩本町と有楽町の取引先をまわる。
同僚二名と同行。うち一人女性。


昼飯を食おう。


このあたりなので、頭に浮かんだのは、
まずは、広東料理慶楽


池波レシピで、焼きそば、それから
牛バラ肉掛けご飯など、うまいのだが、
ランチもちょいと高め。


次は、スパゲティーのジャポネ
ちょっと、最近ご無沙汰。
一人ならよいが、女性ありの複数には向かなかろう。


で、交通会館下の長崎チャンポン桃園
あそこなら、いい感じではなかろうか。


交通会館の階段をトントントン、と降りて地下へ。


交通会館といえば、昭和の香り満載であったのだが、
少しずつ様変わりしているのか、新しげな店も見える。


この数寄屋橋の内側から、有楽町駅付近。
歴史をさかのぼると、そうとうに色々なことがある。


私も、そうそう意識をしてこなかったのだが、
例のNHK『講座』のために調べ直し、改めて
理解したのである。


江戸の地図





先日、丸の内の昔、を書いたが、その南側。


今、イトシアができて、その地下に、発掘されたものが
飾られているが、江戸の頃のこのあたり、イトシア付近に
南町奉行所があった。


南町奉行所がここに定着したのは、かの大岡越前の後。
大岡越前は将軍吉宗の時代なので、ちょうど江戸期中盤。
江戸期は奉行所以外は、有力大名の上屋敷街。


明治に入りこの界隈がどうなったかというと、
これも丸の内と、まずは、大差がない。


基本、大名屋敷地だったので軒並み、明治新政府関係の
施設になり、陸軍関係や警視庁などもこのあたりにあった。


民間に開放され始めるのは明治も少し経ってから。


その後、この界隈を特徴付けたのものは、三つくらいに
分けられよう。


一つは、劇場。


1908年(明治41年




外濠に沿って建てられたた有楽座、というのがどうも最初のようだが、
以後、内濠側に帝劇、あるいは、日劇など、劇場街になっていった。


もう一つは、新聞社。


報知新聞(読売新聞)が最初で、明治中期までは
銀座にあった新聞社がこちら側へ移ってきて、
新聞社街を形成していった。
(今のマリオンの半分は日劇で、半分が朝日新聞であった。)


そして、第二次大戦と、敗戦。
戦後すぐ、内濠側の第一生命ビルがGHQの本部として
接収され、この界隈が、日本人立ち入り禁止区域になっていた。


これがもう一つのポイント。


このため、駅前、特に東側の今、交通会館、
イトシアになっている区域、は、クラブ、キャバレーが林立し、
街娼(いわゆるパンパン)その他怪しげな人々の巣窟であった、
と、いうのである。


イトシアができたのはができたのは、2007年。
こんな背景があって、あの区画は土地の権利関係が複雑で
いつまでもゴチャゴチャした街が残っていた、ということなのである。


詳しくはこちらをご参照を(イトシア)


上野アメ横、神田駅前、新橋駅前、など、今も
闇市からの雰囲気をどこか残している街があるが、
特に、この有楽町駅付近が他と異なっていたのは、
日本人オフリミット区域であったから、というのは
私も初耳、で、あった。


すし屋横丁などといって、細い路地の両側にびっしりと
小さなすし屋が軒を連ねている写真なども残っている。


やはり、この街に歴史あり、で、ある。


この交通会館自体は、1965年(昭和40年)開館。


私は入ったことはないが、交通会館の最上階は
回転式展望レストランは当時話題になったという。
(今も、東京會舘のやっている、銀座スカイラウンジ
として立派に回転しながら営業中のようである。)


当時のすし屋横丁のなん軒かは交通会館に入ったという。


やはり、この雰囲気、単に昭和の雰囲気を残す、
なんというものではない。
こんな歴史がこの交通会館の地下にはあったのである。


と、いうことで、長崎チャンポンの桃園。
チャンポン、皿うどんビーフンなどがある店。
先に食券を買う。


中は狭いがカウンターとテーブル席で、
人数はそこそこ座れる。


お昼だが、テーブル席が一つあいていた。


3人で席について、ものの五分もしないで出てくる。


皆、チャンポン。





丼が小さく、こて盛。


野菜と錦糸玉子、なぜか鶏から揚げが一つのっている。


長崎ちゃんぽんに関して、語れる知識は私にはなく、
このチャンポンがチャンポンとしてどうなのかは、わからない。


麺は堅めの極太。

スープは白湯とうのであろうか。
具には野菜の他に、イカ、さつま揚げ、生姜風味の強い
揚げた肉団子も入っている。


見た目ほどには、大盛りではないが、
昼飯にはちょうどよいボリューム。


うまかった。
ご馳走様です。



さてさて、どこもここも、同じような再開発ビルになっていく昨今、
交通会館は、希少な存在であることは間違いない。


話のタネに、今度、回転するスカイラウンジへ
行ってみようかしら。








交通会館