浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



浅草落語散策 その5


『浅草落語散策』で、ある。



浅草寺境内で、蝦蟇の油、高田馬場
星野屋の話をした。
(星野屋の詳細は、長くなるので割愛。)



例によって、長々と書いてもしょうがなかろう。
今日で『落語散策』はおしまいにしよう。


今まで、題名だけあげて、後回しにしていた
唐茄子屋政談と、松葉屋瀬川から触れてみよう。


どちらも、人情噺、の範疇に入るのか。


唐茄子屋政談の方は、今もそこそこ演じられる噺だが、
松葉屋瀬川の方は、そうとうに長いこともあってか、
あまり演じられないのではなかろうか。


たまたまだが、どちらも、放蕩をした
若旦那の噺。


唐茄子屋の方から。


若旦那、親類協議の上、御勘当。
お天道様と米の飯は着いて回ると、うそぶいて、
吉原の花魁のとこやら、友達のところを転々とするが
金の切れ目が縁の切れ目、その内にどこへいっても
相手にしてもらえなくなる。
お寺の軒下などで雨露をしのぐ、今でいう
ホームレスに。
いっそのこと死んでしまおうと、吾妻橋の上から
身投げをしようとする。
と、助ける人があった。
これが、本所達磨横丁に住む、
若旦那の実の叔父さんだったのである。。


叔父さんに説教をされ、死のうと思ったのなら、
なんでもできるだろうと、荷売りの唐茄子屋を
始めさせられる。


重いものなど担いだこともない身体。
ふらふらになって、雷門前、並木を歩いていると、
通りがかりの人が、気が付き、事情を聴いて、
まわりにいる者に、唐茄子を買ってもらうように頼んでくれる。


だいぶ売れて、気を取り直して、もう一度、
売り声の稽古などしながら歩き始める。
吉原などへもまわり、あ〜、ここで遊んだものだなぁ〜
などと放蕩時代を思い出す。


そして、まわってきたのが、誓願寺店。
これは、今でいう西浅草。
国際通りのすぐ西側で、ビューホテルの南の
一画。


合羽橋通りがあったり、ラブホテルなんぞも
なん軒かある。


昔は、いうところの、貧民街。


その貧乏長屋で、弁当と使わせてもらっていると、
その家の子供が、食べている弁当を羨ましげに
見ている。
どうも、食べるものにも、困っている様子。
若旦那は、弁当を子供に与え、今日の売上げも
その母子に与えて、帰ってくる。


一応のところ、ここがストーリー的にも
切れて、よい話なので、一般には
このへんで、噺を切ってしまうことが多い。


実は、唐茄子屋“政談”というくらいで、お奉行様の裁き、の話に
なるほどのドラマがあるのだが、今回も、長いので、ここで切ろう。



さて、松葉屋瀬川の方。


これは、圓生師の音が残っているので、
是非、捜して聞いていただきたい。
1時間半近くと、長いが、
とても、味わいのある、私は大好きな噺。


話しは、放蕩前の堅い若旦那があり、
ある日、手のひらを返したように放蕩を始め
お約束の、勘当。


唐茄子屋の若旦那と違うのは、吉原の花魁とは、
純愛で結ばれていた、というところ。


勘当後、こちらは、以前の奉公人夫婦に助けられ、
彼らの長屋の二階に厄介になる。
吉原の花魁・瀬川も若旦那がこられなくなり、
その上、身投げをして死んだらしいなどという噂を聞いて、
病の床に。


若旦那は花魁に手紙を書く。
花魁は喜び、二人の間に入っていた、幇間(たいこもち)
の手引きで、花魁は足抜け、吉原を抜け出す。


折よく、というのか、勘当された、
実の父親は、病の床にあり、勘当は許され、
瀬川はきちんと身請けをされ、二人は晴れて
夫婦になったという、傾城瀬川の実意、の、一席でございました、
と、圓生師は締めくくる。


なにがよいのか、というと、圓生師の
描写がすばらしい。


浅草橋から、歩いて浅草寺まで、道々の景色を
描写しているところ。
また、吉原の雰囲気や、この噺では重要な役割を果たす
幇間のこと、などなど、長いこともあり、かなり
丁寧に描写され、語られている。明治以前のこの周辺の
時代風俗を知る上でも、それこそ史料的価値も
高いのではないか、と、思っている。


さて、もう一席だけ。


擬宝珠という噺。


ぎぼし、と読む。


正直のところ、私は、この噺、知らなかった。
(下調べをしていて、見つけたのである。)

喬太郎師が演っており、CDにも入っている。


師ならではの、マニアックなねたと、
いってよいかもしれぬ。


まず、ある若旦那が、病の床に付く。
原因はなにか。ここで、噺は三つ。


夏なのに、みかんが食べたいというと、千両みかん。
瀬をはやみ〜、の恋煩いだと、崇徳院


で、もう一つ、観音様の五重塔
塔の先端の飾り、擬宝珠をなめたい?!
(なんじゃそりゃ?、である。)


これが、擬宝珠という噺。


いわゆる、フェチ、というやつ、なのであろう。
金物をなめるのが好き、という若旦那。


落語にも、こういうヘンな噺は、けっこうある、
のである。


愛する内儀(かみ)さんの鼻をそいでしまったり、、、。
(鼻ほしい、という噺だが、ちょいと、これ、
グロい。)


そういう意味で、昔から、日本人など、
ちっとも変っていない、のかもしれない。
いやいや、昔の日本人の方が、いろんなものから、
自由だったのかもしれないが。



結局、この若旦那はどうしたのかというと、思いを達する。


驚くべきは、彼の両親も隠していたが、
同じ趣味、金物をなめるのが好き、という、
を持っていた、ということ。


まったくもって、落語というのは、
ヘン、というのか、おもしろい。



と、こんなところで、浅草に縁のある落語は、お仕舞。



この後、すしや通りの初寿司で、皆さん、
鮨をつまんで、毎度お馴染み、私の、黄金の大黒を
聞いていただき、お開き。




お疲れ様でした。


おたのしみいただけましたでしょうか。



また、いつか。