浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



南千住・うなぎ・尾花

dancyotei2011-06-01



5月27日(金)夜



さて。



南千住の尾花


で、ある。



今年に入って、きていなかったのであろうか。
どうもそのようである。



初夏の日差しを感じてきたからであろうか。
金曜、つくばの帰り、寄ってみようと思い付いた。


前に“尾花の時間”などといって、書いたこともあった。


尾花は、私にとって、ここで出す、うなぎ蒲焼の


うまいまずい、ではなくて、そうとうに特別な
ところ、空間、で、ある。
(むろん、味はうまいのだが。)


人は誰しも、お気に入りの食べ物や、というのが
あると思う。


私の場合もむろん、尾花だけではなく、気に入った店は他にも
あるのだが、えてして、最初の印象から、なん回か通う内に
変わっていくものである。


勝手な思い込みや、理想像を持っていて、
それから外れたりすると、落胆して、行かなくなる。
まあ、そんなことも、あったりはするもの、
では、ある。
(お客など、移り気で、まったく勝手なもの、
で、ある。)


しかし、実際のところ、この、尾花だけは、
通い始めて、おそらく、20年にはなると思うが、
まったくかわってはいない。


一貫して、そうとうな、ポジションを占め続けている。
随分前に殿堂入りを果たし、もはや、永久欠番
そんな感じ、で、ある。


私の好きな、食べ物やの中でも、
こんなところは他にはない。
まったく、皆無、で、ある。


なぜであろうか。


尾花が、変わらない、からであろうか。


禁煙になったり、畳が新しくなったり、
むろん、少しは変わってはいるが、大筋では、
変わっていない。


南千住、小塚原回向院の脇を入った、
常磐線の土手下という場所。


門から、玉砂利を敷き詰めた、道。
お稲荷さんが右にあって、玄関。


大きな暖簾。
分けて、格子を開けると、大きな下足場。


靴を脱いで上がると、広々とした、入れ込みの
大広間。


並んでいる塗りのお膳。


注文の取り方。
そう、品書きも変わっていない。
(値段は、変わっているかもしれぬが。)


注文してから、小一時間掛かる、待ち時間。
(やはり、これが最大のポイントであろう。)


ほぼ、変わっていない、といってよかろう。


だが、待て。


店が変わっていなくとも、私も年を取って、
変わっているし、時代も、変わっている。


それで、行かなくなることも、なくはなかろう。


時代が変わっても時代を越えたよさがある。
この尾花はまったく、その通り。


入れ込みだったり、待ち時間だったり、
本来の江戸・東京のうなぎやのやりかたそのまま。
もともとの姿を続けている。
尾花自身は、時代がどう変わらろうが、
まったく関係はない。


では、他ならぬ私自身はどうであろうか。


50も近くなり、20年前とは、私自身は、自分で考えても
そうとうに、変わっている。(と、思う。)


しかし、それでも、好きでいられているのは、
なぜであろうか。


これは、やはり、難しい問題である。


私自身の、まったく変わっていない部分と
尾花が重なっているからなのか。


そうかもしれぬ。


あるいは。


南千住の駅を降りて、ここまで歩いてきて、
店に入り、座敷の座布団に座る、とたんに、
なにか、魔法にでもかかったように、
ある“なにか”に痺れ、変わった自分を振り捨ててしまう。


なにか、そんな、気もする。


いやはや、こんな食べ物やは、他にはない。





ご託を並べてないで、さっさと、


“尾花の時間”を楽しもうではないか。






ビールがきて、鯉の洗い。





新聞なんぞを読みながら、
隣の会話を聞くともなく、聞いて、、、


煙草を吸いに、玄関外まで、出ていったりして、、、




吸い物がきて、もうすぐ、うなぎですよ!、の、
お姐さんの声。




そして、そして、うな重の、登場。
ふたを取って、山椒をふって、、、







かっ込む。



幸せ、で、ある。









03-3801-4670
荒川区南千住5丁目33−1