浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



春の小川・加瀬竜哉氏のこと

NHK熱中時間という番組がある。
オタク、なのか、趣味人というのか、
なにかに熱中している人、偏愛している人を
紹介する、という番組。


以前から、好きで比較的よく見ている。


おもしろいので、この番組に関する、考察、
もしたいような気もするが、今日は、それはやめて、
先日、オンエアされた、暗渠熱中人、という回のこと。


暗渠は、アンキョ、と、読む。


暗渠とは、なにか。


とても簡単にいうと、川にふたをして、地下化したもの、で、ある。


この暗渠熱中人、なる人は、加瀬竜哉というミュージシャン。
(私はこの方を知らなかったが。)
彼は渋谷区の神山町というところで、
東京オリンピックの年に生まれた。


この神山町は、実は、童謡「春の小川」の故郷、
ということなのである。


渋谷区には、渋谷川という川が流れている。
むろん、私は知っている。
しかし、まあ、東京に住んでいる人でも、
渋谷で仕事をしている人でも、遊んでいる人でも、
渋谷に川がある、ということ自体、
知っている人は少ないかもしれない。


今、渋谷川はどのあたりを説明すると、あ〜、川、あるね、
と思い出していただけるだろうか。


代官山のメインの通り、というのか、代官山から、明治通り
抜けている通りがある。これが、坂になって、
JRをまたいで東横線をくぐって、明治通りにぶつかる交差点。
この交差点は、並木橋、というが、この交差点の手前。
文字通り、並木橋という橋がある、この川。
なんとなく、おわかりになるであろうか。
これが、渋谷川、で、ある。


渋谷川自体は、この後、恵比寿、広尾、天現寺、麻布、
このあたりから、名前は、古川、と変わり、
四の橋、三の橋、二の橋、一の橋、麻布十番、赤羽橋、
芝公園、金杉橋、竹芝桟橋のあたりで、東京湾に注いでいる。


反対に、上流はどうなるのかというと、
木橋から、北へ上がり、ちょうど、六本木通りの下、
渋谷駅にかかる手前、歩道橋があるが、あのあたりで、
“暗渠”、に、なっている。


そして、驚くことなかれ、渋谷川は、渋谷駅の直下を通り、
地下で、北へ上がる流れと、西武、PARCOなど、
宇田川町方面に向かう流れとに、分かれているのである。


東京のこうした市街地を流れる、いや、流れていた、川は
いくつかに、分類できるかもしれない。


中央区千代田区など旧下町や、墨田区江東区など、
隅田川の東側の川は、川というよりは、堀といった方が
よいかもしれぬが、これらは、お濠を含めて、
江戸時代に掘られたもの。


そして、これらではなく、渋谷川などは、
東京に江戸以前から自然のものとしてあった川である。


多摩丘陵関東ローム層が低地に向かって、切れて、
その下の地下水が湧き出している、泉や池。
ここから流れ出している川が、東京には多い。
神田川はさかのぼると、吉祥寺の井の頭公園のボート池。
神田川のもう一つの流れは、善福寺川になって、荻窪の北にある
善福寺公園善福寺池の泉から流れている(た)。


石神井川、音無川、さらには、台東区の三谷堀になっているのは、
練馬区石神井公園にある、三宝寺池から、、、。


書き始めるとキリがないのでやめるが、
この系統の川は東京に、多いのである。


渋谷川のうち、先ほどの、渋谷駅から、北へ向かう流れは、
渋谷駅から、ずーっと、北へ行って、今の新宿御苑の池から。


もう一方の宇田川町の流れは、文字通り、宇田川という名前で、
井の頭通りに並行し、NHKの放送センター、の脇を通り、北上、
(一部、西に分流するが)
ほぼ、井の頭通りに沿って、西側を流れ、小田急線の代々木八幡。
このあたりで、名前は河骨川(こうぼねがわ)となり、
そのまま、小田急線に沿って流れ、最後は、初台の南側にあった
池から流れていた。


これが、例の童謡、はぁるのおがわは さらさらいくよぉ〜、の、
「春の小川」に歌われたものであったという。


江戸の頃はむろん、明治になっても、かのミュージシャン
加瀬氏の生まれた、神山町あたりの宇田川沿いには、田圃があった。
童謡「春の小川」は1912年、明治45年に作られている。


おそらく、大正、昭和初期まで、こうした、
田園風景は残っていたのであろう。


東京の川は皆そうだが、渋谷川、宇田川もご多分にもれず、
戦後の都市化で家が立て込み、「春の小川」は夏は、悪臭を放つ、
ドブ川に変わっていった。


そして、東京オリンピックを契機に、宇田川はふたをされ、
暗渠となった、という。


加瀬氏は、その東京オリンピックの年に生まれた。


従って、氏は、故郷の川である、
宇田川をリアルタイムでは知らない。


しかし、成長し、自分の生まれたこの地に、
「春の小川」に歌われた、川が流れていたことを知り、
興味を持ったというのである。


なんとなく、私自身と重なり合う。


私は、東京オリンピックの前の年の生まれで、
ほとんど、同世代である。
同世代で、東京に生まれると、やっぱり、こういうこと
考えるものであるか、と。


ある程度の年齢、まあ、30を過ぎたあたり、になると、
自分の故郷が、どんなところであったのか知りたくなる。
そして、ちょっと調べると、生まれた頃には、もう既に
その故郷は、影も形もなくなっていたこと。
そんなことに、気が付くのである。


加瀬氏は、番組の中で、暗渠になっている、渋谷川の中に
長靴を履いて、バシャバシャと入っていく。
そして、そのほぼ、下水といってよい、暗渠、地下の渋谷川で、
泣きながら、「春の小川」を唄う。
(氏は、自分のライブでも「春の小川」を必ず歌う、と、いう。)


渋谷川に対して、こんな風にして、すまなかった、、と
涙を流し、叫ぶ。


この気持ち、とてもよくわかる、のである。
そうだよなぁ〜、と。


こうしたのは、親の世代、あるいは、その上の世代、
なのではあるが、それは、今、現在の便利な自分達の生活の
ためであった。
だから、それを否定することはできない。
今の、自分を否定することであるから。


しかし、私は、思うのである。
もうそろそろ、よいではないか、と。


あの当時は、技術もなく、金もなく、経済成長が第一で、
臭いものには、フタ、で、あったし、
日本橋の上にも、高架の高速道路を作って、
なんの不思議も思わなかった。


だが、今ならば、少し考えれば、きれいな「春の小川」を
復活させることもできるのではないか?と。


江戸から、人が住み、歴史を積み重ねてきた、
都市としての東京。
私は、それを、今、よりよいものに、していきたい、と、思う。
それは、足元を見つめることだと思うし、
歴史を思い出すことでもあると思う。


昭和39年の東京オリンピックを契機に、東京という都市は、
江戸からのものを、都市機能としても、
人の心としても、完全に、捨て去ってしまった。


やっぱり、その頃東京に生まれた我々は、
それでいいのか!?と問いたいのである。
我々の故郷は、生まれた時に、ちょうど、なくなっていた、、。


こんな、寂しいことはないのである。


こんな、悲しいことはないのである。





加瀬竜哉.com