浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



ラーメン その2

11月16日(金)夜〜


さて。

引き続き、鶏のスープでラーメンを作る。

ラーメンというのは、基本は、味のついていないスープにしょうゆ、
味噌など濃いたれを混ぜて、ラーメンスープになる。

最近のラーメンやでは、これに、香り付けのねぎ油、だったり、
様々なものを加えている、のであろう。

で、このたれ。
さっきの煮玉子と今の豚肉を煮たたれ。
これを混ぜて使おうか。

冷蔵庫へ入れてあった鶏スープは出して熱くしておく。

ねぎを切る。

鍋に麺を茹でるための湯を沸かす。

よし沸騰した。麺を茹でる。

入れて再沸騰して、一分弱か。



茹でている間に、ラーメン丼にたれ、熱くしたスープを入れ、
味見。
ちょっと、薄い。
たれを足す。

ぼやぼやしてはいられない。麺が伸びてしまう。
一本取り出し、噛んで茹で具合を確認。

OK。

ざるにあげて、湯を切り
スープを張った丼に入れる。


ストップ!。

ここで、ちょっと余談。

前から疑問に思っていたこと。

うどんやそば、日本の麺類は、茹で上がったら水で洗う。
温かいつゆで食べる、かけ、の場合は、そのままでは、
冷たいので、さらに、湯で温めてから、丼に入れる。
随分な手間、で、ある。

ラーメンの場合は、洗わずに、
そのままスープに入れる。

そういえば、パスタの場合も洗わない。

なぜであろうか。

茹でてから洗うのは、日本の麺類に限ったもの
なのかもしれない。

日本そばの場合、ざるや盛で食べる場合には
冷やすので、洗うという行為は自然ではある。
しかし、かけ、の場合も洗う、というのは、麺のぬめりや、
茹で汁の味がつゆに混じるのを嫌うからか、と説明される。

そんなことをいったら、ラーメンやパスタも
同様であるが、これらは洗わない。

ラーメンなどかん水という余計なものが入っているので
よけい洗った方がよさそうな感じもする。
パスタに至っては、茹で汁自身もソースの水分が
足りない場合には、使ったりする。

そういえば、麺類ではないが、メキシコのロスカボスへいったら
海老などのシーフードをボイルしたカクテルを
茹で汁らしき濁った液体に入れて出されて、ちょっと、
気持ちわるく感じたことがあった。
むろん向こうの人々はこれが普通で、パスタなどと同じように、
ソースの一部と考えているのであろうか、この茹で汁らしきものに
現地の辛いソースを入れたりして味をつけ、飲んでいた。

やってみたことはないが、実際にはそばやうどんの
温かいかけの類の場合、洗わずにそのままつゆに入れても、
味はたいした違いはないのかもしれない。

ぬめりや濁り、などといっているが、日本人の場合、
茹で汁からあげたままでは、ただなんとなく気持ちがわるいから、
なのではなかろうか。

これひょっとすると、これは日本人に特徴的な
“意識”なのではなかろうか。
日本人には茹で汁というものが、きれいなものではない、
(穢れている?)という意識があるのではなかろうか。

それで一生懸命に洗う。

そのくせ、そば湯、などといって、茹で汁で
つゆを割って飲んだりする矛盾はあり、また、
釜揚げ、なんといって、茹で汁に漬かったままで
器に盛る食べ方も一方ではあったりはする。

おそらく、これはこれ、それはそれ、と、
都合よく分けて考えているのではないかろうか

茹でてそのままの状態のものは、おそらく
日本人として本能的に洗わずにはいられない。

鍋物などをやると、皆、一生懸命にアクをすくう。
浄げなもの、澄んだものが濁っていくのは
見ていられない。
あれも、そんな深いところからくる“意識”なのではなかろうか。
(ロジカルにやっているのではないから、矛盾も許容される。)

長い余談であった。

スープに麺を入れたところ、で、あった。

煮玉子、煮た豚肉、小松菜、なると、ねぎとのせる。



(なるとが光ってしまった。)

食べる。

たいぶよいが、まだ、スープが少し薄いので、たれを足す。

ラーメンスープを今回初めて作ったが、
なかなか、このあたり、加減がむずかしい。

OK。

そこそこの味、に、なった。

鶏のスープとしょうゆで、基本はシンプルだが、
豚を煮たダシと脂も加わり、多少は深みのようなものも
ついているか。

内儀(かみ)さんの分も同時に作っており、
味はまあ、ラーメンになっている、ともいわれた。



煮玉子も半熟でそれなりの出来上がり。

ふ〜。
うまかった。

ラーメンもスープさえちゃんと取ってあれば、
比較的簡単にできるもんである。

(断腸亭、ラーメンやになるのか?!)